平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2009年4月26日 恵みを数える習慣

2009年07月05日 14時37分31秒 | Weblog
    恵みを数える習慣

 何ごとにおいても恵みを数えることのできる方がいる。パウロは、「万事が益となるように共に働く」神様のお力について述べているから、それでいくと、私たちには、そのときにはとても恵みとは思えない事柄も、いずれ恵みとして数えることができるものになるということだ。つまり、私たちにあるのは、恵みだけなのである。
 2008年度の報告総会が今日行われる。この一年教会に与えられた恵みをあれこれと数えてみる。誰もが無条件で喜べる内容もあれば、そうでないものもあるだろう。しかし、そうでないものも、いずれは恵みと化することを信じよう。
 ちなみに、今日、朝から今に至るまでのことを考えてみる。恵みとおぼしきことは何か。今日もまた、教会に来て、あれこれの仕事をすることができた。伝道のことを教会を超えて考える機会が与えられた。大名における伝道にあれこれと思いを馳せることができた。他者を慰める機会をいただいた。妻の苦言に従ってよい結果を得た。励ましの言葉をいただいた。夕食の差し入れ。クロ大漁を夢で見た。コーヒーがおいしい。ソフトバンクの勝利。恵みと思えないこともあったが、それもいずれ益となるというのだから、数えてみる。
 妻からの罵詈雑言・・ハテ・・不思議と他には思い当たらない、たったこれだけ。そうか、一つが大きすぎて、他の恵みでないと思える事柄が、それほどに感じられないですんだのだ。なるほど、こうしたことで恵みになっている・・。


平良師