自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

晩秋のタンポポと昆虫

2014-11-30 | タンポポ

晩秋の道端にて。

黄色いタンポポがあっちこっちに,ほんのすこし咲いています。ほとんどはセイヨウタンポポです。過日,自然探検で子どもがタンポポを見つけて「今頃,咲いているの?」とふしぎそうに尋ねました。それで,セイヨウタンポポと在来種の違いを伝え,見分け方,寒い時期のタンポポの開花について触れておきました。今後,冬の自然観察の視点として取り上げられそうです。

さて,寒い中,タンポポを訪れている昆虫を見かけました。オオハナアブです。タンポポはセイヨウタンポポ。 花粉を舐めているというのでなく,じっとからだを休めているというふうでした。寒さに耐えているのでしょう。からだには花粉が付いているので,あちこちの花を訪れていたのは確かです。

 

 
別の花に,ヒメヒラタアブがとまっていました。口器を伸ばして,餌を舐めているのがよくわかりました。一所懸命の様子です。

 


また別の花に,クロヒラタアブが訪れていました。日が射していたので,割合動きが活発でした。

 

 
こうした昆虫たちは,間もなく,寒さの本格的な訪れとともに姿を消します。 今精一杯生きているんだなと感じさせてくれる風景でした。

 


葉裏に産付された正体不明の卵

2014-11-30 | ホトケノザ

庭や畑のあちこちでホトケノザの茎が伸び,閉鎖花を付けています。ホトケノザにはアブラムシが好んで棲みます。それを察知してヒラタアブが,アブラムシのすぐ傍に産卵します。

空き地でヒラタアブの卵と幼虫を探しているとき,真っ白い卵がポツンと一粒,葉の裏側に産み付けられているのを発見。直径は0.7mm弱。これまでに何度かこれを見てきましたが,成虫の正体はまったくわかりません。


表面には,丸みのある突起が規則正しい筋をかたちづくって何列も走っています。高さは,直径寸より短いようです。


もっとないか,探してみることにしました。そうしたら,あちこちにポツンポツンと見つかり始めました。そのどの例もが,1個ずつ単独で産み付けられていました。中には,一枚の葉に2個ある例がありましたが,それも離れていました。


産み付け方はとてもしっかりしていて,葉に付着しています。チョウかガの卵だろうと想像しているのですが,どうなのでしょうか。

こういう場合は,とりあえず継続観察するほかありません。幼虫が出てきたとしても,正体はわかりません。卵図鑑でもあれば参考になるかもしれませんが,そんな重宝なものは手元にないし……。

わたしが今,少なくとも知りたいのは次の点です。

  • ホトケノザを食草とする昆虫に産み付けられたのか。
  • 越冬態は卵かどうか。

もしかすると観察が発展して,思いがけない出合いが待っているかもしれません。当分,卵の変化を追ってみようと思います。

 


11月29日の昆虫たち

2014-11-29 | 日記

11月29日(土)。曇り。最低気温8.6℃, 最高気温19.5℃。

今は,暦の上では秋から冬に移る時期にあたります。今日,ウォーキングをしていて,目にした昆虫をすこしだけ。「まだ寒さが緩いので,これだけいるのだなあ」という感想をもちました。

その1。キチョウがわたしの前を横切って飛んで行きました。なかなか元気そうでした。

その2。カブラハバチ(?)の幼虫がスイバにいました。その横に,イナゴがとまっていて,葉の上には糞が転がっていました。路上のイナゴも含めて,ぜんぶで四匹見かけました。


その3。オオイヌノフブリの花がポツリポツリと咲いていて,一つの花にモンキチョウがとまって蜜を吸っていました。そこから舞い上がるとヨメナの花に移って口吻を伸ばしました。


その4。ヨモギの葉にヨモギハムシのペアがいました。日を浴びて,翅が輝いていました。


その5。アキノノゲシの茎に,ガの幼虫が一匹。シロシタヨトウです。蛹で越冬しますから,変態を間近にしているのです。この幼虫はヨトウムシ類の一つで,多食性であり,農作物に大きな被害を及ぼす害虫として知られています。


