味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

敢て小国の臣を遺れず。

2018-04-17 10:25:05 | ブログ
第3395号 30.04.17(火)

敢て小国の臣を遺れず。『孝経』208

 子・男のような、小国の臣であるからと言って、決して忽せにするようなことはなかった。

 【コメント】古の国の事に言及した解説が掲載されていますが、現今理解できる解説がよろしいかと思います。「解説にある小国の臣であろうがなかろうが、そして子供であろうが、物事を忽せにすべきでないと思います。 
 これらを人権、人の人格に関する問題だと言うのだと思います。

 次元は異なるが、女性にセクハラをしたとされる事務次官がそういう事実はないと反論していますが、これと似た問題であるような気が致します。とにかくどういうことであろうが、誰もが納得するやり方、説明の仕方がいいと思います。

----------------
『不動心』(第253回)

 死と対決する覚悟

いついかなるときに肉体からの離脱を命じられようとも、その跡には消滅か分散、あるいは存続の運命が待ち受けていようとも、れに対する覚悟ができている魂はなんと幸いであろうか。ただし、この覚悟は自発的なものでなくてはならない。キリスト教徒のごとく頑迷な不服従の気持ちから出たものでなくてはならない。しかも、この覚悟に至るには慎重かつ厳粛な検討が必要だし、英雄気取りのようなところが少しでもあれば、他人に対しても説得力に欠けることになる。

-----------------
『言志録四』22

 立志の立の字

 立志の立の字は、豎立、標置、不動の三義を兼ぬ。

 〔訳文〕志を立てるの立という字は、豎立(真直ぐに立つこと)と、標置(目印を立てること。高く自らを持すること)と、不動(しっかりと動かないこと)の三つの意義を兼ねている。即ち志を真直ぐに立て、その志を目標として、不動の心をもって進まなければなにないということである。 

---------------