自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

おかしなことば遣い(又々)

2013-03-31 | 随想

Aさんと出会ったときから,Aさんがおっしゃった「他市町の広報紙では,医師の呼称をどう扱っているのでしょう」ということばが気になっていました。そしてその後たまたまある市の広報を見る機会がありました。それで,問題意識をもってすこしばかり見ていくうちにびっくりしたことがありました。つまり,ここでも相も変わらずといった実態が浮かび上がってきたからなのです。

休日の当直勤務医をお知らせする欄が設けられていました。その欄を簡単に解説すると,こうです。

  • 「診察日」「診察時間」「ところ」などの項目に並んで「担当の先生」と書かれている。その下に,医師の分担表がある。
  • 分担表の項目欄に「担当の先生」とある。
  • 「担当の先生」欄に書かれた医師名それぞれ(5人)の後ろに「先生」が付されている。 

結局,小さな記事中に“先生”ということばが7回も繰り返されているのです。

同じページにいくつか相談事業のお知らせがありました。それらはたとえば,心配ごと相談であったり,人権相談であったり,障害者相談であったり,です。そこに書かれた相談員の名前にはまったく敬称はありません。ですからもちろん,“さん”も。あるのは名の前に,「民生委員」「人権擁護委員」といった肩書きだけです。これこそが常識的な編集姿勢でしょう。

この市の広報をじっくり読みとると,医師だけが突出した異様な扱い方がなされていると感じとれます。結局,わたしの住む市だけの問題ではないことがわかります。なぜこうした古い体質が残り続けるのかといえば,古さに気づかない人がほとんど,気づいていも問題提起しないまま,といった感じだからでしょう。あるいは,「お医者さんは偉いんだ」という感覚が生きた化石のごとく息づいているからでしょう。

はっきりいえば,わたしも進んでは問題提起しなかった一人です。情けないといえば,そうなのです。「こんなこと,敢えていいたくもないしナア」なんていう気持ちでしたから。それを棚に上げてこんなことを平気で書くのは恥ずかしいことだと承知しています。わたしのような人間を増やさないためにも,小さくても意味ある積極的な提言なら,市民の声をきちんと受けとめる工夫がいるわけです。ところが,今はそれがありません。行政には,システムをきちんとつくり上げ,提起された問題に誠実に応えていく体制を整えていただくよう期待しています。

医師という職業が人のいのちをあずかる,社会的貢献度の高いしごととは思いますが,広報紙で常時“先生”付けするのはいかがなものでしょうか。職業に貴賎を感じさせるような扱いを行政は率先してやってはいけないはず。行政担当者には,時代を読んでお手本を示せるように資質向上に努めていただきますように。

(注)写真と本文とは関係ありません。 

 


セツブンソウの種子

2013-03-30 | 植物

セツブンソウは漢字で書くと文字通り“節分草” 。節分の頃に咲く,キンポウゲ科の早春植物です。希少植物で,自生地は減っているといわれています。こころない人が掘り起こして持ち帰ることも一因とか。

わたしの住む地域では,知人のIさんの所有地に生えています。もちろん,群生して。

先日,Iさんから連絡をいただきました。「セツブンソウの花がいくつか咲いています。来てください。県下でも数箇所しかない群生地の一つです」と。聞くと,昨年群生地に除草剤を撒いてしまったので,大きく育っていたものがほとんど枯れ,花は数輪しかない,ということでした。その代わりに,来年以降に咲くと思われる小さなセツブンソウがわんさかと育っているとか。

それで,時間を見つけて群生地を訪れたというわけです。場所は静かな山間部。わたしの家から,自動車で30分ばかりの道のりです。なぜここに? なぜこんなに? そんなふしぎをついつい感じる生え具合です。花はまったく見当たりませんでした。下写真の矢印は花後に膨らんだ子房です。

群生地はクリの木の下にあります。一本の高さは高くてもせいぜい10cmまでです。 

膨らんだ子房をアップで撮りました。豆みたいです。一つひとつが莢状の袋になっています。長さは1cm。これを袋果と呼んでいます。

袋果にいったい何個程の種が,どんなふうに入っているのか,知りたくなりました。それで,一本だけ持ち帰って,解剖してみることにしました。

開いてみると,6個の種子が入っていました。種子はまだ熟する前段階ですが,あとどれぐらいで一人前になるのでしょう。

さらに拡大して写しました。 

単純に計算すると,一つの花からは18個種子ができると考えられます。花によって違いはあるでしょうが,その程度です。それらの種子が発芽して子孫が殖えていくのですから,数は殖える一方です。

