自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

陽気に誘われて昆虫の出番

2013-02-28 | 昆虫と花

2月28日(木)。2月の締めくくりの日でした。ポカポカ陽気で,最高気温は16.1℃(午後2時47分)。春近しの感がますます強くなってきました。

今日は何度か取り上げた撮影地点の話になります。自宅近くの畑で,菜の花が咲き続けています。「この陽気なら間違いなく昆虫が来ているだろうな」。そう思っていつものように見に行くと,そのとおり。

オオクロバエが数匹。たいへん警戒心が強く,ちょっと近づくだけで飛び去ります。わたしがそっと動くだけでも,その気配を察知するようです。大した感覚器官の持ち主だと感心してしまいます。それでもこちらとしては「簡単に降参しないぞ!」という気持ちで,なんとか数枚撮ることができました。

以前に取り上げたトゲハネバエも,たった一匹なのですが,訪れていました。からだに付いた花粉から,その活動ぶりが十分過ぎるほどに伝わってきます。 

オオハナアブ(オス)が一匹やって来ました。動きはじっくり。貫禄十分です。タイミングよく真正面から写すことができました。眼も,口の周辺も,脚もまるで花粉で化粧をしたような光景です。 

ニホンミツバチが訪れました。都合二匹確認できました。花に止まると忙しなく動き回りながら吸蜜するので,構図を決めてシャッターを切るのはたいへん。からだがこれだけ毛で覆われていると,花にすれば送受粉のありがたい仲介者です。 

横向きに突き出た一輪の花に止まりました。重みで花茎がしなやかに曲がりました。その瞬間にとったのが下の写真です。 

今日は,このほかクロヒラタアブも見かけました。

これからどんな昆虫との出合るか思い描くだけで,わくわくしてきます。 

 


ロウバイと極小バエ

2013-02-27 | ロウバイ

2月27日(水)。雨後晴れ。午後は暖かさを感じるほどの穏やかな天気に恵まれました。春が近づいているって感じです。最高気温は14.9℃(午後2時27分)。 

庭のロウバイが満開をすこし過ぎました。近づくと,かすかに芳香を放っているのがわかります。もしかすると昆虫が来ているかもしれないと思って観察しました。一つの花の中に小さな黒点が見えました。ようく見ると正体はハエでした。体長が5mm足らず。たぶんハネバエの仲間でしょう。

ハネバエは3月から4月にかけて羽化します。食べ物は花の蜜とか腐った果実などです。ロウバイの花にはおいしい蜜が滲み出しているのでしょう。

口吻を伸ばして蜜を舐めています。 

トリミングしてみると,確かに口吻を動かしているのがわかります。 

しばらく見ていると,花の中をゆっくり移動しながら蜜を舐めていました。花から離れる気配はまったくありません。花弁がお椀状になっているので,風に当たることもなく居心地がとてもよさそうです。

タネバエのような小さな昆虫が受粉・送粉にどれほど役立っているかはわかりませんが,幾分かは貢献しているのではないでしょうか。 

 


根を出すクヌギの種

2013-02-26 | 生物

職場の裏手にあるクヌギについては,これまでに何度か触れました。この木のしたの一部は,ふつう人が入れないようにフェンスが張られています。人が入れず,日陰になっているので,コケが生えいつも地面が湿っています。そのために,落ちた種子がどんどん芽生えます。

今行くと,いくらでも種があって,よく見ていくと発芽しているものが見つかります(下写真)。  

ところで,この芽を見て「茎か,根か,どちらかな?」と思えてきます。「発芽」「芽」を国語辞典(新明解国語辞典)で調べると,それぞれ「(種などから)芽が出ること。めばえ」「・根・枝の先や一部分が少しふくらんで,やがて葉・茎や花などに生長する部分」とあります(太字及び下線はわたし)。

辞典の説明はこの写真の種子について十分に解説してはいません。実は,この芽は根になっていく部分だからです。葉が付く茎(幹)は,このあと出てきて上に伸び始めます。これまでに何度か植木鉢に置いて観察したことがあるので,これははっきりしています。

ずいぶん前にそのことがわかって,いろんな植物の種子について調べたことがあります。結果わかったのは,発芽時にまず根が出る例がほとんどなのだそうです。ということは,先の国語辞典の解説でいえば,これでは不十分なのであって,「根に生長する部分」という表現が欠かせないことになります。