生きものがめっきり減った近頃ですが,このようにまだ結構見かけます。

 


ノートの表紙から消えた昆虫

2014-11-29 | 随想

表紙写真が昆虫で統一されていた,S社の子ども向け学習ノートが今,話題になっているとか。人気ナンバーワンだった,つまりいちばん使われていたノートだったかと思います。

2年前に姿を消したそうで,「なぜ今になって?」と思うのですが,それはおいておきましょう。

店頭から消えていった理由というのがなかなか考えさせられるものなので,この話題にすこし立ち寄っておきます。

どういう経緯があったのかというと,教師や保護者から「気持ちが悪い」「娘が昆虫写真が嫌でノートを持てないと言っている」「授業で使うとき、表紙だと閉じることもできないので困る」といった抗議が寄せられたことに端を発しているとか。その後社内で検討を重ね,結果,「一人でも嫌だと感じる人がいるのであればやめよう」という話に落ち着いたらしいです。過敏なほど消費者思いの,丁寧な対応だなあと感じます。なにしろ,40年続けてきた主張をスパッと捨て去るに至ったわけですから。

でも,ほんとうのところはそんな簡単なものじゃないのかも,です。企業間競争というものがあって,すこしでも売る上げが減るのは困るとか,少子化の流れのなか,消費者を向こうに回すのは得策ではないといった思惑がはたらいていることは十分に考えられます。

人間の好みの問題なので,昆虫が好き・嫌い,それがあるのはしかたないこと。どんなことであれ,好みが商品の売り上げにつながるとなれば,会社が相当な検討を行うのは理解できます。


ところで,この報道ですこし気になったことが数点。

その1。好みに細かく合わせるのは困難でも,社としてこのデザインを残し,他のデザイン入りのノートを発売できなかったのか,ということ。一律同じデザインで勝負するということ自体,消費者の好みが大きく変化している今の時代,問い直さなくてはならないことです。多様な好みに対応する手を打つのが順当かと思われます。

わたしには,それはちょうどランドセルの色の多様化と重なって見えてきます。子どもの選択眼をたいせつにしようとすれば,そうした環境づくりこそ大事ではないかと思えてきます。 

花とかパンダとか犬とかの写真なら無難らしく,それらを表紙にしている会社があります。でも,その写真,わたしは好きにはなれません。色が毛羽立って見えるものがありますし,構図がひどく月並みなのです。

その2。昆虫の好き嫌いをつくった土壌をもうすこし検討すべき,ということ。女の子は虫嫌いとよくいわれますが,こよなく虫を愛ずるなでしこもいます。ひどく嫌うおのこもいます。それが現実ですから受け入れるほかありません。

性差との関係はよくわかりませんが,いずれにしても環境が子どもの志向を左右することは多分にあること。親が虫を避ける傾向があれば子もそうなりそうですし,教師氏がそうであればなおさら子どもたちは目を背けることでしょう。

ごくふつうの場合,親の立ち位置としては,虫を避けようとする子どもなら,そのこころを助長するような言動は極力控えるのがよいかと思います。子の先回りをして周りの環境を都合のよいものにしようとするのでなく,すくなくとも今の環境下でより望ましい選択ができる子に育てていく方向を失わないことです。多少は我慢しなくてはならないこと,ある程度妥協をして折り合いを付けなくてはならないこと,そんなことはこれから山ほど子どもの前に立ちはだかります。

教師もそうした点を心得て対応しなくては。他のノートを使えばいいぐらいのアドバイスをすれば済む話です。

唱歌に「手のひらを太陽に」(やなせたかし 作)があります。その中で出てくる生きものは,ミミズ,オケラ,アメンボ,トンボ,カエル,ミツバチ,スズメ,イナゴ,カゲロウ。これらは数多くの生きものの一例にすぎません。それでも,「生きている」それらと「友だちなんだ」ということばが光ります。この歌,子どもはどう感じて歌っているのか,気になってきました。きれいごとの教えほど,子どものこころに背く話はありません。 

