味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

甚だしいかな、孝の大なるや、と。

2018-03-24 10:14:28 | ブログ
第3371号 30.03.24(土)

曾子曰く、甚だしいかな、孝の大なるや、と。『孝経』172

 曾子が言うには、「孔夫子先生から、孝道についていろいろ承(うけたまわ)り、孝が徳の本であり、教のよって生ずる所以を聞いて、感動したのである。そこで、曾子は感激のあまり、偉いものですなあ、孝道はそれほど甚大なものでありましたか。

 【コメント】文明が進み過ぎて、人間が具有する孝の概念が薄れてきていると思うのは私獨りだけではないと思います。

 地球上に起こる天変地異もそれらを観察しているのではないでしょうか。長年漢籍を繙いている私は、古人の訓えに感服している次第です。

 『老子』第二十九章に、「聖人は甚(極限)を去る」とあります。『礼記』中庸篇に、「大なる哉、聖人の道、洋々乎として万物を発育し、峻なること天に極(いた)る。」とあり、『左伝』文公二年に、「孝は礼の始めなり。」であることが証明されています。

 孝の甚大なる在り方について、孔伝に「曾子、孝とは徳の本たり、而して化の由りて生ずる所、天子より庶人に達す、行う者は福に遇ひ、用いざる者は患を蒙るを聞き、然して後に孝の甚だ大たるを知るなり。とあります。

 司馬光曰く、「曾子、始めは亦た親を養うを孝たりと謂うのみ、孔子の道を聞くに及んで、身を立て国を治むるの道は、みな孝に本し。乃ち其の大なるに驚難す。」とあります。
 
 今森友問題で世を賑わしている政治家の皆さんも孝の偉大さを学んで欲しいものです。

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『不動ん』(第229回)

 ずうずうしい奴ら

 こういう連中がどんな本能に導かれ、何を得ようと苦心惨憺しているのか。どういう理由でものごとを気に入ったり尊重したりするのか----観察してみたまえ。彼らの魂のありのままの姿を拝見しようではないか。こういう連中は、自分がほめれば他人が救われ、自分が非難すれば他人が傷つくものと思いこんでいる。まったく、ずうずうしいにもほどがあるというものだ。

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『言志録一』204

 良知と良能

 乾は易を以て知(つかさど)るとは、良知なり。坤は簡を以て能くすとは、良能なり。乾坤は太極に統べらる。知、能は一なり。

 〔訳文〕天が万物を創始し、これを難なく司(つかさど)っているのは、人間の良知に当る。地が天の創始した万物を何の煩なく成育しているのは、人間の良能に当る。
 ところで、天も地もその根元である太極に統べられているのであるから、良知も良能も別々ではなく一つのものである。

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