種から発芽するのが一年目。そこから地中に塊茎が育っていきます。やがて花が咲きます。調べると,そこまで三年かかるそうです。それで,訪花昆虫にはどんなものがいるのでしょう。是非,自分の目で突き止めたくなってきました。

Iさんのお蔭でまた一つ植物とのたのしい出合いができたこと,うれしく思います。

 


ヒメハナバチか,ハキリバチか

2013-03-29 | 昆虫と花

オオイヌノフグリの花を観察してると,ごく小さなハチがやって来ました。

からだ中が白い毛で覆われ,からだの大きさと比べるとずいぶん長くてしっかりした感じの触覚が印象的です。口吻が蕊の根元に向かって伸びているのが見えました。

たぶん,ヒメハナバチかハキリバチあたりでしょう。わたしには同定する材料がありません。こんなに小ぢんまりした,それでいてかたちのしっかり整ったハチが訪れるのを見たのは初めてです。それで,一層こころに残りました。 

そっと近づけば,向こうも気づきません。しかし,気づかれると見事な程に敏感に反応します。結局,遠ざってどこかに行ってしまいました。

この日は,3匹,別の群落で見かけました。もっと暖かくなると,もっと見かけるようになるでしょう。ハチが活躍する季節が巡ってきたのです。 

 


おかしなことば遣い(又)

2013-03-28 | 随想

おかしなことば遣いは学校にもたくさんあります。直近の例として,過去一年間に目にして気になったものを学校通信から抜き出しておきましょう。

4月号。転出する教職員を紹介するコーナーは「転出される先生」というタイトルで,「〇〇先生,お世話になりました。ありがとうございました」という一文が付いていました。そして,転入教職員については「お世話になります」とありました。

いくら何でも,同僚に対する労いのことばを,わざわざこうした紙面で書くのはいかがなものでしょうか。もう一方のことばの場合,そもそも転入してくる人への歓迎として掲載するのが妥当なのでしょうか。

3月号。あるトピックの中で「校長先生」ということばが3回繰り返されていました。例えば,「退職される〇〇校長先生」とか「校長先生は満面の笑顔と涙目で応えられました」というふうに。公のことばとしては,子どもにとっては「校長先生」であっても,教職員にとっては「校長」でしょう。加えて,「退職される」「応えられました」なんていう尊敬語を紙面で敢えて使うのがいいか,です。

ふつうの社会感覚なら,「退職間近の校長」「〇〇校長,思いも寄らぬ生徒の気配りに涙」程度で締めくくるでしょう。職員同士は,社会一般に向けては,いわば身内関係者として振る舞わなくてはなりません。それが健全なとらえ方だと思うのです。

学校が出すあらゆる公文書の最終責任は管理職が負います。当然,学校通信も。これを思うと,通信についてどういうふうに点検体制がとれているか気掛かりです。

わたしの推測ですが,沁み込んだ古い感覚が吟味されることなく単純に今に至るまで続いているのでしょう。内向きの目から抜け切れていないのです。これが学校のかたちです。こういった感覚は長年の積み重ねなので,なかなか退治できません。管理職がこうした体質の持ち主だったり問題意識の希薄な人だったりしたら,いよいよ改善は無理です。

『校長が変われば職員は変わる』。校長が変わろうとしてもなかなか変われない体質を引きずっているのが学校の現実です。体罰への対応一つ考えてもわかります。子どもには変化に対応する力を身に付けさせると標榜していながら,結局,学校自らが社会の変化に対応できていない一例です。社会が見えてほしいですね。変革が困難な状況だと理解していますが,それでも本気で学校を変えようとする人が育ってほしいと願っています。

ことばはこころを表しています。そして,組織人としての感度を見定めるのにたくさんのヒントを与えてくれます。

(注)写真と本文とは関係ありません。 


ヒメヒラタアブがたくさん

2013-03-27 | 昆虫と花

過日,活動を始めたヒメヒラタアブについて触れました。それから気温がぐっと高くなり,道端ではかなり目立つようになってきました。

よくよく目を凝らしていると,あっちでこっちで花巡りをしている姿を目にすることができます。

オオイヌンフグリの群落を見ていると,確かに1,2匹は見つかります。外敵に敏感に反応するようで,観察者であっても脅かさないようにとても慎重に近づかなくては写真撮影ができません。近づくと,からだ中が花粉まみれになっているのがわかります。花の大きさとからだの大きさを比べると,こうなるのも至極もっともなことです。お蔭で,花は大助かり。 

オオイヌノフグリに混ざるようにして,ハコベが花を付けています。小さな小さな,真っ白い花です。オオイヌノフグリにとまっていたアブがここを訪れました。もちろん,後を追ったので同一のアブであることは明らかです。

