自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

今年のロウバイ(10)

2015-02-28 | ロウバイ

前にも書きましたが,ロウバイの花はやや下向き加減,あるいは真下向きに咲く傾向があります。それで,訪花昆虫を確認する際は,しゃがんで見上げる格好になります。つまり,その窮屈な姿勢をしないと観察できないし,撮影もできないことになります。さらに,昆虫を確認してから三脚を置いて,撮影の準備にかかります。

そうしている間に昆虫が飛び去るとたいへん! それで,大急ぎで準備を整えなくちゃなりません。

下写真は,そんな苦労の中で写したハエのなかまです。ゆっくり動いているので,いついなくなるか予想がつきません。 

 
口吻を出して,餌を舐めています。「しめしめ」と思いながら,シャッターを切ります。

 
わたしが記録する写真はあくまで生態ですから,こういう場合,食餌行動をしっかりとらえたい気持ちです。つまり,口吻が餌源にぺったり付いているときなどは最高! 動きがあります。それに比べると,口が見えない風景はなんとなく殺風景に思えます。


疲れる姿勢を保ちながら,なんとか撮れたら「ほっ!」とします。

 


子どもの呼称「君」「さん」の話(前)

2015-02-28 | 随想

今月,和歌山県で小学5年男児が,また神奈川県では中学1年男子生徒が刺殺されるという痛ましい事件が起きました。これからの時代を生きる若齢期真っ只中のいのちが失われるのは,なんとも悲しい話です。

未成年者が被害者になったり被疑者になったりした場合,少年法の規定や人権擁護の立場などから実名報道を控える例が多い中,今回は,被害児童・生徒は実名で報道されました。事の重大性から敢えてそうなされたものでしょう。

その報道ぶりでちょっと立ち止まって感じたことが一つ。それは被害者の呼称のことです。そこから,報道機関の姿勢がなんだか見えるような気がしたのです。

例1。和歌山県事案(小学生)の場合。

  • 「さん」付け……NHK
  • 「君」付け………M紙,A紙,Y紙,S紙(以上全国紙),K紙(ブロック紙)

例2。神奈川県事案(中学生)の場合。

  • 「さん」付け……NHK,M紙,A紙,S紙
  • 「君」付け………Y紙,K紙 

ここから指摘できるのは,以下の点です。

  • 小学生,中学生を問わず一貫して「さん」付けしているのはNHK。
  • 小学生,中学生を問わず一貫して「君」付けしているのはY紙,K紙。
  • 小学生と中学生の間に意識差があるのはM紙,A紙,S紙。

報道機関の姿勢って,様々だなあとついつい感じてしまいました。「これが小学1年生ならどうなのか」「高校生ならどうなのか」。想像すると,またまた話のタネになりそうです。

なお幼児の場合ですが,先日のNHKニュースでは,2歳の女の子は「ちゃん」,4歳の男の子は「君」でした。一貫した姿勢に見えるNHKにしても,やっぱり,どこかに境界線を設けているようです。

ところで,これまでに「さん」「君」の境界線がどこにあるかなんて,まったく聞いたこがありません。自ずと,そしてそれなりに,各社でできているのかもしれません。それだけ,世間でも曖昧模糊とした話題なのでしょうから。

以上は,単なる問題提起程度の話です。


ここで,すこし脇道にずれます。

過去を振り返ると,男子児童・生徒には「君」,女子児童・生徒には「さん」付けが当たり前の時代が続いてきました。やがて人権意識なり男女共生意識なりの高まりとともに,おしなべて「さん」付けにしようという声が一部から出てきて,運動に発展するかに見えました。その動きは,「男女混合名簿」運動と重なっていたように思われます。

その頃,わたしは小学校に勤め,学級担任をしていました。あるとき,近隣の学校に職員研修会に招かれ,学級づくりについて話す機会がありました。講話後の質疑応答で出てきたのが,この呼称話でした。

一人の方が「わたしたちの学校では,男の子を『さん』付けにしなくちゃいけないのかどうかで,議論しているのですが,先生はどう思われますか」と聞いてこられたのです。

話を聞いていくと,学校として人権の視点でかなりの取組をしていらっしゃって,職員の意識が高まっている様子。そんな中で,「さん」付けというかたちにこだわることがどんな意味を持つのか,わかりかねるし,ほんとうにこだわり抜くのがいいのか,迷いがあるというわけです。

