晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

於見のこと-3 9/8

2018-09-08 | 上林地名考

2018.9.8(土)雨

 次に行う作業は、各地のミ地名のところを検証することである。それらが箕の形をしていればミ=箕説が正しいことが解る。
 三和町大身は大字なので地域が広い。全体が箕の形をしていると言うことはなく、小さな箕地形もはっきりしたものは見当たらない。ただ前述したように川畔の袋地形は見つかる。考えてみれば袋地形の入り口が広がったものが箕地形だから、袋状のところを箕と呼んだのかもしれない。そうすると鏡味完二氏の言うところの「オーミ=川畔の袋地」というのも当を得ていることとなる。
 大原大見町も顕著な箕地形は見られない。ただ大見川の上流部分は四方が山で遮られており、南東に大見川が抜けている。河川により作られた袋地形とはいえないが口の閉じられた袋のような地形である。
 園部町大戸に大見谷という谷が流れている。桂川に注ぐこの谷間にも箕地形らしきものは無い。谷の両脇は200m程度の尾根が連なり、出口付近はやや狭まっている。谷全体を大きな箕とみることは出来るがそれは地形図で見てのことであって、この谷の命名をしたおそらく古代人の目にどのように映っていたかは解らない。面白いのは谷を詰めて峠を越えて園部川に下ったところに、八木町室河原大見谷(大美谷)という地名がある。ちょうど園部安全自動車学校があるところだが、谷の様子はなく、大見谷に抜ける道という意味では無かろうか。
 和知町に大簾(おおみす)というところがある。京都縦貫道の大簾トンネルの下にある谷間の集落であるが、かつては田辺(西舞鶴)から京に向かう街道の村で、京に向かう草尾峠や七谷峠、大原(三和町)に向かう奥山峠などをひかえる交通の要所といえる村である。同地にある熊野皇神社はかなり古い信仰地であるようだ。大簾とはなにやら古い伝説でもありそうな地名であるが、大箕州(棲)の意味ではないかと想像していた。期待しながら地形図を見るが、典型的な箕地形は見られないし全体の形も箕とは無関係だ。ミのつく小字はないものかと探すがそれも無い。大字の地名を研究するときその中の小字を探す、小字の地名が大字の地名になることがあり、小字の地形が重要になってくるからだ。そしてもう一つ、その村のかつての中心地を探るときには神社を参考にすることがある。

2012年大簾を訪れたときは神社ばかり見て、向かいの州には意識が無かった。
 大簾の熊野皇神社を見ると、その前に広々とした田圃が広がっている。地形図で見ると大簾川の蛇行によって出来た三角形の州である。広いと言ってもこの谷の中では広いという意味だが、この形状は箕と言えなくはなさそうだ。神社の近くにミヤノワキ、宮の向という地名があるので神社の位置や流路は古代と変化していないと考えられる。もし大簾の由来がこの神社前の州であれば「大箕州」あるいは神社に対する敬称を重ねて、「大御州」となるのかもしれない。

大簾(京丹波町)の熊野神社の向かいは三角形の州になっている。

 明らかに箕の形状の地を発見できず少なからず落胆していたとき、決定的な箕地名を発見した。つづく


 

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