晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

引地のこと(10) 10/17

2009-10-18 | 歴史・民俗

  2009.10.17(土)曇

 i  豊田市霧山町引地、則定町引地、上佐切町引地下
 巴川流域、足助街道に沿った三つの町の狭い地域に三つの引地地名がある。いずれも巴川から支流を遡った地にある。霧山町引地は巴川とその支流の境となる丘陵地の谷間にある。この周辺の気になる地名は壱貫目、羽根上切、下切、羽根洞、ジュリンナ、ヤゲ、オーツケなどである。神社としては白山神社、熊野神社がある。 
 則定町引地は霧山町引地の北、直線距離で300m程、一山越えたところにある。この山中に上切という地名があり、同じ巴川支流の下流に当たる。この支流の南に面した地域で、川を挟んだ西北側にやはり熊野神社がある。
 巴川本流に戻り、下佐切町に至り、そこから支流を東に遡ると上佐切町に至る。この支流の源流近くに引地下があるが、引地という地名は見あたらない。気になる地名は堂切、中切、稲洞、堂ノ洞などである。

 前回洞地名について、銅鉱山の跡ではなんてことを書いたが、よく考えるとこれほど沢山豊田市のあちこちにあるはずがない。またしても郷土資料館に聴こうかと思ったがその前に少し調べてみようということで、サイトを探ってみる。韓国では洞(ドン)というのは日本で言う町みたいなもので、ソウルの明洞(ミョンドン)は有名だし、大浦洞はテポドンというそうだ。日本国内では「洞地形」といって谷の一番奥の行き詰まったようなところを洞というそうだ。源頭となっているところは開けているが水は伏流となっている、人が住むのはやはり水流の出てくるいわゆる洞地形のところらしい。もちろん地名に現れ「~洞」という地名となるそうだ。なるほど地形図で見ると豊田市の洞の付くところは洞地形のところが多そうだ。残念、私の目算がまたはずれてしまった。
 逆に嬉しい発見もあった。上林の引地の氏神様であるところの葛禮本神社(くずれもと)の御祭神が金山彦命(かなやまひこのみこと)ということだ。天目一箇命と同様金属関係の神様である。この神様の祀られるところは鉱山あるいは金属精錬などのなされていた地域であることがいわれている。神社の草創は不明だが、弘治2年(1556年)に斧初めをして神社が再建されたとあるので(上林風土記)それ以前に草創されていると推測される。所在地が睦合町中風呂1ということで、以前紹介した東みよし町の引地の時に風呂がふいごのことであるということを思い出した。
 末社である栄鉾神社に縄文中期と目される1m近い大型石棒があるという。この石棒が古来からこの地にあるとしたら相当古くから拓けていたところであろう。神社のある浅原地区はあずらといい、中風呂の他に夕船(ゆふね)というところもあり製鉄、タタラの地ではないかと想像する。奇しくも明日秋祭りが行われるということで、店の都合を見て可能ならば行ってみたいものである。(本来は10月15日がお祭りだが、近くの日曜日としているようだ)

【作業日誌 10/17】
芝生削り

今日のじょん:イタリアングレイハウンドのそらちゃんが来じょん、大変お珍しいお客さまなんだが、じょんはお構いなしに追い回すので家の中に入れられた。それで
も未練がましくカーテン越しに覗いているのはいつものこと。Img_3219Img_3220

コメント
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