多様性に生きる群れ
私たちの教会の特徴は、多様性をできるだけ認めていくということだ。唯一認めないのは、この多様性を認めることを否定することだけ。しかし、これは、実に難しいことだと、それぞれが実感していることだろう。いい加減さ、だらしなさ、気の利かないことは赦しがたく、まして、道徳的にも、倫理的にも、一角の人物にはとてもこの多様性を認めるというのは困難なことであるかもしれない。
おそらく、自分はとんでもない人間であって、実にいい加減、めちゃくちゃな人間であり、何をしでかすかわからない、そのような自分に目覚めている人は、他者のことを云々すること自体にためらいを覚えるだろう。申し訳ないけれども、自分を筆頭に、すべての人はでたらめな一面を内包しているように思う。
残念だが、自分は破れだらけなのに、人の破れはよく見える。自分はあの人よりは、まだましだと思っている時もある。しかし、イエス様が御覧になるとき、お前も同じだよ、と言われるに違いない。多様性を受け入れるとき、受け入れがたい部分を含むことが多い。
イエス様は、当時の正しい人が受け入れられない人を受け入れられた。私たちの教会が多様性を認めるというのは、「愛します」という宣言と同じであろうと思っている。他国籍の人々、体に病や障がいを抱えている人々、多少の聖書理解の相違、好き嫌いに至るまで、いろいろな違いはあるけれど、我々は、キリストにあって受け入れようとする群れだ。
平良 師