その3。教師から「気持ち悪い」という声が上がった背景を吟味すべき,ということ。

なにが気持ち悪いのか,報道ではわかりません。この教師氏は昆虫教材を扱うとき,なにを思い,どう教えている(きた)のでしょうか。特定の教材を扱うときでなくても,小さな子どもは虫に興味・関心をもつのが至極ふつうで,日常的に学校に生きものを持ち込むのは自然なすがたなのです。そのときに,どんな表情をして,どう受けとめて,子どもの気持ちをどんなふうに共有しようとしているか,気になりました。教師氏の言動なり行動なりが子どもを昆虫から一層遠ざける要因になっていなければいいのですが。

教師も人間なので好き嫌いはあるでしょう。虫嫌いで育った子が教師になれば,当然虫を好まない教師であり続けるのはわかります。そうであっても,「気持ち悪い」で片付けてわざわざ会社に“クレーム”をつける心境はどんなものなのでしょう。想像しがたいものがあります。 

今回の話題は,子どもを含め人の好みが土の匂い,生きものの息遣いから遊離して,きれいにざあーっと流れようとしてはいないか,問題提起しているようにも感じられます。

(注)写真は本文とは関係ありません。

 


クモの自然死

2014-11-28 | 生物

寒くなると,生きとし生けるものは越冬に備えます。虫たちは,卵,幼虫,蛹,成虫,いずれかで寒さに対応していきます。

クモの多くは卵で冬を越します。成虫は,いのちを卵に託して死に絶えます。クモが死ぬ場面を目撃することはほとんどありません。知らぬ間に,知らぬかたちでそっと死に絶えるからです。

ところで,つい先日,思いもかけず死に絶えゆく場面を目撃することになりました。場所は自宅の前栽。木に巣を掛けて棲んできたジョロウグモがついに死期を迎えたのです。

朝,何気なくクモの巣を見ると,変わった格好のクモがゆっくりゆっくりからだを動かしていました。近寄って確かめると,脚が取れて二本残っているだけです。「ああ,弱っているなあ」と一目でわかりました。

 

 


昼,ほとんど静止状態でした。指をそっと触れると,動くには動くといった様子。 

夕方,まったく動きませんでした。とうとう,ひとつの小さないのちが果てたようです。たとえクモであろうと,精一杯に生きた末の死は,じつに見る者のこころを打つものです。

下写真は翌朝早く写したもの。しずかなしずかな光景です。いのちをいただいて生き抜いてきたいのちのかたちが,ここにあります。

 

  


わたしの“虫の目”写真展

2014-11-27 | 随想

今日の記事内容は写真展のことです。写真展といっても,いわば画廊で作品を展示するような体裁です。展示期間は今日11月27日(水)から年末まで。会場は地元の科学館。そこの壁面を使って,軽易なスタイルで行います。

タイトルは銘打って『虫の目写真  ~夏から秋へ~』。展示作品数は20点あまり。写真サイズは,四つ切ワイド並びにA4です。すべて虫の目レンズで撮ったものばかりで,虫の世界のふしぎやたのしさをお伝えできる作品に仕上がっているのではないかと自負しています。実際,何度となく野外に足を運んだ結果めぐり合えた場面の数々であり,写し撮れた幸運な一枚一枚なのです。ときには(何度も),腹ばいになって地面を這いながら被写体を追ったことが思い出されます。


さて,虫の目写真についてすこし。虫の目写真とは『虫の目レンズ』と名づけられたとくべつなレンズで撮った写真のことです。とくべつというのは,被写界深度がたいへん深いレンズを使用しているため,接写から広角(画角150度!),遠景までを一挙にカバーできる機能をもっているからなのです。

仕上がった写真は,画質・鮮明さこそ今一歩といったところですが,自ずと虫の目線に立って考えざるを得ない吸引力を十分持ち合わせています。「このとき,虫はなにを思っているのかなあ」「なにを見つめているのかなあ」などと,想像がかきたてられます。また,「昆虫の世界はそんなふうになっているのか」という意外性も味わうことができるでしょう。さらには,虫が生きている環境,つまりわたしたちにとっての自然環境についつい思いを馳せてしまう,といった問題提起性も秘めています。