話は変わりますが,児童朝会で子どもたちにドングリの発芽にちなんだクイズを出したことがあります。内容は,あらかじめ描いておいたいくつかの発芽風景から,正しいと予想するものを選ばせるものでした。いちばん多かったのは,葉が出てくるという予想でした。実物を見せたとき,とても驚いていました。 

 


我が国にもラウンドアバウト交差点が

2013-02-25 | 随想

ラウンドアバウト式の交差点は信号機のない円形交差点です。欧米にはふつうにある交差点で(フランスでは地方都市にあるすべての交差点がこの方式!),その光景を撮った写真を2年近く前の本ブログでもご紹介しました。なにしろ,この交通文化との出合いは衝撃的でしたから。

「これなら交通事故が減るだろうし,なんと言っても交通が円滑にいく筈」と思ったことがよみがえります。ただ,日本のように狭い国土に信号機が連続して設置されていているところでは,現交差点の改良でこの方式につくり替えるのはたいへん難しいのではないか,とも思いました。

ところが,この程,交差点をラウンドアバウト式につくり替える試みがほぼ完成したところがあるといいます。読売新聞のネット配信(2月23日)で知ったことです。写真も掲載されていました。そこは長野県飯田市の市街地。珍しい試みで,これを入れて全国では10例ほどしかないそうです。

この方式の特徴は,信号機なし,環状道路内の自動車に優先権がある,環状道路内では左側回りをして分岐道に出て行く,分岐道から環状道路に入るときは一旦停止をする,などが挙げられます。わたしの見たヨーロッパの例では,環状道路に入るときは一旦停止はなく,自動車が流れるように走っていました。

こうした交差点を導入することは,発想の転換,実用性の追求,交差点の事故防止,二酸化炭素の削減という観点からとても価値があります。たとえば,自動車がまったく走って来ないときに,長々と赤信号で停止状態でいるというのはいかにも無駄です。信号機がなければ,電気代も必要ではなくなります。赤信号待ちのアイドリングによる二酸化炭素放出が抑えられます。

専門家の話では,欧米諸国の現状からみて,我が国の交差点事情は20年は遅れているのだそうです。そりゃそうでしょう。読売新聞配信記事の見出しはこうでした。『信号いらず丸い交差点,日本に定着するか?』。さて,どうでしょう。わたしの居住区で,是非ラウンドアバウト方式を採用してほしいという地点があるのですが……。

  


ジャコウアゲハ観察記(その188)

2013-02-24 | ジャコウアゲハ

2月24日(日)。起きると一面の雪模様。雪が降り続いていました。2,3cmの積雪だったでしょう。今日は全国的に厳しい寒波に見舞われた一日となりました。

急いでジャコウアゲハの棲息地に撮影に出かけました。クリ林が寒々としています。葉を落とした木と,それらを囲むトタン板と鉄板が,雪景色に溶け込んでいます。

赤茶けた鉄板に付いた蛹が湿っていました。湿ってからだが凍るという状況は,もっとも厳しい自然環境だと思われます。

波トタンに付いた蛹もすっかり冷え切っています。こちらは水分によって直接湿った感じはありません。隅に寄せられたクリの毬(いが) は,蛹や幼虫を接写撮影をするとき,痛い目に何度も遭ってきたもの。

雪は昼前には止みました。そうして午後は曇り空。三寒四温の季節が少しずつ近づいてきます。それは生きものの季節でもあります。

今日の気温。最高気温4.8℃(午後1時56分),最低気温-3.2℃(午前4時24分)。 

 


学校のほんまもんは意識改革から

2013-02-23 | 随想

辛口の話をしようと思います。極めて主観的な立場から書きますが,これはわたしの教育観の流れに沿ったものです。

いじめ問題,体罰問題,学力向上対策,駆け込み退職,対教師暴力,精神疾患による休職等々いろんな点で,今,学校受難の時代を迎えています。これでもかこれでもか,といった感がします。法で『全体の奉仕者』と明記されている立場にある人は概ね,謙虚な人であればあるほど,気苦労の多い現実かと想像します。教職に携わっていらっしゃる皆さんはとりわけその度合いが強いと思われます。

気苦労が多いというのは,ほんとうはそれだけ人間らしい感覚が誠実なかたちではたらいている証拠だとわたしは感じています。世間並みの,あるいはそれ以上の感覚を日頃から注いでいる人はどこかセンスが違っているように思えます。