                                            (つづく)

(注)写真は本文とは関係ありません。

 


早春,マンサクの花と訪花昆虫(16)

2015-02-27 | マンサク

小雨模様の早朝。その小雨がたまたま止んでいる午前7時。「この天気で昆虫が来ているだろうか,もしかすると昨夜,マンサクの枝をねぐらにした昆虫がみつかるかもしれない」,そんな淡い期待を抱いて,ちょっと行ってみました。

そして,アカバナマンサクを見ていくうちに驚いたことが! さっそく食餌をしている個体が見つかったのです。ユスリカのなかまです。


隣りの花は上向きに咲いているので,中には水が溜まっています。ユスリカが訪れている花は,幸いにして横方向に開いているので,ユスリカが餌にありつけるというわけです。

動きから,しきりに食していることが伝わってきました。その動きとは,ほとんど静止状態で頭部をぐっと入れる,そして出す,またぐっと入れる,そんな動作なのです。動きが止まることもあります。また,からだの位置を変えることもあります。

しかし,他の花に移動することなく,一つの花で集中して食餌をしていました。

わたしが,さらに驚き,こころからうれしく思ったのは,口器(下写真の矢印)が伸びて,「あっ! 汁を吸っているみたい!」と見える場面を目撃できたことでした。このチャンスを逃さずに写真に収めることができたのです。わたしにとってベストショットです。


昆虫の写真を撮るということは,昆虫行動学の視点に立てば「ある目的を持って行動している姿」「一連の生活環における,確かな変化」を画像に残すことだと,わたしは考えています。

雨模様の日に昆虫などまず活動していないだろうと思いつつ確認していった,思わぬ結果が,このようなすてきな目撃に結び付きました。

 


写真展,終了

2015-02-27 | 日記

2月27日(金)。

2週間の日程で開催してきた写真展『早春。昆虫の小宇宙』が,今日最終日を迎えました。会場にはほとんど行けなかったので,ご来場いただいた方々には申し訳なさを感じています。出かけた日は,とても印象深い出会いがありました。それで,「ずぶの素人なのに,大胆にも写真展を開催してこれでよかったのかなあ」と思う反面,「ほんとうによかったなあ」という気持ちもあります。


寒い最中に,昆虫が生きて活動している意外性をお伝えできたことが何よりです。「冬でも昆虫が見られるんですか」という声に,思わずニコッ。子どもたちにも見てもらえたこと,うれしいですね。

作品を通してお伝えしたかったことが何とかお伝えできたように思います。このことを考える上で,芳名録に書かれた“ちょこっと感想”は貴重な手がかりになりそうです。いくつかご紹介しておきます。

  • 身近に,こんなたくさんの種類のハエ,ハチ,アブ,アブラムシがいるのですね。
  • ハエって,こんなに美しいのですね。
  • ただただびっくり!! 害虫じゃなかった。
  • 生命の輝きを感じました。
  • いつもいやがってたハエ,カ。花にとってはたいせつな生命の担い手。愛情を感じました。
  • 先生らしいせめ方の写真でした。
  • 見に来てよかった。クモもお願いします。
  • 久し振りに,大学で岩槻邦男先生の研究を聴いたことを想い出しました。すばらしい世界がありました。
  • 別世界をのぞかせて頂きました。説明を読んで,更に感動!
  • good!!

作品準備に当たってお世話になった恩師に終了の報告に行ったのですが,「ただただ驚いた。根気がよく続いたものだ。チャンスを実にうまくとらえたなあ」という感想をいただきました。高校で生物を教わった先生だけに,わたしにはとくべつうれしい一言でした。

冒頭,出会いのことを書きました。新聞記事に取り上げていただいたお蔭で,うれしい出会いがありました。教え子との20年振りの再会。何年も出会えていなかった知人との出会い。……。写真展を介した数々の出会いに深謝。

さらには,会場を管理していらっしゃるスタッフ,ボランティアの皆さんからいただいたご配慮には,ただただ感謝です。

あれやこれやで,思っていた以上の作品展になったこと,うれしく感じています。

 


早春,マンサクの花と訪花昆虫(15)

2015-02-26 | マンサク

見たことのあるハナアブが訪れました。体長8mm。腹部がうんと細くなった,独特の体型は,たぶんコシボソハナアブでしょう。コシボソハナアブといってもいくつか種類があります。そのうちどれなのか,ちょっとわかりません。 


