味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

夫の天命を楽しみては、復た奚をか疑わん。

2017-02-25 09:25:20 | ブログ
第2979号 29.02.25(土)
.
(か)の天命を楽しみては、復(ま)た奚(なに)をか疑わん。『文章軌範』
.
 いわゆる天命を楽しんでいれば、どんな境遇になろうと、べつに疑うことはない。(陶靖節「帰去来辞」)519 
.
 【コメント】私ごとき者は、この作者みたいな自信はありませんが、ただ日々に、『南洲翁遺訓』の精神に違背していないかどうかと自らを省みています。
.
 お隣りの北朝鮮では大変不幸な事件に関与したとして、国際的に問題になっているみたいです。異母兄弟の兄を殺害しなくて親切に加護してあげても別に国の運営に支障はなかろうにと思う次第です。
.
 むしろ温かい措置の方が、体制を引き締めるためには奏功すると思うのですが、如何なものでしょう。西郷南洲翁がその立場ならそのようにすると思います。

-------------
『教養のすすめ』「無我の中で達する境地-----至誠の人 西郷隆盛」(第19回)
.
 あるとき、大久保が英国に特注して金色燦爛たる立派な軍刀をこしらえました。評判を聞いた西郷はぶらりと訪れ、「おはん、これを一寸おいどんに貸してくれんか」といいます。
 大久保が貸すと、いつまで経っても返しません。催促してみると、「ああ、あれでごわすか」と忘れていたという態で、「あれは書生どもが来て、あまり綺麗じゃというて、欲しそうな顔をするものじゃから、くれてしもうた」とと平気な顔だったといいます。
 これはおそらく意図的だったのでしょう。維新の功臣たちの華美贅沢を快く思っていなかった西郷が、いちばん遠慮のない友人である大久保に対して、自分の行動で諷したのでしょう。(ここのくだりも頭山満氏の本にも記載されています。)

---------------
『臥牛菅実秀』(第511回)
.
 そしてこれが副島をして、はるばる荘内を訪れさせる機縁ともなった。副島が荘内に来遊したのは、明治二十四年八月と、翌二十五年三月の二回であった。
 来荘した副島は致道館で詩経を講じ、あるいは宿泊した鶴岡上肴町の新茶屋で、多くの人たちに経書を講じたり、田川温泉に遊んだりした。
 そして酒田を訪ねたときは『酒田瞰海楼詠』と題した七言絶句を作っている。
 この詩は口をつく詩句、すべて珠玉のごとく、十句百句たちどころになるといわれた副島のおびただしい作品群の中でも、大きな時代の変転をふまえた深く重い感慨の流露において、ひときわ光彩を放つ代表作である。
 羽州 西望すれば青波足る
 鳥海の山容 旧に依って多し
 世事蒼茫 人 老いんと欲す
 楼船 嘗つて大兵を載して過ぐ

-----------------

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。