平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2019年1月6日 無題

2019年01月27日 11時01分03秒 | Weblog
無題

 新年明けましておめでとうございます。今年も一年間の始まりを皆さと共に礼拝から始められることを心から感謝しています。昨年、ある青年 が「聖書の事をもっと深く学びたいです」と言ってくれたことをきっかけに、 聖書通読会を週一で始めています。これはSGの様な性質を持ち、集まれる日をその都度設定し、 新約聖書の手紙を読破してきました。
 新約の中で最も古くに書かれたとされるパウロの第一テサロニケから始まり、パウロ書簡は岩波訳で音読し、通読しました。これを始めたきっかけは、雨の日のうどん屋で、岩波のフィリピ書、獄中の中でなお喜びに溢れるパウロの手紙を感動しなが ら通読したことに始まります。手紙形式の16章以下で書かれるものは全て、その日の内に通読さ れるべきものだと私は信じています。
 昨年は、クリスマスの翌日、25日にヨハネによる黙示録を 通読し、パウロ書簡からヨハネ文書までを完成させました。今年は新約だけではなく、旧約聖書 にも親しんで通読していきたいと考えています。このような思いが与えられているのは、いつで も聖書そのものの礼拝観に立ち帰りたいとの思いからです。旧約のエズラ、ネヘミヤの時代には、 民は明け方らから正午まで立ちつくしながら、ヘブライ語からアラム語へ、分かる言葉に翻訳し ながら、聖書を朗読していきました。そこには感動がありました。キリスト者もまた、その手紙 を分かる言葉として朗読されるように回し読みました。
 信者の家の礼拝として、礼拝の最後には 十字架と復活を想起する食事(パン)と交わりが行われました。「この預言の言葉を朗読する人と、 これを聞いて中に記されたことを守る人たちとは幸いである。時が迫っているからである」(黙 1:3)とありますが、今こそ礼拝の原点に立ち帰り、キリスト者たちの日常生活の中に主に喜ば れる礼拝があることを、共々に深めていきたいと願うものです。


森崇牧師

2018年12月30日 無題

2019年01月27日 10時56分01秒 | Weblog
無題

 クリスマスを終え今年もいよいよ最後の週を迎えました。今年一年の世相を表わす「今年の漢字」に選ばれたのは、「災」という文字です。2月に北陸の豪雪、6月に大阪北部地震、7月に西日本豪雨、9月に北海道地震や台風21号など、今年日本では災害が相次いだからだそうです。次々と起こる災害に遭われた被災者の方々がどのような思いで年末、年越しを迎えられているのかを思うとき、被災者の方々への主の励ましと助けとを祈らずにはいられません。
 私にとっての今年の漢字は、と考えてみましたら、「転」という文字が心に浮かびました。「うつす」「位置を変える」という意味です。10年間住んだ京都を離れ、故郷福岡に戻り、働く場を変わり、教会を変わり、住むところが変わりました。「転」という字には「ころぶ」「ひっくり返る」「方向を変える」という意味もあるように、まさに「方向を変え、どんどん変わってゆく状況の中で転げそうに」なりながら走り続けた一年でした。
 平尾教会・大名クロスガーデンの皆さまとも、4月にお会いしてからあっという間に8ヶ月がたちました。皆さまが私を快く受け入れあたたかい言葉をかけてくださったことを、大変ありがたく思っています。私の小さな思いを超えた大きな力が働いてくださっていると感じたことも一度や二度ではありません。その意味では、「転」と同時に「天」という文字こそが、私のこの一年を表わすのにふさわしい言葉なのかもしれません。
 皆さまにとって2018年はどのような年だったでしょうか。皆さまお一人お一人にとっても、「天」が大きな守りと祝福を与えてくださった一年であったことを、心からお祈りしています。


才藤千津子師