屯田物語

フォレスターとα6000が
旅の仲間
さあ、カメラを持って
出かけよう!

やっと結審した宮崎勤の犯罪

2006年01月19日 | 日常
宮崎勤に死刑判決
昭和63年、飯能市の自宅近くで失踪した少女が遺体で発見さた。
ちょうどその頃、わたしも飯能市に住んでいたこともあり、
あまりに残忍でおぞましい事件と間近に接し衝撃を受けた。
「今田勇子」の犯行声明や告白文はご家族に大きな苦痛を与えた。

逮捕されてから17年の長い裁判がやっと結審した。
長期にわたった理由は被告の精神鑑定の結果がわかれたからである。
そのため審理は迷路に入り込んでしまったのである。
しかし、神でない限り人間の精神状態を正確に鑑定することはできない。
不確実な精神鑑定結果の食い違いよって、
何年も審理を長引かせることは刑事裁判の意義を失わせかねない。

刑事裁判の審理は慎重ながら迅速に進め、
有罪であれば早期に罪を償わせるべきでないか。
オウム真理教の麻原裁判もしかりである。
鑑定論争だけで審理を中断してはならない。

4歳で殺された少女がいた。
生きていれば、昨年成人式で晴れ着をきられたであろうに・・
ご両親にしてみれば、そのときから時間はとまったままだと思う。
17年間の空白の苦しみを考えると、
裁判を長期化させた鑑定人の精神も鑑定したい。

百合が原公園の温室
「やぶつばき」
ちょうど今頃の季節・・・
まだわたしが学生のとき、(妻)と二人で大島の椿トンネルを歩いたことがある。
そのときの記憶はもう赤でなくセピア色となった。


コメント (9)