最近親戚、知人の2人が悪病で入院加療中である。
加齢とともに癌に冒されるのは医学的に見て極く自然の成り行きだという。
また 人の死も避けられない摂理である。
それなら もし何らかの方法で平静に死を迎える事ができるなら、癌による死は理想的な臨終ではないかと思う。
それは比較的正確に残された時間を知る事ができるからである。
残された時間は1ヶ月でも、半年でも、3年でもいい、その時間をどう使うかで、その人の一生の価値が決まるのではないかと思う。
癌に戦いを挑み、肉体をすり減らし壮絶に戦死するか、それとも癌と共存し残された時間を有効に使いながら、枯木が倒れるような人生を終わるか、私は後者を選びたい。
医学関係者に対して、平静に死を迎え入れる何らかの方法を確立することは、癌の早期発見早期治療に優るとも劣らない重要課題であることを訴えたい。
身近な人が近く迎えるであろう死について、そんなことを考えた。
今年も孔雀サボテンが雑草の緑に映えている。