晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

バスで行く大栗峠2-(4)

2018-09-03 | 山・峠

2018.9.3(月)晴れ

 小栗峠から山田弓削分岐までは稜線下のトラバース道である。峠から谷に下りずに稜線を辿る道の作りが木住峠清水道と同様でしかも広くて立派である。

右ゆげ道、左志ろ下(山田道)、行者スタイルも板についてきた。
「北山の峠」の金久昌業氏はどちらもそれが本道である旨書いておられるが、本道が本来の道という意味ならそれは間違いであろう。弓削道、清水道は後から必要に迫られて作られた産業道路だろうと考えている。どちらの道も峠に達するには遠回りである。しかし傾斜は緩く急なところはつづら折れになっている。そして牛馬、荷車の通行できる広い道なのだ。特に清水道は田辺(舞鶴)から京に向かう道としてはまるで逆方向に向かっているのだ。金久氏のただ道の広さだけをもって「本道かもしれない」というのは短絡的である。木住峠清水道は明らかに清水鋳物師の原料、製品の運搬用道路であると考えられる。井関家に大栗峠の通行証の木札が残っているというのは、大栗峠弓削道も清水鋳物師にとっては重要な輸送路であったに違いない。

こんなに広い峠道は弓削道、清水道だけである。
 今回の山行で弓削道に新たな発見があった。弓削道の中間点辺りに道が二手に分かれ十数メートル続いているところがある。その道は並行に並んでおり、その間は土手状の土盛りとなっている。この場所があることは従前から気づいていたが、特段気にも留めていなかった。ただ清水道を歩いたときに、尾根を登り切った地蔵堂の所に同じ状態の道を見つけ、弓削道にもあったことを確認したかったわけだ。
 これは休憩場所だと考えられる。歩くだけの通行人ならどこでも休むことは出来るが、牛馬、荷車となると行き交う人の邪魔になる。まして何台も荷車を連ねていたらなおさらである。脇道に荷車を並べておけば支障は無い。清水道では急な尾根を登り切った地蔵堂の所であり、弓削道では中間点辺りの傾斜が緩くなった所で休憩場所としては絶好の位置である。

パーキングエリヤか?
 もちろんすれ違いの牛馬荷車の待避場所としても利用されたと思うのだが、そうなると時間的な調整はどうしていたのだろう。いくら道が広いからといってもつづら折れの部分など牛馬荷車ではすれ違いは困難である。待避場所で待っていればいいのだが、相手はいつやってくるか分からない。列車のように時間が決まっている、峠や麓で狼煙を上げて出発時間を知らせる、先行の者を走らせて相手に知らせるなど色々考えるのは楽しいが、実際にどうやっていたかは判らない。
 長い下りで膝がガクガク言い出した頃に弓削の家並みが見えてくる。谷にコンクリートの白い橋がかかっている。桜井さんが「新しい橋をかけたで」とおっしゃっていたが、なんとも立派な永久橋だ。初めてこの峠道を下ったとき、腐れかかった土橋を倒木の桜を頼りにおそるおそる渡ったのが懐かしい。

防獣ネットは開けたら閉めること
 当初の予定では光明寺まで参って観音巡礼のまねごとでもしようかとしていたのだが、山道はともかく舗装道路を歩くのは強烈に疲れる。あっさりあやべ温泉で諦めて今回の山行はおしまいとする。おわり

コメント
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