自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

庭の草刈りとケラと

2013-07-31 | 日記

7月31日(水)。曇ったり,小雨がぱらついたり,晴れたり。さらには雷鳴と共に雨が激しく降り出したり。ついには夕刻,大雨・洪水警報が発令されました。とにかく蒸し暑い,妙な天気の一日でした。

しごと場の庭の草がずいぶん伸びているので,草刈り機を使って刈りました。終わってみれば,一輪車で10回程,刈り取った草を運んでいました。顔には汗が筋を引いて流れ落ちる程,暑さを感じました。マア,程ほどには休憩もとりながら作業を行ったのでしたが。

さて,こういう作業時はふしぎに自然とのゆかいな出合いがあるやら,思わぬ発見に恵まれるやらするので,結構たのしみなひとときでもあります。それで,ポケットにはコンデジをしのばせています。今日もまた,そんな出合いがあってカメラが役立ちました。

玄関脇の芝生にノジギクを植えたプランターを置いています。これを移動させると,下は土が剥き出しになります。偶然そこに,ケラが一匹いたのです。今季,これで三度目の出合いです。

土は湿っています。ミミズが何匹もいます。棲み心地は結構よさそうです。ケラは成虫でした。突然明るくなったのでびっくりしたのでしょう,懸命に土を掘って潜ろうとしました。

なかなかすばやい動きです。迷惑なはずだし,危険を感じたはずです。適当に観察を切り上げて,ケラのするままにしておきました。これで,ケラがこの付近にかなり棲んでいることは間違いありません。思いがけない,うれしい出合いになりました。

 


ジャコウアゲハ観察記(その251)

2013-07-31 | ジャコウアゲハ

また,羽化が始まりました。今羽化しているジャコウアゲハはニ化目の締めくくりに当たります。これが産卵することで,三化目に入ります。

『ジャjコウアゲハ観察記(その247)』 で取り上げた個体が,午前7時過ぎ,羽化近くなりました。 

 

それが羽化したのは7時40分。 朝の慌しい時間だったため,羽化の瞬間を撮ることはできませんでした。

一日後の同じ時間帯,今度は『ジャコウアゲハ観察記(その248)』で取り上げた個体(メス)が羽化しました。羽化直後の写真が下のものです。

実は,この日は出勤日。羽化が間近に迫っているのがわかっていました。それで植木鉢とカメラを自動車に乗せて自宅から出発したばかりの頃でした。蓋が開き始め,黒い成虫がゆっくり姿を現しかけたのです。それで近くの空き地に停車して,写真に収めたのでした。 

またこの日の夕刻,『ジャコウアゲハ観察記(その249)』 で取り上げた個体を見ると,抜け殻だけが残っていました。

7月下旬は成虫誕生のラッシュです。『アゲハ庭園』にたくさんのジャコウアゲハがやって来ることでしょう。

 


ヤマトシジミと卵

2013-07-30 | 昆虫

ヤマトシジミはいたってありふれたチョウです。幼虫の食草はカタバミです。この草は道端やコンクリートの隙間など至るところに生えています。それで頻繁に見かけるのです。環境への適応性が抜群のシジミチョウといってもいいでしょう。

我が家の『アゲハ庭園』で今,百日紅の花が咲き誇っています。そこにヤマトシジミがたくさん訪れ,吸蜜に勤しんでいます。たくさん集まれば恋も芽生え,ペアが生まれます。片隅にカタバミが生えているので,そこに卵を産み付けます。

食痕を手掛かりにして探すと,葉の裏にちゃんと卵が見つかります。あちこち,一個ずつ産み付けられています。真っ白い色をしているので,目立ちます。ユニークな姿をしているので,一度見たら忘れられません。極小の卵が規則正しい模様をもっていることが,ふしぎにさえ思えてきます。

直径0.55mm,高さ0.24mmだとか(『虫の卵ハンドブック』文一総合出版刊参照)。とても小さいので,そのユニークさがわかる程度に別の写真でトリミングしてみると……。

正面からの写真(一枚目)に,赤い色をした小さな卵が写っています。直径は,ヤマトシジミの卵の1/4程度,つまり0.14mm程です。とくべつ小さな昆虫の卵なのでしょう。産卵した主がわかるとおもしろいのですが,まず無理かと思います。

