味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

一人、官を兼ねず、一官、事を兼ねず。

2016-03-08 10:57:39 | ブログ
第2625号 28.03.08(火)
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一人、官を兼ねず、一官、事を兼ねず。『韓非子』
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 一人があれこれに手を出さず、一つの官職、一つの任務に専心すべきものだ。416
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 【コメント】何事につけても、最初は地道に一つを仕上げて行く。そして次のテーマも実現可能となったとき、最初の事業も平行して実践して行けばうまくいくものと思われます。そこには徹底した慎重さが求められると思います。
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 私のテーマは『南洲翁遺訓』を青少年に教え伝えて行くことだと思っています。そして荘内にある文献を人々にご紹介することにしています。
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 老人会みたいな組織から呼ばれても絶対行かないことにしています。その老人会の総帥に対して、松田勝一郎先生は、あの男とは近づかない方がいいと私を諭してくださったことがあります。

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『臥牛菅実秀』(第161回)
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 このころ、すでに政府軍の前に降服してしまった仙台、米沢藩は、荘内藩に使臣を送って帰順を勧告しており、また荘内藩の重職も諸役人も多くは降服論に傾いていた。その中で実秀は松平権十郎、和田助弥に、江戸で誓ったのは、この日のことであると励まし、抗戦論を強く主張して一歩も譲らなかった。当初、主戦論を唱えていた人々は、戦局の不利につれて脱落してゆき、心中は非戦論であった実秀が、いまは主戦論の先頭に立っていたのである。
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 いつも全局に目を注ぐことを忘れなかった実秀が、奥羽同盟がすでに瓦解してしまった現在、ひとり荘内藩が抗戦しても大勢をどうすることもできないことは十分に知っていたはずであるが、それでもなお抗戦論を主張して譲らなかったのは一体、何であったろうか。

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『教の国 荘内』(第52回)
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     3 経 書 の 尊 重
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 荘内学に於ける「教」の権威に就て次に挙げねばならぬものは、彼処に於ける「御書物」の権威である。一体儒佛の別無く東洋に於ては「教」を記せる「書」は大いに之を尊重して来たが、荘内に於ては其の一般的事情の上に更に重大なる一つの理由がある。それは何かといふに、南洲翁遺訓の出版のことがこれである。
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 荘内に於ける南洲翁遺訓の出版は、死に代えての出版であるとも謂い得るであろう。そは何故か。明治維新の際には荘内は最後ので佐幕派の盟主として奮闘し、遂に朝敵を以て目せられたのである。

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『農士道』(第437回)
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 かかるが故に八十(多くの神々)が、稲羽之八土比賣と結婚せんとして稲羽に行きける時の大国主の態度を見ても、其間農村人に與ふる葦原醜男らしき行動に、温故知新、現下に即して深く尊き無量の教訓を汲み得るものがある。
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 思うに、「稲羽」し「稲場」ではあるまいか。「八上比賣」と「彌上比賣」で、上り上ってずっと上の家の姫の意であらう。さうすると「稲羽之八比賣」し「稲場の一番上の家の姫、」----これを精神的にいへば、農村の最も気品の高い娘ということになり、前述の「奇稲田比賣」と相対して、如何にも農村の素朴にして淑(しとや)かな娘の姿が偲ばれるではないか。

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