晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

続・この写真にあこがれて 11/5

2017-11-05 | 文化に触れよう

2017.11.5(日)曇り

 天若はわたしのふるさとではないのだけど、この写真はなぜこんなにも郷愁を憶えるのだろう。この光は朝日なのか夕日なのかって書いたけど、妙に気になって調べてみた。これは朝日である。

 陸地測量部の昭和7年の地形図、つまり天若が湖底に沈む前の地図を見ると、文のマークは澤田にひとつしかない。1982年まで学校の増設がなければこの学校は澤田にあったといえる。Googleマップで過去の地図や航空写真を見られるのだが、データがあるのは1975年の航空写真だけで、すでに世木ダムは存在し、学校らしき建物は澤田にしか見られない。

 澤田の校舎の東は小山となっているが、早朝でなければこの小山の上から朝日が差し込むだろう。少女の影から見ても4月の朝の光景とみて間違いない。桜の咲き具合から見ると4月のはじめとみられるが、よく見ると桜の木の下に選挙の看板が見られる。右の二桝に候補者が写っており、下のポスターには林田の二文字が確認できる。1982年の4月11日は京都府知事選が執行され、林田悠紀夫氏が二期目の京都府知事になった時であった。その投票日以前の写真に違いない。
 少女が手にしているのは新聞のようである。新聞の配達をしていたのか、新聞置き場から自宅に持ち帰る途中なのか、いずれにしてもこの犬と少女が愛おしくてたまらない。この1年後に離村式が行われ、やがて村は湖底に消えることとなるのだが、この少女はそのことをどのように感じていただろうか。

朝日を浴びるとこのように写るのよね。これはうちのじょんデス。

コメント
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