そしてそういうものがちらっと見える瞬間というものがあります。そんなとき,「わぁーっ! これが“教職員ならでは”だな」と感じ入ります。

先日の朝日新聞朝刊の片隅にもそんな例(購読者からのミニ便り)が掲載されていました。貴重な資料なのでそのまま引用しましょう。題は『地域の支えこそ』です。

「中学教師です。先日三階の教室から外を眺めていると,男性が用水路に入って次々とボールを拾ってはグラウンドに戻し,何事もなかったかのように立ち去りました。学校は地域の方から応援して頂いているんだと実感し,胸が熱くなりました」(男性/57歳)

これに対するコメンテーターの道上洋三さんのことばはこうです。「そう思う先生も,すてきですよ」。

わたしの印象に残ったことばは「頂いている」というひとことです。学校に身をおく人の謙虚さを見る思いがしたからなのです。道上さんもまた,そこに新鮮さを感じられたのではないでしょうか。

学校の内にある人は,往々にして世間と感覚がズレていると揶揄されることがあります。自分の経験からも思い当たる節があります。現職のときそんなことを思いながら自戒に努めたものです。学校ということば自体が内と外との間にこころの垣根をつくってきた歴史がありますから,歴史の成せる所産なのですが。

ところで,現実問題として,学校の内にある人が感覚の古さを省みて修正することは可能でしょうか。結論からいえば,できうるにしても至難でしょう。染み込んだ垢を意識できるか,どうか。まず,そのことに気づかなくてはなりません。体罰を“愛の鞭”式に美化し続けるようでは,お先は暗闇です。子らの前で自分のことを「先生」と呼んでおかしさを感じないようでは,とてもとても。

そういうことからすれば,投書子のように地域の人を「応援して頂いている」と心底思える感覚に立てるのはスゴイことです。この感覚は垣根を低くするきっかけになりうるのです。さらにいえば,たいへんな意識変革を伴なうことばです。だって,この方,57歳という大ベテランなのですから。ベテランの眼が職場において,若くって頼もしい職員に伝わるかどうか。伝われば,学校は変わっていくはずです。

しかし,現実はそうそう期待できません。わたしの不安はこうです。多くの場合,実態が見える,見えないにかかわらず,学校がお世話になっている人のことを「ありがたい存在」と感じつつも,せいぜい「地域の人材」程度に受けとめているのではないか,というものです。田舎に住んでいても,内の目が外に向かって見開かれているという印象はありません。足りないのは住民感覚に立つという点。我が身の改革に努めない限り,垣根は残り続けるのではないでしょうか。

たぶん,これからも全体としては学校は変われないでしょう。何事についてもいえるのですが,ほんまもんに生まれ変わることはなかなか難儀なことです。学校が本質的に変わるためにはカンフル剤がいるのかもしれません。

ただ,厳しい世相にあっても,“流行”に流されず地域と一体となりながら真摯に学校づくりに汗を流す教師集団が存在することも見逃せません。名は挙げませんが,彼らは,成るようにしか成らない外(上)からの改革に身を委ねることなく,共同して創造を旨とする改革を着実に進めています。そこでは,フレッシュな原動力が湧き上がっているのです。こころ強いお手本だと感じます。

(注)写真は本文と関係ありません。

 

 


ジャコウアゲハ観察記(その187)

2013-02-22 | ジャコウアゲハ

2月19日(火)。北風が吹いて,寒い寒い一日になりました。 

ジャコウアゲハの蛹が寒さの峠を乗り越えようとしています。棲息地に行ってその姿を写真をに収めました。

波トタン板に,横向きに付いた蛹は……。

赤茶に錆びた鉄板に縦向きに付いた蛹は……。 

ついでに我が家の個体も撮りました。コンクリートブロック塀に,二つの蛹が仲よくくっ付いています。 

じっとじっと寒さに耐えていることでしょう。 羽化まであと2カ月です。

 

 


元気なヒシバッタ

2013-02-21 | 昆虫

空き地の草の間に,ヒシバッタの一種が一匹。目を凝らして観察している中,ほんのすこし歩いた一瞬があったので,そこにいるとわかったのです。1cm程の小さな体形なので,なかなか見つけることはできません。色も土に似ているとなると,余程観察眼を光らさないと探し当てるのは困難でしょう。

