晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

がたろ 5/28

2009-05-29 | 日記・エッセイ・コラム

2009.5.28(木)曇、雨

 桂枝雀の落語に代書屋というのがある。私の好きな演題の一つだが、そこにがたろという職業が出てくる。がたろとは河童の異名で、「河太郎」と記すそうだ。転じて河で働く職のことを言うらしいが、落語では「河川に入りて、廃品などを回収す」などと履歴書に記することとなる。
 先日お客さまが上林山荘近くの上林川で大山椒魚の死骸を見つけたそうである。上林川の支流ならさもありなんと言うところだが、本流でも棲息している可能性があるということだ。先日かみさんが念道橋から茶色い大きな物体を見たと言っていた。軽トラを駐めて川面を眺めている人もよくあるのでひょっとしたら山椒魚かななどと思っているのだが、はたしてどうだろう。
 じょんの散歩のついでに念道橋からしっかり眺めていると、山椒魚はいないようだが、5,60cmはあろうかという鯉が悠々と泳いでいる。なんとも立派な鯉で、どうもみんなが見ているのはこの鯉では無かろうか。川沿いを散歩していると時折バシャッと言う音がして、水の輪が広がっていることがあるのだがこれもあの鯉に違いない。大きな鯉だけでなく2,30cmの鯉も数匹泳いでいて、小魚も群れをなして泳いでいる。特に岸辺には藻かなと思ったら小魚の群れだったりしてもの凄い。
 私の生まれた三和町の川合川は子供時分にはこのような魚や生き物の豊富な川だった。魚釣りもするけれど、夏の楽しみはうろづかみといって、魚の住む穴に素手でを突っ込み直接掴み捕りをするという超原始的な方法で遊んでいた。時にはナマズやウナギなどもいて大捕物となったりしたものだ。ところが河川の改修が進んですっかりこの魚がいなくなった。常に茶色の苔が付いて、昔ながらの渕や瀬が無くなった。葦や草の岸が総てコンクリートの護岸となった。めぐり巡って流れ込んでいた生活用水が直接川に注がれることとなった。魚影と共に魚捕りをする子供達の姿も消えた。
 上林川に清流が残っている理由は、河川の改修が歴史的に古く、護岸をコンクリートで固めるなどの工法がまだ成り立っていないからだと思っている。昭和28年に大水害が起こり、その後に河川改修が始まったようである。そのために土の堤防、葦の岸辺が残ってきたのではないか。流れ込む水は確実に汚染度合いが進んでいるだろうが、岸辺の植生が清流を護ってきたのだろう。
 山椒魚は見つけられなかったが、橋の下に一輪車を見つける。波が立って詳しくは解らないが、我が家のボロ輪号よりはましそうな感じだ。一番深いところに沈んでおり、引き上げにはかなり困難な感もあるが、橋の下流側からアプローチすると何とかなりそうである。それよりも困難なのは念道の家々から丸見えな事だ。「じょんのびの親父一体何しとんじゃ」という噂が流れかねない。しかし川の清掃、廃品の再利用とかなりエコな行動だと思うのだが、、、。うーむ、がたろという職業、これってエコな仕事ではないか。吉右衛もーんまた頼むわ。Img_2441

橋脚の横にお宝が沈んでいる。

【作業日誌 5/28】
枯れ草の焼却(ちっとも燃えず)
今日のじょん:いくみちゃんと散歩写真集

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左:出~発  中:念道橋手前 右:草食ったりしてImg_2443Img_2446

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左:念道橋渡る。  中:ぽんぽこぽんも大張り切り。 右:もー寝る。

コメント
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