タイトル---永遠の無言の体罰。第1590号 25.05.03(金)
.
事の是非如何を顧みるのみ。『宋名臣言行録』
.
事にあたっては、偏にそれが是であるか、非であるかを考え、さらに、そのことが、人を活かす目的であるのか否かが前提であるべきで、小次元に拘ってはならない。(訳・筆者)
.
今日、学校教育現場で体罰問題が取りざたされています。事象の多くは、スポーツ分野における上位争いが多くを占めているようです。
私がここで紹介するのは、私が主宰する空手道場でのヒトコマです。最近、特別支援学級の子どもさんの、入門が相継いでいます。
それ以前にある教員の方とのご縁がありました。人間、それぞれ体調不良とか悩みとかあるものですが、教員の方の体調不良が空手道場での稽古等々で回復しました。それをきっかけに小学六年生(今は中学一年)男児が入門したのです。
入門した当該児童は幼少の頃、運動すると筋肉がおかしくなると医師に宣告され、半年前まで全く運動をしていなかったのでした。栄養状態は良く太っていたのですが、適度に学び動かないから、児童の健全性が全くみられなかったのでした。
入門して半年、その児童は人が変わったみたいに変貌を遂げました。皆の前で交替で号令をかけたり、それはそれは大変貌を遂げてきたのです。
児童の母親が運動をしてはならないと医師に宣告された、旨を私に告げました。そこで元気いっぱい突きをしている児童がどうしても倒れるとは思えないので、「お母さん、万一、このまま死んでも仕方ないではないですか」と言ってしまいました。
それは絶対に死なない、死ぬものか、という私の強い信念と、過去の学びの集積から発した言葉でした。人間は、本人が死なないと思えば死なないのだ、とは多くの文献でも学びました。そして中村天風師の『運命を拓く』他、天風師の著書の多くを購入し、自分で録音し、20年前から三千回以上聞いてきているのです。
他にも30歳の青年を15年間指導してきました。その子どもさんも言葉が鮮明・明瞭に通じないのです。入門した当初は、手の指は開いてブラブラしたまま突きをしたのでした。今は拳もしっかり握りしめ、きれいな突きが出来るようになりました。その青年に、教える度に身体で覚えさせるために一回一回叩くのです。日本語が通じないのですから。そのお蔭で大変上達したのです。今は黒帯を締めています。叩かれるその時は痛いでしょうが一分もすれば痛みは忘れ去るのです。なくなるのです。
標題の「永遠の無言の体罰」とは、言葉も理解出来ず、健常者からは異端視され、自分がしている動作が社会一般の常識の範疇であるか否かが理解できず、折角の人生を謳歌出来ない人間の悲しさ寂しさ、不幸の永遠性を憂慮し、除去してあげたいという思いからこの題としたのです。
これでも文部科学大臣も、今時云う体罰等に関する専門家と言われる人も、体罰は絶対あってはならないというでしょうか。それを言うとしたら。これほどの人権無視、そして永遠の無言の体罰はないと断言します。
私が実践していることはそこいらの学校の先生では出来ないのです。その時その場適切な言葉を発し、当該児童らにやる気を起こさせ、導かなければならないのです。過去半世紀以上、人が経験したことがない芸事を修得し、人間性を喪失しかけた子どもたちを導いているのです。不幸な生まれ方をしてきた子どもたちを、普通の人間になるべく導き、幸せを享受して貰いたいのです。
最近入門した二年生になった子どもの幼稚園年長組の弟に、許可を戴きました。お兄ちゃんが普通の人と違うのがわかりますか? そのお兄ちゃんを貴方みたいに立派な人になって貰うため、少しパッチンをしたいのですが、許可してくださいますか?と。
弟はわかりましたと言いました。その許可を戴いてから、大腿部をパッチンと叩きました。
他の子どもたちが静坐をしているのに本人は両足を投げ出したままだったので、「正座!!}と大声で言ったらすぐ静坐をしたのでした。大腿部をパッチンとやられたお蔭で、身体が理解してくれたのです。これは「いじめ」ではないのです。人間愛なのです。
お父上様はお医者さんなのですが、「まだ叩いてください」と言ってくれました。その行為はタイミングがあるのです。
今日、体罰という言葉が氾濫していますが、ただスポーツ分野で優勝するだけを目的とした小次元のことが多いようです。叩きながら気合いを入れてあげ、真っ当な人として育ててあげたいのです。優勝することだけを目的とした場合、人間のマナーも身に付かず、オリンピックで金メダルを獲得しても女の子を強姦する品性のかけらもない人間もいるではないですか。柔道団体にしても金の使途が不明であったと問題視されているではありませんか。
文武両道を一体とした道場を開設して40年、それ以前の指導歴等々を含めて、60年、全国何処の空手道場にも負けない指導をしています。それは空手道と古典を取り入れた文武両道を標榜しての指導なのです。今の学校教育では頭のいい子は育つでしょうが、道徳性を内蔵し、これからの人生に立ち向かうことの出来る人間、人の道を弁えた人間を養成することは不可能でありましょう。
体罰と言われる行為にもいろいろあります。理解出来ない時は、指導の現場を見学にきてくださるようご案内し、「永遠の無言の体罰」として書いてみました。
今朝の学問館で384回になりました。『論語』『書経』『自助論』『臥牛 菅実秀』『史記』等々を学修しました。
短歌は多く詠みましたが一首のみ。これは孔子に子貢が君子も人を憎むことがあるかという問いに対しての解答です。
.
有力がありて礼なき者悪(にく)む
血気に任せ理に逆らうも 4009 『論語』