警戒心が強くて,逃げる際は驚くべき力を発揮します。1m跳ぶことなんかお手の物といった感がします。簡単に1mといっても,体長からすると100倍の跳躍距離になります。それを可能にしているのが,後脚。大したバネ構造になっているようです。なにしろ,瞬時に逃げるというのは,こうした小動物には防御上重要な手段ですから。生き物の季節を迎えると,トカゲやらカエルやらいっぱいの天敵に囲まれ危険と隣り合わせで暮らさなくてはならないのです。 

からだの大きさと後脚のそれとを比べると,確かに脚が異様に大きなことがわかります。太くって,長くって,という感じです。 

調べているうちにわかってきたのですが,翅があるものの短いために飛べないのだそうです。道理で跳躍力がすぐれている筈です。

からだの表面はゴツゴツしていて,頑丈なつくりになっています。複眼は特異な凹凸面から成り立っています。どういう謎が秘められているのか,気になります。それと,餌の話ですが,地面に生えている藻類を食べているとか。ただし,他に「植物の葉」と書かれた情報もあります。異なった解説に,人間の観察の曖昧さ,あるいはファジーさを感じてしまいます。実際はどうなのでしょうか。

こんなわけで,成虫越冬しているヒシバッタが,冬でもちゃんと活動していることがわかりました。 

 


カブトムシの幼虫が……

2013-02-20 | 昆虫

職場の裏手の金網の外側に,クヌギの木が4本。この木については以前に取り上げたことがあります。それぞれが結構育って,枝を四方八方に広げています。他の樹木との競争がないので,のびのび育っているのでしょう。夏は適度な木陰を提供してくれ,秋になると大きな実が音を立てて落ちます。

晩秋になれば,葉がどっさり舞い散ります。それらが風に吹き飛ばされて,施設建物の周りにたまっていきます。風向きの加減で吹き寄せられる箇所がいくつかできます。それを掃き集めるは苦労です。

このままこれらの葉を放置しておくわけにも いかず,そうかといって堆肥にするにも簡単にはいかず(ほんとうはこれがいちばんいいのでしょうが),結局近くの山に捨てることにしました。運び終わってみると,軽トラックで4杯分もの葉がありました。

葉を集めているときのこと。土がすこし盛り上がっているところから,白い大きめの幼虫が出てきました。カブトムシのそれです。ここで見つかるとは思いがけないことでした。というのは,硬い土なので,幼虫が棲む環境としては今ひとつといった感じがするからです。それでも,ちゃんと育っているのです。 

写真に撮ったあと,元の場所に戻してやりました。落ち葉がなくなったので,こうした生き物になんらかの影響があるかもしれません。

そうなら申し訳ないことをしてしまったことになりますが,作業を終えてすっきりした環境になりました。 

 

 


ハンター“クモの子”

2013-02-19 | 生物

今日2月19日(火),一昨日取り上げたクモの幼体が気になって,ホトケノザを慎重にかき分けて探してみました。すると,茎に数匹見つかりました。驚いたことに,横に伸びた糸にじっとしていたのです。つまり,このクモの正体は小規模ながら糸を張って獲物を待ち伏せるタイプのものだったのです。

さらによく観察していくと,なんと獲物を捕らえて放さないクモの光景が眼に飛び込んできました。というより,レンズを通して見えたというわけです。その様子にはほんとうにびっくり! 体長1mmのからだが,立派に虫を捕らえているのですから。犠牲になった昆虫の眼,6本の脚が見えています。

棲み処はどうもクモの死体を台にしているようなのです。もしかすると,親グモなのかもしれません。

トリミングすると……。糸が巻き付けられているのがわかります。

理屈からいえば,クモも食物連鎖のつながりの中で生きているわけで,いくら小さくても獲物を捕らえない限り生きていくことはできません。

わたしがとくべつ驚いたのは,獲物の光景でした。脱皮直後の昆虫らしいのです。体長が1,2mmといったところでしょうか。脱皮したばかりというのは,すぐ傍に殻が残されていたことから想像できます。透明感のある皮がなんだか初々しく見えます。冬の今も,一部の昆虫は脱皮を繰り返しながら成長を続けているのです。

そんな昆虫のいのちがこの時季に一つ失われ,こうして他のいのちを支えているとは!