タイトル---「国家とは何か」が原点。第1139号 24.02.05.(日)
読売新聞2月3日号に、山内昌之 東大教授の論考「国家とは何か」が掲載されました。私がかねがね考えていることを書いてくださり、溜飲が下がりました。ご紹介します。
〈国家指導者は、国際関係の緊張、災害など想定外の事態にしばしば直面する。「総合力」「胆力」「人心掌握力」の三つを備えなければ務まらない。総合力とは、大局を見通す力、胆力とは精神の動揺を鎮める力のことだ。東日本大震災の時、菅前首相は胆力を欠き、周囲に当たり散らした。ほかの政治家なら、もっと余裕と機知を示せたかも知れない。
日本の首相は、国家の意思を人格的に表現する最高責任者だ。この自覚はきちんとした国家観、歴史観がなければ一朝一石には生れない。自民党から民主党への政権交代後の2代の首相には、歴史的思考と想像力が欠けていた。鳩山元首相は「東アジア共同体」を唱えたが、中国、韓国が極端な歴史解釈で日本を非難する状況で共同体ができるはずがない。両氏が政治や外交のリアリズムを欠いていたのは偶然ではない。
2代の首相の国家観、歴史観の欠如は、国家を統治する「国政術(ステートクラフト)」の基盤を破壊した。両氏は「政治主導」を掲げたが、官僚を自在に使うのが政治主導というものだ。〉
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二日遅れでご紹介しましたが、こういう論考に興味を示して貰いたいものです。それは時の政権が、人々の暮らしを良くもするし悪くもするからです。一見、親切そうに見える子供手当にしても、理念も何もあったものじゃないと思います。天から自動的に金が降ってきたら人々は働かなくなるのです。
私が知っている政治家は、親族で議員を務めていたものです。当初は、清廉に見えても、年を重ねるごとに、自分たち家族たけの栄耀栄華が見破られ、全員落選しました。天をだますことは出来ないのです。
真の幸せを基調として議員を務めたいならば、赤心を捧げ尽くすことなのです。