しばらく食餌をした後,花の上できちんとした姿勢をしました。ほんとうに,ピンと。 


そのあとプイッと飛び上がって,近くの枝に止まりました。そうして,そこでからだを盛んに動かして身づくろいをしていました。 ときどき,後脚を妙な格好で曲げました。じつにふしぎな動作に見えました。いったいどんな意味があるのでしょうか。

 
観察事実に勝る証拠はありません。とにかく自分の目で目撃し見届けることが,いのちの実態に迫る武器になります。見れば,なにか感じるものです。

 


今年のロウバイ(9)

2015-02-26 | ロウバイ

花にすっぽり入り込んでいたのが,写真のハエのなかま。何という名か,今のところ,さっぱりわかりません。頭部がとても小さく見えます。

オシベがメシベと離れているのは,他株から花粉が運ばれてくるのを待っている状態を示しています。そこに来た昆虫は大歓迎すべきところなのですが,このハエは貢献しているようには見えません。

 
この花の花粉がハエに付いて,他の花に運ばれる可能性はありそう。


花の中で,すこしずつ動きながら食餌をしていました。環境はこの上なくよさそうです。

下方向に開いた花を見上げて撮影するのは,なかなか苦労がいります。しかし,苦労の甲斐があって,写真に収められたら気分はいいものです。

ハエはしばらくいて,飛び去りました。

 


早春,マンサクの花と訪花昆虫(14)

2015-02-25 | マンサク

アカバナマンサクの花弁ときたら,もう,大した赤色の持ち主です。まことに鮮やかで,どきっとするような濃さを誇っています。これが大きな花弁だと冬のこの時期なら観察者の目玉が飛び出してしまうぐらいの強烈さだと思われますが,実際はとてもしっくり見えます。

誇張し過ぎず,それでいてピリッとその存在をアピールしている感じなのです。わたしは,この木が気に入っています。赤い花を敏く見つけて訪れる昆虫がいるということは,やっぱり色で虫を招く戦略が功を奏しているのでしょう。 

さっそく,ユスリカのなかまが来ていました。体長はせいぜい2mm程度。

 
花に頭部を突っ込んで,というよりも体全体が花に埋まっている,とでもいう格好です。

 
別の花でも,同じなかまが活動中です。

 

 
からだにはちゃんと花粉が! 1,2mmの世界に,こういういのちの展開があるというのは驚異的です。  

 


発火法の手ほどき

2015-02-25 | 日記

2月24日(火)。お二人の女性が仕事場に来られました。発火法を体験して覚えたいとのこと。それで伝授しました。それぞれに,自然の中で子どもを育てる保育に強い関心があって,実践していらっしゃるそうです。

「発火法は技術なので,ポイントさえ押さえれば,誰でも容易に身に付けることができます。ほとんどの人が,とてもむずかしそうにおっしゃいますが,そんなことはありません。呆気ない程簡単です。誰にでも再現できるのが技術です」。そんな話から入りました。

先ず,摩擦式を取り上げてキリモミをはじめいろいろな発火法について説明していきました。その中で,発火法に共通した技術ポイントをお伝えして,炎を作るまで演示。その後,マイギリ式に挑んでもらいました。

ここでは摩擦力に打ち勝つことに多少の苦労があったものの,お二人とも成功。大喜びされていました。


次に,打撃発火法の火打ち式を取り上げました。これも呆気なく成功! 大いに感動なさっていました。

実際は,説明も含めて1時間半程度かかっていましたが,初めての人でも,たったこれだけの時間で習得できるわけです。「これが発火技術というもので,科学の範疇の話です」。こう,わたしは結んでおきました。

3月終わりに,野外保育の一年間の締めくくりイベントを計画されているようで,そこで火を起こして料理をしたいと話され,火を起こしてほしいと依頼されました。わたしは,「その場にいて協力させていただいてもいいですが,火を起こすのは主役である皆さんの手で。わたしは見守りながら脇役に徹するのがいいですね。その代わり,必要に応じて助言します。それなら安心でしょう」とお伝えしました。わたしが前面に出ては,皆さんのホンマモンのたのしさが生まれないでしょう。とくに,こうした体験活動では。

結局,そうすることになり,お二人は気持ちのよい表情でお帰りになりました。

 