したがって,わたしがいうのはおかしいのですが,おとななら「ほほーっ!」とうなずき,小さないのちをピリッと感じられるかも,です。もしかすると,ヒトもこれら昆虫と同じいのちを持った生きものだと逆に思えてくるかもしれません。子どもだと,仰天して声を上げるような気がします。これはあくまでわたしの見方・感じ方です。参考までに,下写真は虫の目レンズを装着したカメラです。先端部にフラッシュを付けています。

 


出展作品には,これまでに本ブログでご紹介した作品もあります。大きな写真で見ると,改めて昆虫の生きている世界が新鮮に映り,数々の事象が互いにつながり合っていることがおわかりいただけるでしょう。繰り返しになりますが,昆虫について,そして自然環境について,今一度考えるきっかけになればと願っています。

たくさんの皆様のご来場をお待ちしています。といっても,科学館なのでおとなは入館料が必要になります。あらかじめお断りしておきます。子どもはココロンカードで入れます。

 


カマキリの食欲

2014-11-26 | 昆虫

アゲハの庭園にて。

手入れをしていると,なんだか嗅いだことのある甘酸っぱい匂いが漂ってきました。 「あれはアゲハが臭角を出したときの匂いだな」と,瞬間思いました。「はて,レモンか,キンカンの木にでもいるのか」と思い,頭を上げて脇のキンカンの木を見た途端,ドキッとするシーンが目に飛び込んできました。


ハラビロカマキリがクロアゲハの幼虫を捕まえて食している最中でした。幼虫は真紅の臭角を出して,もがいている様子です。突然襲われたのですから,びっくり以外の何ものでもないでしょう。すでにからだが引き裂かれ,惨めな姿に成り果てていました。


道理で匂いがしたはずです。

見ると,カマキリは堂々たるものです。風格があります。それに比べて,幼虫のこ姿は! ただ,ここで哀れみの感情を抱いて幼虫を助けようとしても,無駄です。生きとし生けるものの摂理にしたがって,カマキリは淡々と食餌行動をしているに過ぎませんし,幼虫は「食べられるもの」として身を委ねるほかないのですから。観察者としてはただじっと推移を見つめるだけ。

そんなわけで,観察を続けることにしました。

ときどき姿勢や位置を変えました。わたしを意識しているのかもしれません。それでも,食べることはやめません。ときには,食いちぎるといった食べ方をしました。

 
すこし場所を変えながら,どんどん食べていきました。


短時間なのに食べることに集中しているせいか,幼虫のからだはどんどん小さくなっていきました。幼虫の筋肉がむき出しになっています。 

 
6本の脚がそれぞれに機能して,姿勢を保ち続けます。どんな格好であろうと,へっちゃらという感じ。肉食性昆虫カマキリを支えるつくりが見事にできあがっているのです。


こんなふうに鎌状の前脚で抱え込まれたら,ひとたまりもありません。 


このあと,頭部は落下していきました。カマキリが意識的にそうしたのかどうか,それはわかりません。

それにしても,「食べる」「食べられる」という食物連鎖の世界は,身近なところにおいてさえスゴイの一言に尽きます。昆虫は食べられる宿命を背負って生きているのです。

 


ブロッコリーの幼虫,その後

2014-11-25 | 昆虫

数日してビニル袋を取り除きました。すると,幼虫はみんな袋の内側に付いていて,繭を作っているか,すでに作り終えているかのどちらかでした。

繭作りが進行中の個体は繭が薄いので,中がはっきり見えました。懸命に糸を紡いでいるようでした。 からだと繭との間には隙間があって頭と腹端が入れ替われます。ちょうどその場面を見て,「なるほど!」と納得。これなら,繭が均等に厚くなっていきます。

  
繭が完成に近づくと,下写真のように中が見えにくくなります。


中には, からだぴったりの繭の持ち主もあります。


ぎゅっと引き締まったような,縮まったような個体もあります。 


以上を観察した翌日。 幼虫が蛹に変わっていました。色がはっきり違っていて,腹端には脱ぎ捨てた皮が固まっていました。

 


このまま越冬するか,羽化して成虫越冬するか,いずれかでしょう。 すべての個体が蛹化した後,一つだけ繭の中を覗いてみようかなと思っています。なんでも確認しておくのが後のためにもいいでしょう。生態を知るためにもいいでしょう。

