平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2015年10月18日 胆石除去手術の顛末

2015年12月27日 19時41分26秒 | Weblog
胆石除去手術の顛末

 10月初頭の突然の入院騒ぎで、「聖書講座」もドタキャンしたりして、各方面に多大なご迷惑をお掛けしてしまったことを、まず心からお詫び申し上げます。「胆石がありますから、痛みが出たらすぐに病院に行ってくださいね。遅れるとめんどうなことになりますから」。20年ほど前から主治医にこう言われてきた。しかしそれらしい痛みはこれまで一度もなかったので、もうそれはないのだろうと思っていた。
 それに、先輩牧師のA先生から、出張中にバス停で突然激しい結石の痛みに襲われて七転八倒し、救急車でその町の病院に運ばれて手術を受けた、という話をお聞きしていたので、それは突如襲いかかってくる激痛なのだろう、との予断を持ってしまっていた。だから、合計5回に及んだ今回の発作に伴なう痛みが、結石による痛みであるとはまったく予想することができなかった。
 なぜなら、今回の痛みは突然の激痛ではなくて、むしろ最初はいつも、まず「みぞおち」の部分に違和感が生じ、それがゆっくりとこぶし大の固い岩石のような感じになり、次に重苦しい痛みを伴なってそれが腹部全体に広まり、最後には巨大な岩石を腹部に抱え込むような感じになっていく、そういう痛みだったからである。キリキリと痛む鋭い痛みでも、ズキンズキンと痛む疼痛でもなく、むしろズシリと重い痛みだった。
 最終的なその痛みが激痛であることに変わりはないが、辞書はその痛みを「疝痛」(せんつう)と記している。座っても立ってもおれず、横になってもおれず、ただただ脂汗を流しながら2~3時間じっとその痛みが止んでくれるのを待つ以外に方法がなかった。MRIの写真には、胆のうのなかの14個もの石が、まるで行儀よく整列するかのように並んで映っていて、驚愕しつつも苦笑を禁じ得なかったが、もう一つ別の石が胆管にまで出てきて、今回の悪さをしたのだそうだ。
 『福音と世界』の「新約釈義」の原稿を提出し終わった直後の痛みだったので、これぞまさに「神さまのお恵み」と最初は思ったのだが、しかし事実はそうではなかった。実は最初の発作が10日ほど前にあったにもかかわらず、3時間後にそれが静かに消えてくれたのをいいことに、事態をそのままに放置してしまったことが、今回の胆のう炎の状態悪化を惹き起こしていたのだ。そのために、胆石除去の手術に続けてすぐに胆のう全摘出の手術を行なうことができず、改めて10月末に再入院して手術を受けざるを得なくなった。
 ともかく、根拠のない「予断」を持ったために、これはもしかしたら胆石の痛みかもしれないと思いつくことすらまったくしなかった自らの不明を、深く恥じている。しかし、今回この激痛をとおして、世の中にはこうした痛みを、それも持続的に抱えて苦しんでいる人々が多くいる、という事実への想像力を持つことができたし、それは、この世界の「苦難」を問題にしている私の「十字架の神学」のさらなる展開のためにも、大きな意味を持つ経験だったのではないかと思う。


青野 師

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