秩父事件とは農民の困窮を救うため秩父困民党を結成して武装蜂起した事件である。
その首魁として官憲から追われる身となった井上伝蔵は1886年北海道へ渡った。
名を伊藤房次郎と変えて、石狩郡樽川村に開拓農民として潜伏、新しく妻をめとって小間物店を始める。
俳号を「柳蛙」と名乗り、俳諧でも活躍した。
はまなすの丘の隣りが弁天町、ここに伝蔵の句碑がある。
暴徒として死刑になった同志を想って詠んだと思われる。
俤(おもかげ)の眼にちらつくやたま祭り
死ぬ間際にはじめて秩父事件について語ったという。
井上伝蔵辞世の句
想いだすことみな悲し秋の暮
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