 


紅葉の城跡ハイキング

2014-11-24 | 旅行

昨日(11月23日),地元の紅葉ハイキング実行委員会の主催で恒例の日帰りバスツアーがあり, わたしたちは夫婦で参加しました。

行き先は奈良県にある高取城跡。ここは高取山(標高583m)の山頂に築かれた城で,日本三大山城の一つになっています。現存する城郭はありませんが,石垣・石塁があちこちに残るとんでもないスケールの城跡です。なにしろ,城郭区域の周囲が30km,城内が3kmといいますから。行く前から,わくわくした気分でした。

天気は小春日和で,ポカポカ。もう最高のコンディションが予想される中,午前9時40分,近鉄壷阪山駅をスタート。この日はたまたま高取町の『城まつり』の日に当たり,駅前の土佐街道は準備の人でにぎわっていました。

街道を過ぎると,スギの木が林立した林が広がっていました。その下を,急峻な坂が続いていきました。落ち葉を踏みしめながら登っていきます。汗がじわーっと流れ出ます。途中着ているものを一枚脱いで,体温調節。


山頂に近づくと,山道の脇所々に石垣が見え始めました。石垣の間からは樹木が生え,崩壊が始まっていました。栄枯盛衰がしのばれる風景です。


間もなく頂上だという位置で,登山道をほんのすこし脇にそれたところに,国見櫓跡があります。その昔,城の守りを固めるための要塞だったところです。事前の説明では,ここからの展望は大和盆地が見下ろせて,なんともすばらしいとのことでした。

 
まことにそのとおりで,澄んだ空の下,パノラマ風景が広がっていました。二上山,大和三山が遠望できました。もっと条件がよいときは,あべのハルカスが望めるということです。

 
そこから山頂へはすぐ。山頂付近には,みごとな石垣が残され,たくさんの紅葉狩りの人たちでにぎわっていました。

 
紅葉したモミジのなかまが鮮やかな色彩を放っていました。枝の広がりを誇るかのようです。その下で,弁当を食べるのは心地のよいもの。


天守閣跡からの風景もばっちり。 こんな自然があるのだなあと感じ入るばかり。


木々の幹が,地面に積み重なった枯れ葉と苔むした石垣に影を落としていました。しばし,うっとり。 

 
帰路,西国三十三箇所観音霊場の第6番札所壷阪寺に立ち寄り,ゴール(壷阪山駅)に着いたのは午後4時。一日の歩程は11km。

天気に恵まれ,なんと爽快な汗を流せたことでしょう。実行委員会の方々に深謝。もちろん,大自然からの贈り物にも感謝,感謝。

 


ルリタテハ,今年最後の羽化(後)

2014-11-23 | ルリタテハ

最後にした成虫を被写体にして,頭部・胸部を撮りました。それは,頭胸部にこのチョウのスゴサが凝縮されているように思えるからですし,ぶら下がっている姿勢ゆえに画像にしやすいからでもあります。

脱いだ皮に付いて翅を伸ばした後,成虫は移動して葉の下側に。

 

 
アップで撮ると,4本の脚や頭胸部を覆う毛がよくわかります。

 
ほぼ真正面からの構図です。複眼を覆う毛や,表面の模様,口吻などが見えます。

 
上写真を部分拡大してみましょう。複眼を構成する個眼が見えます。毛がどんなふうに生えているのか,この写真ではわかりません。それでも,ふしぎを感じるには十分な画像です。毛は眼がモノと接触する場合にその衝撃を和らげたり,雨粒の付着を防いだり,はたまた気温の激しい変化を最小限にしたりするはたらきがあるのでしょう。


複眼表面の紋様もまたふしぎな斑をしています。これは特定の箇所がそうした色合いをしているわけではなく,光の反射具合で位置が変わるので。懐中電灯の光を当てながら,入射角を変えていくとそれが理解できます。

身に備わったしくみには,それなりの合理的な理由があるはずです。昆虫のからだで意味になのないつくりはほとんどない,とはときに耳にすることばです。これはルリタテハにも当てはまることです。