ふしぎなのですが,幼虫が一匹も見つかりません。食痕があったり,葉が完全に食べられて葉柄だけになっていたりするのに,幼虫がいないとはどうも妙です。

こんなわけですから,当分,ヤマトシジミから目が離せません。

 


科学の祭典『火打石を使って火を起こそう』

2013-07-29 | 日記

昨日は,『青少年のための科学の祭典』 でブースを出展しました。ブース名は名付けて『火打石を使って火を起こそう』。

この日は,県下一連の開催としては皮切りとなります。わたしは,今回この地区での開催に初めて協力し,初めて火打石を使った発火法に絞って出展しました。

結果は自分として充実感の味わえるものになりました。子どもたちには,石と鋼鉄を打ち付けて火花を出すという体験そのものが新鮮だったようであり,またそれを炎にできる術がとてもふしぎで,珍しかったようです。

わたしの印象に強烈に残った点があります。それが複数あったため,一層「これはスゴイ!」といった満足感を味わうことができたのでした。その例をいくつか。

その1。幼稚園児から高校生まで,興味深く火起こしを試みる姿が絶えませんでした。もちろん,おとなだって! 6時間の開店時間中,試みる子が途切れることはほとんどなかったほどです。 

その2。A君(小4)の粘っこい挑戦に触れて,子どもの知的好奇心の発露を頼もしく感じました。同伴のお父さんの話によると,A君は野外活動に強い興味を持っているということで,こうした手作業で汗を流すのをちっとも苦にしないとか。「水がないところでキャンプするときは,遠くから水を汲んで来なくてはなりません。そうした苦労を子にさせておきたいのです。火を起こすのも同じです」とも。親の姿勢が子の育つ方向を左右する好例だとみました。A君は何度も何度も試みて,ついに成功したのです。“追求の鬼”の萌芽が見えました。

その3。K君(小4)。この日のイベントに参加しようと,遠くから来てくれました。昨年,わたしが別の会場で出展したブースで摩擦式発火法に何度も挑戦したそうです。それを聞いて感激。今回もとことん挑み続けました。他のブースにも行きながら,客が少ないのを見て繰り返しやって来ました。そして,とうとう10回近くも発火に成功したのでした。K君のこころに,個性的な芯を感じました。これも“追求の鬼”の萌芽でしょう。

「これなら,もしかするともっと豊かな体験をプレゼントできるのではないか」。そう思い,一週間後に別の会場で行われる科学の祭典に,ボランティア参加してはどうかと提案してみました。「K君なら,お客さんに喜んでもらうことをたのしめる筈。それに,発火法のコツがもっと見えてくるよ。時間があれば,2時間でも3時間でもいいからいらっしゃい」と伝えたのです。それでK君はもちろん,ご家族からも前向きの返事をいただきました。

その4。発火に成功したいちばん小さな子は小学校1年生でした。使ったのは合金フリントで,発火しやすい金属です。たとえそうであれ,驚きました。

終わって一日を振り返ったとき,科学の芽を育てるための種を少しは蒔けたのではないかと感じました。心地よさの広がる気分! ハッピー! 

 


ウマノスズクサの花(さらにさらに)

2013-07-29 | 花と実

昆虫がウマノスズクサの花に入る瞬間を目撃したのはたった一度。中に入っている昆虫を見たこともただ一度。しかし,その昆虫ハエはすぐに飛び去りました。それで撮影したことがありません。何とかして見たいと思い,簡単な手を打ちました。

花にハエ類が入っていることを前提にした手です。花を切り取ってそれをしばらく冷蔵庫に入れておき,取り出してからカッターで切るのです。そうすれば,見られる可能性,撮影できる確率が増すでしょう。

さっそく,やってみました。ワクワク,ドキドキして切りました。するとどうでしょう! 見たいと思っていたハエが入っていた! それも三匹! わたしの期待感を一層高める結果になりました。

壺の直径はせいぜい8mm。体長はほんの2~5mm程度。小さなハエにも大きさの違いがあります。これはスゴイ出合いです。人知れない花の世界で,このように活動している昆虫が存在していて,花と昆虫は互いに持ちつ持たれつの関係を保っているのです。

