タイトル---ある方への「手紙の内容」、荘内南洲会のこと。第1265号 24.06.06(火)
ある方へ荘内南洲会様とのことを書いて手紙を送りました。下記の内容です。
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私は荘内南洲会の特別会員の末席を戴いています。拙著『礼節のすすめ』にも書いていますが、現在の地に空手道場を建設する時、岳父が、君は学問がないからと言って、元谷山市の教育長をしていた平井政明先生を紹介してくれました。平井先生は、南洲神社で行われていた『南洲翁遺訓』を学ぶ会の責任者でありました。平井先生は竹下一雄先生が主宰する薩摩詩吟会の副会長でもありました。
そこで私も『南洲翁遺訓』を学ぶ南洲会に入会したのが三十数年前のことでした。その後『南洲翁遺訓』刊行の地・荘内南洲会理事長小野寺先生ともご縁を戴きました。
ご面識を戴いてから荘内南洲会人間学講座にも参加させて戴き、荘内の学風を学ぶことが出来ました。数年前一人で荘内を訪問した時、小野寺先生は、荘内の重鎮の先生方の家を訪問方々私をご紹介して戴きました。重鎮の先生方のお宅は歴史を彷彿とさせる昔ながらのたたずまいの中、先生がたの書斎には、漢籍の書が所狭しと所蔵されていました。まさしく『南洲翁遺訓』を刊行した「教えの國・荘内の現風景でした。得も言えぬ感激を受けたことを鮮明に記憶しています。そういう事等もあり、本格的に漢籍の世界を逍遥することになりました。
そして荘内南洲会の小野寺理事長他先生がたは『南洲翁遺訓』に書いているとおりの人物像を秘めていることに一入感激したものです。『南洲翁遺訓』に書いている学問を渉猟した先生がたのお姿がそこにありました。これは全国広しと雖も、何処にも見られない人間の像でした。爾来・荘内の学風に魅せられ今日まで来たというのが、偽らざる実感でございます。
鹿児島・薩摩の地で空手道を通じて青少年教育をするのなら、人間の骨格を創らねばなりません。今、全国的に各種スポーツが盛んでありますが、人間学を目指したものと一体として取り組んでいる処は私の道場以外にはないと思います。若干のみてくれの勉強風景はあるでしょうが、『南洲翁遺訓』等々を本格的に学修する処を私は寡聞にして存じ得ないのです。
そういうことで人間学の本拠地、荘内の先生がたとの交流は言わずもがな、人間学の構築という面で多大なるご指導と恩恵を受けているのです。
学問をするについて、早いとか遅いということはありません。決心したその時が一番いいのです。でも昨今は勉強して良い学校に入り、良い会社に就職してという次元にとどまっています。それでは真の人生は見えないのです。それは肉眼で見えない心眼でしか分からない世界があるのです。西郷先生は漢籍を渉猟しそれが分かっていたのです。だから「敬天愛人」という言葉がすきだったと私は解しています。
私の詩吟の師匠であった竹下一雄先生も「生死何ぞ疑わん天の附与なるを」と口ずさみ息を引き取ったのでした。『南洲翁遺訓』を学ぶということは「天の理」を学ぶことにもなると私は確信しています。荘内南洲会の先生かたとの面識の一端を書きました。
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今日の言葉
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己が知を磨く問学これなるぞ
切磋琢磨はこのことをいう
「暁の学問館」第58回