小さなからだの食欲を満たすには,余りある蜜が存在します。この群落はなんと贅沢な“レストラン”なのかと思ってしまいます。 

 


ヒラタアブの幼虫は大食漢(続)

2013-03-26 | 昆虫

前回(正)で観察結果を報告したちょうど一日後の話です。早朝でした。見ると,前日とまったく同じ位置にとどまっていました。ということは,ほとんど体力を消費していないということになります。じっとそこにいるなんて,なんと辛抱のいいこと! そう思うのは,人間の勝手なのでしょうか。

見てびっくりしたのは,さっそくアブラムシを食べていることでした。じっとしていても,食欲は旺盛なのです。その分,からだの大きさがわずかに大きくなっている感じがしました。

アブラムシの体色は黒。アブの幼虫は口の辺りが白っぽいので,対照的な色合いで目立ちます。もちろん,写真に撮りました。周りにはやっぱりアブラムシが何匹もいます。仲間の非常をまったく知らないようです。

 

そのときから12時間経ちました。夜です。幼虫がどんなふうにしているか確かめました。するとびっくり! アブラムシを捕らえて食している最中でした。またまた,食べているのです。

位置はまったく変わっていません。動かなくても慌てなくても,餌は向こうからやって来ます。なんと贅沢で優雅な暮らしぶりか。いったい一日に何匹食べるのでしょうか。

しばらくは,このままで観察を続けようかと思います。 

 


ヒラタアブの幼虫は大食漢

2013-03-25 | 昆虫

ほんとうに惜しいことに,空き家になった隣家の片隅で観察継続中だったホトケノザ株が処分されてしまいました。なぜか,誰がしたのか,まったくわかりません。その株が空き地に無惨に放置されています。

「これでは産卵したヒラタアブは災難だろう」と思い,いくつかの茎を調べました。すると,卵が1個葉に付いていました。それを採集して水を入れた容器に差しておくことにしました。

その翌朝のこと。卵がどうなっているか探しました。しかし見つかりません。「はて,おかしいな」と思いつつ,もっとよく探していくと,なんと幼虫が見つかったのです。体長はせいぜい3mmといったところでしょう。背中に褐色の鈍い模様が付いています。これははっきりヒラタアブの幼虫の特徴を示しています。

ところが,もう一度よくよく確かめていくと卵があったのです。ということは,幼虫は別の卵から既に孵っていた個体だったことになります。一つの茎に卵と幼虫を見たわけです。これは幸運!

しばらくしてから見てみると,アブラムシを捕らえて口にしていました。初めて見る光景に,わたしは固唾を呑んで見守りました。それで写真で記録しておくことにしました。

時折頭をもたげて,獲物をグウッと持ち上げるようにしています。からだの位置は動かず,上半身だけが活発です。 アブラムシは降参しているようで,ほとんど動きはありません。近くにいるアブラムシはまったく無頓着です。知らぬが仏といった感じなのでしょうか。なお,以下三枚の写真は葉の裏を上向きにして撮ったものです。本来なら,天地が逆になっています。

じっと見ていると,アブラムシのからだに丸い玉状のものが付いているのが目に止まりました。明らかに体液だとわかります。こうして一つのいのちがヒラタアブのいのちを支えるために,静かに消えて行ったのです。 

食べ終わってしばらくすると,もう次のアブラムシをくわえていました。今度は黒っぽい体色をしたアブラムシです。こんなに次々と食べるとは! 大食漢を象徴するような食べぶりです。アブラムシは慌てて逃げる素振りはちっともありません。ヒラタアブの幼虫のからだの上を平気で歩いています。そんな環境で暮らしていると,幼虫はいくらでも獲物を口にできます。 

アブラムシはどんどん子どもを産みます。ヒラタアブはアブラムシの存在を本能的に悟り,その傍らに産卵します。二つの昆虫のかかわりだけにとどまらず,そこにテントウムシやらアリやらが加わって,いのち相互の関係が多様に膨らんでいきます。これがホトケノザで進行しているドラマなのです。 

 


ホトケノザの種子とアリ

2013-03-24 | 昆虫と花

ホトケノザの季節を迎えました。今,花が満開です。

小さな種子がちらばって,あちこちに生えています。畑や空き地や,コンクリートの隙間に,いくらでも生えています。畑で野菜を作っていると,この草にはずいぶん迷惑を被ります。退治できないのです。放っておくと,すぐに大きな株になってしまいます。 

よく見ると,種がたくさんできかかっています。もっとよく見ると,落ちそうになっている種の一方の端に白いものが付いています。鞘に収まっていた種子の,根元側です。下写真の左端に写った種子がその例です。実は,これはこの種に仕掛けられた戦略なのです。 

