平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2013年8月4日 礼拝の中に感動を

2013年08月10日 20時54分45秒 | Weblog
礼拝の中に感動を

 礼拝で感動を得たいというのは、キリスト者ならば誰もが思うことだ。感動を与える大きな要因は、説教だという方には、私は随分と落胆を与えているのだろう。ちょっとだけなら、感動していますよ、と答えてくれる人が半数以上いてくれることを願う。
 しかし、感動を与える要因は、説教だけではないだろう。奏楽、証し、讃美、聖書朗読、祈り、バプテスマ式、主の晩餐、祝祷、などの一つ一つもまた大切な要因である。しかし、今日の「平和の日礼拝」のように、礼拝にテーマ性を設けて行う主日礼拝もまた、感動を与える重要な要因となる。
 私たちの教会の礼拝には、召天者記念礼拝、家族の日礼拝、平和の日礼拝、敬老の日礼拝など、毎月1度くらいの割合で行っているテーマ性のある礼拝がある。これらの礼拝は、1年間の教会の歩みにめりはりをつけている。伝道一つとっても、その一番の場は、礼拝であると理解している。教会の中心は、礼拝であるから、伝道を考える場合でも、この場が同時に優れた伝道の場になっていなければ、誰も継続して来ようとは考えないだろう。
 今日の平和の日礼拝の中で、S兄他3名の方が、寸劇をしてイメージを豊かにしてくれたと思う。演劇ミニストリーが今年から始まったので、こうした演出もこれから行われるのはうれしい。しかし、最も重要なことは、この礼拝の場に聖霊のお働きが臨んでくださることだ。このお方なくしては、礼拝における感動は起こりえない。


平良師