考えてみれば,アリが甘味成分を舐めていた事実と重なって見えてきます。ハエはこの甘味が好物で入ってくるのかもしれないのです。

花のしくみとワザ,ハエの嗅覚のスゴサがつながって見えてくる生物学的な事実です。ここでも,「ほほう!」のしくみが巧みに機能しているわけです。

 


ジャコウアゲハ観察記(その250)

2013-07-28 | ジャコウアゲハ

『ジャコウアゲハ観察記(その248)』で取り上げた個体が蛹化しました。前蛹になってから24時間内で順調に変化しました。今度は,レンズの位置を個体の右斜め上に設定して,その瞬間を待ちました。

姿はまるでゆりかごです。見ていると,激しい動きがしばらく続き,頭胸部の背中側が裂け始めました。

裂け目が大きくなって,頭部が現れました。前蛹の頭を覆っていた皮が真っ二つに。 

蛹が動くたびに,皮は後方に送られていきます。蛹の触覚と脚がはっきり確認できます。 

皮はおしまいまで送られ,この後落ちていきました。3分程の誕生のドラマ。生まれたばかりの蛹は,時折ピクピクッとからだを動かします。そうして,まもなくからだが反り,かたちが定まっていきました。 

一人で見るには勿体ないので,こういう場合はいつも家族で見ることにしています。「どの生きものも,生まれるということはドラマチックね」という会話が生まれた瞬間でもありました。 

 


ジャコウアゲハ観察記(その249)

2013-07-27 | ジャコウアゲハ

『アゲハ庭園』 に植えたウマノスズクサでは,たくさんの幼虫が育っています。この程,二化目の終齢幼虫1個体が庭で前蛹を迎え,さらに蛹になりました。

場所は温室の窓枠で,アルミサッシ面です。前蛹から蛹への変化はほんの3分。写真で振り返ります。

正午前の出来事です。通りかかると,前蛹が大きく動いていました。蛹化直前だとみて,すぐにカメラを準備。

「ははーん,割れるな」と思った途端,頭部・胸部の背が裂け始めました。 

頭部の皮が割れ,からだの前半分が現れました。赤っぽい体液が 点になって,付いています。これは誕生時には付き物です。体内から滲み出しているものか,あるいは体表についていたものか,わたしにはわかりません。

この部分をトリミングしてみました。

脱いだ皮が,尾端方向に少しずつ送られていきます。 

変化は異常なく進行していきました。 

この後,皮は落下。何度見ても,誕生のドラマはこころを打ちます。見飽きることはまったくありません。 

 


竹紙作り,作品作りのお手伝い(1)

2013-07-26 | 日記

しごとの一貫で,子らの夏休み自由研究を念頭におき提案型サポートを進行させている最中の話題です。

近頃の自由研究の内容がどうなっているかよくわかりませんが,学校に提出する・しないにかかわらず,長期の休みに何か意味のあることにじっくり取り組むことはこころに大きな糧を残す筈です。こころがものごとと取り組むことにしっかり向き合って汗を流すことは,これからの学び方や考え方によい刺激を与えてくれる筈です。

それも,子どもだけではなかなか着想できなかったり,できてもどうやればさっぱりわからなかったりする場合は何も始まらないことになります。これでは,勿体ないようなテーマと巡り合う機会すらありません。それなら,こちらからテーマを提供し,これに乗っかかってくる子が現れれば,精一杯,子ども自らがミニ研究家になる雰囲気の中で活動を組めばどうか,これが今回の提案型サポート『竹紙を漉いて作品を作ろう』です。要するに,“子どもが主役”の心得なのです。

うれしいことに,提案に対して一人の子ども(A君,5年)が応募してくれました。

まずは一日目(7月26日)。紙の作り方を見たこともない少年ならなおさら,それを手作業で作る工程を把握する必要があります。A君は,紙が木を材料にして作られていることを知っていますが,紙を引き裂いて繊維が見た経験がありません。今日これをルーペで見て,目が大きく開かれたようです。

さて,工程を学んだ場は地元の和紙研究所。案内をしていただいた紙漉き名人のFさんから,A君はたくさんのことを学び,聞き取りもしました。

その後,研究所傍の清流で,竹から繊維を取り出す作業を行いました。竹は,わたしが河川敷の藪で採集し準備したものです。A君には,やり方次第でいとも簡単に繊維が取り出せ,その繊維がたいへん丈夫であることが印象に残ったようです。作業を進めている1時間近く,驚きや発見のつぶやきが続いたのでした。