この白い物質には,エライオソームと名付けられた成分が含まれています。それはアリの大好物。これを目当てにアリが集まってきて,巣の方に運んでいきます。あるいは,成分だけを舐めとります。エライオソームがなくなると,もちろんアリは見向きもしません。そうやって,種子が拡散していくのです。

下写真に写った種子にも,おいしそうなエライオソームが付いています。 

コンクリートの上には,アリがたくさん見られました。 ホトケノザの種が落ちていれば,当然アリが関心を示している筈。そう思って,見ていくと,何匹ものアリが案の定種子を舐めたり,運んだりしていました。種はアリを誘引するのに成功したのです。 

エライオソームはカタクリやスミレの種にもあります。 このはたらきは自然の妙です。 

 


テントウムシとアブラムシ

2013-03-23 | 昆虫

アブラムシの棲みかをどうやって巧みに見つけるのかわかりませんが,ヒタラアブやテントウムシがはかったように訪れます。アブラムシにとっては,それらの昆虫は天敵なのです。

わたしが観察をしているホトケノザの株にホソヒラタアブとクロヒラタアブが頻繁にやって来ます。吸蜜行動の場合もあるのですが,産卵を目的にして訪れることもあります。幼虫がアブラムシを捕食して成長するので,ここは格好の場所になっています。

茎や葉の裏側には,おびただしい数のアブラムシがいます。

葉の表側にも,いることがあります。脱皮後の殻だってあります。

そして茎にもたくさん。 

天敵のテントウムシがやって来ていました。じっとしていましたが,口元だけは盛んに動かしていました。そこは餌の宝庫なので,捕食でそんなに慌てる必要もなさそうです。 

食べる・食べられる関係は,生物界では当たり前のように生起する現象にすぎません。その場面は,限りなく動的で,刺激的な光景であるはずです。大きな生きものか,小さな生きものかにかかわらず,そうでしょう。目の当たりにできるかどうかは偶然でしかありませんが,もしヒラタアブの幼虫やテントウムシがアブラムシを捕らえて食べるシーンを写せるとしたら,これはもうスゴイショットになるに違いありません。

どちらの生きものもありふれているので,注意深ささえ持ち続ければいつか観察できるでしょう。スゴイショットをものにするのが,わたしの夢です。 

 


おかしなことば遣い(続々)

2013-03-22 | 随想

この話題の初回は,医師にかかわる敬称“先生”について取り上げました。この話の続きを書こうと思います。

その後,市行政に近いところでしごとをされている知人Aさんと話す機会がありました。Aさんは歯に衣を着せない方で,行政に直言できる立場にあります。行政や教育関係者の努力と今後の課題を語ったうえで,わたしにこう聞かれました。「市民感覚で,行政や教育について注文があれば教えてほしい」と。それで,遠慮なく,市の教育やら行政やらについてわたしの思うところを伝えました。ついでに,市の放送で気になることば遣い,広報の“先生”の話題も出し,改革提言をお願いしたのです。

Aさんは人権感覚のたいへんするどい方なのですが,わたしの話を理解されたものの,そうした点をまったく把握されていませんでした。何だかとてもふしぎに思われました。話を聞いて,「初めてそんなことに気づきました。確かに問題があります。他の市ではどうなんでしょう」という感じで,問題を慎重に捉えようとされている様子でした。

もしかすると,他の市町でもそんな古さが残っているのかもしれません。残っていてもすこしもふしぎではありませんが,わたしには現状はわかりません。その程度の応え方しかできませんでした。それでもせっかく話題にしたことですから,市で改善が行われれば,と思ったのでした。

それから一カ月も経たない先日,配布された広報紙を見てびっくり! 医師が交替で連載しているコーナーで,執筆者名から敬称“先生”が取り除かれていたのです。なんとすっきりしたことか! 長年の慣わしがやっと修正されたのです。これは,明らかにAさんの提言によるものでしょう。ありがたいことです。これで,毎号とんでもない表現を見なくて済みます。

ところが,ところが。同じページの別の欄にこんなタイトルがあるのには,また仰天! 『新しい先生を紹介』。着任医師の紹介コーナーの話題です。これでは体質が変わっていない! ほんとうにたまげました。わたしの皮膚感覚とはひどく離れています。自分の感度が変に歪んでいるのかとさえ思えてきて,逆に怖くなりました。

これはやはり,徹底した体質改善が欠かせないようです。問題意識が足りなさ過ぎます。

                                              (つづく)

(注)写真と本文とは関係ありません。