屯田物語

フォレスターとα6000が
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さあ、カメラを持って
出かけよう!

紫のチューリップ

2007年04月16日 | 日常
福知山線の事故から2年たった。
彼女は事故から5時間後に救出されたが、一時呼吸停止したりして、
ほぼ絶望と思われていた。
しかし、車椅子(歩行訓練中)と高次脳機能障害の後遺症は残っているが、
奇跡的な回復を遂げたのである。
救出されたとき、彼女の口のなかは硝子の破片がいっぱい・・
そのトラウマのため、意識を取り戻してからも食べものを飲み込むことができなかった。
それを克服できたのは母のひたむきな看護であった。

娘が長い眠りから目覚めたとき、最初の言葉は・・「お母さん!」

百合が原公園の花シリーズ・・
紫のチューリップの花言葉は”永遠の愛”、それは”母の愛情”のことかもね。
気ままな娘たち