味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

目の覚めるような個性。

2012-11-28 10:47:10 | ブログ

タイトル----目の覚めるような個性。第1435号 24.11.28(水)

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 私はほんとうに政治の話が嫌いでテレビを見ない。政治家が言葉を発する場合、時には危機感さえ伴うような強烈な個性が込められていることはほとんどなく、雇用促進、景気回復、健全財政、災害地復興、エネルギー対策なと、誰が聞いても、総理や閣僚なら、それをするのが当たり前、しなかったら困るというようなことしか言わないからだ。

 考えてみると、眼の覚めるような個性というものはすべて、その人の知性が勇気に支えられた場合に輝く。----

 ----勇気は、自分がいささかも傷つきたくないという人には、全く持つことのできない徳である。人間は放っておいても十分に利己的だ。その上に日教組が戦後「人権とは要求することだ」と教えたので、ますます自分の利益はいささかも譲らないことを当然とする大人が増えた。---

 ---人は確かに悩む時もある。その時は考えが明確になるまで、一人で勉強をするのが重責を負う人のやり方だろう。そういう場合には、「自分は死刑には反対ですから、今、勉強中です。答えが出るまでは法務大臣だけは断ります」という選択が誰にも残されているのに、大臣の椅子欲しさに引き受けるのは浅ましさの表れで、勇気とは対極の悲しさを感じる。(曽野綾子著『国家の徳』).P197

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 読めば読むほど教えられるし、溜飲が下がります。死刑反対の法務大臣が誕生しましたが、まさしく国家を冒涜する人々であったと誰もが認識したことでしょう。一見、正論そうなことを言うから、そうかな、と思っていたところに曽野氏が指摘する人物であった訳だから、天下に自分で自分の顔に泥を塗ったということでしょう。理念なき政治家と酷評されても返す言葉はあるまい。

 紹介した十数人の人が当該著書を購入し、私同様、溜飲が下がった、同感だという意志表示をしてくれています。

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大臣の椅子の欲しさに引き受ける 

           理念なき人浅ましきかな 2382

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 明日の学問館は、史記、運命を拓く、努力論、丁丑公論、の予定です。