はじめに感動ありき

2015-02-24 | 随想

もっぱら昆虫の生態を追いながら写真を撮っていると,小さな虫に宿るいのちを感じてしまいます。そして,こころが激しく揺り動かされます。レンズを通してあれこれ感じ,そして思うのが,近頃の習慣になりました。「いのちがどうつながっていくのかな」「この虫,今なにを感じているのかな」「次にどんな行動に移るのかな」。そんなふうです。

それで,頼りないながらも,想像したことが当たっていると,思わず微笑んでしまいます。さらに,その場面を写真に収めることができたら,もう感動ものです。その写真は,その場の印象とともに克明に記憶に残ります。

感動が結晶体となってひとつの作品に仕上がる,今,そのことがなんとなく理解できます。

過日,絵画教室を主宰されている画家(U先生)から招待を受け,近隣市の美術館で開催されている美術展に出かけました。その美術展は,市在住及び出身の画家の作品を紹介するものです。当然レベルの高い作品に圧倒されるばかりで,それらが所狭しと並んでいました。


画材もテーマも,技法もじつに様々。一人ひとりの個性の違いが画法の違いにつながり,一人ひとりの画法の違いが絵画の多様性を生み出し,さらに多様性が絵画芸術の豊かさを形づくっていることに,改めて感じ入りました。絵を愛する人の数だけ絵の個性が存在することが,とても新鮮に思えてきたのです。

鑑賞者には,鑑賞者の数だけ「これはとくべつにいいなあ」という絵があるのですが,どれも主張がじつにくっきり迫ってくるなあと感じました。よく考えてみると,それは創作者がその人としての感動をしっかり持って,主張を込めようとしていることの裏返しなのだろうと思われます。

U先生の一つの作品に次のような説明文が付けられていました。「タバコ乾燥場で老夫婦が寄り添うように働く姿に出会い,探し求めていたものに会えた幸せに浸りながら一心に絵筆を持っていた」。あとでお聞きすると,老夫婦を結ぶ愛にこころが引き寄せられたのだとか。

この方にして,この“感動”! 描きたいものを探し続け,やっとそれに会えたときのこころの震え。それを想像しただけでも,先生のわくわく感が見えてきそうなのです。解説と併せて絵を観賞すると,味わいが一層醸し出されます。絵を描くことは感動を表現すること。これがU先生の変わらぬ創作・創造の原点なのです。

さて,わたしは生態写真を撮っていますが,芸術作品を追求しているわけではありません。ただの素人として,昆虫のいのちを追うたのしさを昆虫から学んでいるに過ぎません。

ほんのたまたま,そのいのちの動き・変化がシャープに見えたとき,生き生きとした姿を写し撮れることがあります。シャープに見えたときは,後でよく考えてみると,自分がすっかり夢中で被写体にのめり込んでいるって感じなのです。生き生きとした姿を写し撮れたというのは,かたちできたという意味です。したがって,感動した瞬間なり夢中になっているひとときなりを,かたちにできるのはこの上なくうれしいものです。わたしの場合も,やはり感動があらゆる営みの原点です。

今,芸術としての写真の美を追求しようとする気持ちはさらさらありません。そんな力のカケラもないことはわかっています。そうしたこととは距離を置いて,昆虫たちの生のいのちからたくさんの感動物語を味わいたい,写真撮影を通して自然との対話を続けたいという気持ちです。

 


早春,マンサクの花と訪花昆虫(13)

2015-02-24 | マンサク

キタオオブユと思われる昆虫が一匹。今冬,初めての出合いです。頭を花に突っ込んで,懸命に餌を口にしています。 

 


そこに,アカムシユスリカがやって来ました。 

 


どうなるのかなと思って注目していると,ブユの上を通り過ぎて行きました。 そして,また戻って来て,同じようにブユの上を歩いて通過。ブユはまったく知らぬ様子。感覚でわかったのかどうか,それはわかりません。

 


そのうちに,ブユは隣りの花に移動しました。そこでも餌を摂っている様子。長い脚で,姿勢をしっかり保ちながらの行動から,「この体形にして,この行動あり」という印象を強く持ちました。 

 


ひととき餌を食べると,花弁を歩いて端まで進み,やがて飛び去りました。横から見ると,なんと長い脚! 前足は体長ぐらいはあるでしょう。 

 

 
花粉の運び屋さんは多種にのぼります。