寛政3年(1791)9月 南方村に住む助右衛門に依頼されて 山辺小路の忠七が作った という仏壇が 長い間鎮座していた。
私の代になって仏壇を入れ替えて、古い仏壇は魂抜きをして寺の焼却がに運び処分した。
その古い仏壇に残されていた由緒書である。
それから230年の年月が経っている、
たったの230年である。
百日紅とヤマボウシ 白い花がいつの間にか赤い実に変わっていた。
寛政3年(1791)9月 南方村に住む助右衛門に依頼されて 山辺小路の忠七が作った という仏壇が 長い間鎮座していた。
私の代になって仏壇を入れ替えて、古い仏壇は魂抜きをして寺の焼却がに運び処分した。
その古い仏壇に残されていた由緒書である。
それから230年の年月が経っている、
たったの230年である。
百日紅とヤマボウシ 白い花がいつの間にか赤い実に変わっていた。