これからA君を応援する試みが始まります。わくわくしています。 

 


アゲハ,孵化から蛹化へ,そして羽化へ(1)

2013-07-26 | アゲハ(ナミアゲハ)

我が家のスダチでアゲハが産卵しているのを見届け,その卵を採集して来て孵化から観察しました。今回の卵は三個。こうした継続観察と撮影は何度も繰り返してきたことなので,要領は熟知しています。ただ,孵化や蛹化といった大変化の起こる時間は予想が付きますが,昼か夜か,勤務の日か,休みの日かで対応がすっかり違ってきます。

できれば,休みの昼間を希望したいのですが,自然事象のことなので,成り行きにこちらが合わせるほかありません。それが観察と写真撮影にはきびしい環境です。プロの写真家とはまったく異なる環境でもあります。

卵の孵化は,三個とも勤務日に起こりました。つまり,多少の時間のズレはありながらも一斉に孵化したというわけです。こういうことはほとんどありません。それで,職場の理解を得て被写体をわたしの机上に置き,大変化を撮影することにしました。

それが下写真のものです。

卵その1(午前9時39分撮影)。

卵その2(午後2時7分撮影)。

卵その3(午後2時47分撮影)。

このときは,周りの仲間にも状況を説明して見てもらいました。わたしの関心事について理解を得るチャンスでもあります。

この幼虫を飼って,今度は蛹化を待つことにしました。 

 


書くこと,撮ること

2013-07-25 | 日記

書くことは思うこと,考えることを整えることだと思います。そこには必ず推敲,吟味という作業が加わります。どんな拙い一文であれ,人に読んでいただくことを前提にする限り,誤解が生じないように,文意が腑に落ちていくように,ことばを整える必要があります。

今のところ,書きたいことがわたしにはあります。些細なことでも,見ること聞くことを通してわたしのアンテナにひっかかってくるモノやコトが続きます。そうしたものは一日に必ず一つや二つはあります。うっちゃっておくのは勿体ない程のモノ・コトが続くと,ストックした題材や事柄が積み上がっていきます。

それを面倒がらずに丹念に書き綴るのは,わたしがわたしのいのちを生きる証しだと思っています。書くのは億劫ではありません。しゃべるように,語るように,自由に書くのは束縛がなくってわたしには合っています。いずれ,書くことについてのわたしの思いについて整理しようと思っています。

それはさておき,こんなわけですから,書きかけの原稿が溜まっていきます。雪だるま式に増えるというふうでもありませんが,原稿がなくなることはありません。

そこに,撮った写真を加える作業が重なります。今,撮る行為はじつにたのしい,と感じています。深い意味もなく行っていた“見る”行為が,繰り返しレンズを通して対象を記録していくうちに“観る”“視る”意味を重ね持つようになります。そこには発見が生まれます。発見は,この歳になっても“追求心”をくすぐります。

今日は,ブログの正式開設から1001日目を数えます。節目の出発日です。実際は2010年5月から準備にかかって,その年の10月に定期的な更新を始めました。以来,できるだけ更新に努めてきた結果,たくさんの方々にアクセスいただきました。ほんとうにありがとうございます。

自然にゆたかに展開されている生きものたちのいのち。“ミリのいのち,センチの蠢き”。これがわたしの目に映る主要なテーマです。目に映れば,こころがわくわくします。躍ります。アクセスいただく皆様に,わたしというフィルターを通して自然の多様な姿の一コマ一コマを引き続きお届けできれば,と願っています。

以上のような取り留めのない事柄をこころの内で整理しながら,今日は自宅脇の排水溝の草引き作業をしました。きれいな水が僅かに流れ,草が根を思いっ切り拡げていました。とくべつ自由な姿を見せているのがアメリカセンダングサです。

より多くの栄養分を摂ろうと根を伸ばしています。栄養分を程々に吸い上げられれば,茎を程々に伸ばします。根が拡がれば,からだ全体を支えるのはまことに容易です。からだのバランスは,生きものが生きている環境如何を教えてくれています。

草を取り除くと,そこも生きものの宝庫。羽化して間もないハグロトンボが休んでいて,トノサマガエルが潜んでいて,傍をシマヘビが通り過ぎて。

引き続き,ご愛読くださいますように……。