晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

於見のこと-5 9/15

2018-09-15 | 上林地名考

2018.9.15(土)曇り

 箕地形について盛んに述べてきたが、箕(み)が如何なるものか御存じでない方もあるのではと不安になってきた。年配の方や農家では御存じと思われるが、都市部や若い方には無縁のものである。竹で編まれていて、三方に縁を付け一方を平らにして、振りながら穀物の殻や塵を分ける農具である。形は丸いものや三角のものなどもあり、材料も竹に限らず木の皮などで作られたものもある。昨今ではプラスチックのものが主流で、かつてはブリキのものもあった。アジア独特のものかと思ったが、有名なミレーの「箕をふるう人」はフランスの風景だろうからヨーロッパにもあるもののようだ。
 穀物の振り分けだけが用途でないことは、稲を作っていない我が家にも3っつもあることでわかる。土や石、草木を運んだり、野菜などの一時的な保管などにも使え、ちり取り代わりにもなる。このように手に持って使う箕を「てみ」と呼んでいる。特に石や砂利などの運搬に使うのを「砂利みー」と呼んでいた。ホームセンターのチラシに「みー」と載っていたことがある。辞書には「み」と書かれているがどうやら「みー」「ミイ」というのが本当らしい。

今はプラスチック製だが本来は竹製(写真は玩具)である。

 箕が古代から存在しないと「於見」「みの田」の箕地形説はあり得ないこととなるので、上代語辞典で調べてみる。播磨風土記や天平の古文書にも登場するのでかなり古い代物であることが解る。ではいつ頃に登場した農具なのかと考えるに、やはり弥生時代あたりに稲作と共に江南地方や朝鮮半島から入ってきたものと考えがちなのだが、どうももっと古くから日本列島に存在したのではないかとみられる事象が出てきた。
 漢和辞典をみると「箕」キ、jiとよみ、字義として「ミ」となっている。韓日辞典でもよみはキ、キイである。今、朝鮮から日本に言葉が入ってきたときにどのように変化するか研究中なのだが、キがミに変わることがありやなしやというところである。それよりも有力な語源を見つけた、アイヌ語で箕はムイなのである。ムイがミイに変化するのは充分に考えられる。アイヌ語が縄文語のガラパゴス的な生き残りとすれば、箕(ムイ)は縄文時代からあったということになり、大陸からキが入ってきても変わらずにミイとなったと考えられる。縄文時代に箕が存在したという直接的な証拠は見つからないが、竹は縄文時代には存在しており、福島県荒屋敷遺跡(縄文後期)からは編まれた竹製品が出土している。孟宗竹の北限は北海道松前町と言われているようだが近世に移植したものとも言われているようだ。縄文時代はもっと気温が高かったので北海道でも竹林があったかもしれないが、アイヌのムイは木の皮などで作られたものだろうと言われている。つづく
 

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