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屯田物語

フォレスターとα6000が
旅の仲間
さあ、カメラを持って
出かけよう!

西勝洋一氏 先達への思いを語る

2017年09月05日 | 西勝洋一
(2017年8月27日 北海道新聞)

秋こそは光つよまれ たわやすく姿勢を変えてゆく友の背に     西勝洋一

旭川東高の同期であり歌人の西勝洋一君のインタビュー記事が北海道新聞に掲載されました。
新聞の切り抜きは同期の大橋君から送っていただいたものです。
西勝洋一君のエッセー集「短歌の周辺」について、
詳しくは短歌の周辺 ←をクリックするとご覧になれます。
西勝君の出版祝い!を大義名分?に集まった同期の宴は三次会まで盛り上がりました。
旭川東のOBなら誰もが愛した逍遙歌、
あの美しい詩が「生物」の担当教諭から生まれたことが不思議でしたが、
実は大村先生は北陸の詩誌「日本海詩人」の主宰者であって、文豪・井上靖と親交があったことを知ったときは驚きと感銘を受けました。

西勝君の新刊出版を祝う同期の会

2017年07月19日 | 西勝洋一


ここ何日か暑すぎて外出する気にならなかったが、
「西勝君の新刊出版を祝う同期の会」に出席するため明日は旭川へ行ってくる。
昨年10月以来なので、青葉・蜂屋など旭川ラーメンの食べ歩きになりそうだ。

手稲山・・ガードレールがぐんなりしたのも暑さのせいか。
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短歌の周辺

2017年06月25日 | 西勝洋一


西勝洋一君の新刊 短歌の周辺 を紹介したい。
著者は日本歌人クラブの北海道代表幹事で北海道新聞短歌賞の審査員だが、
わたしとは高校時代からの友人という縁がある。

折々の記
著者の過ぎし日々の出来事や人との交流が丁寧に語られていた。
ラーメン雑記私の年末・年始は「屯田物語」に掲載したこともあって懐かしいエッセーである。
(下線をクリックするとご覧になれます)

追悼の記
大村正次―逍遥歌のことなど

大村正次は高岡の詩誌「日本海詩人」の主宰者であった。
井上靖が金沢の旧制四高の生徒のとき大村に詩を送り「日本海詩人」に載せてもらったこと、石動に在住の大村を訪ねて夕食を御馳走になったことが井上の文章にあるそうだ。
大村正次は旭川東高の逍遥歌を作詞された大村先生ご本人のことだ。
かの美しい詩が「生物」を教える教師のなにから生まれたものか不思議であったが、
短歌の周辺 で著者が語ったように少しだけわかったような気がする。

「このように大作家の文学的出発に立ち会った詩人が何故戦後に旭川まで来て勤めることになったのか。・・・ただ、あの「逍遥歌」の五番だけが私には異質な感じがして意味が不明だったが、その背後に先生の人生の思いが込められていたのではないかと今は思うようになった。」
 
 かくまで遠く来しものを
 山の紅葉の涯なしや
 神居古潭の夕まぐれ
 故郷母の呼ばふなる


  野をわたる陽光(ひかげ)と風にまぎれつつかの少年も光りて駆けし
                         齋藤史


「サロベツ原野」へ西勝くんたち同期と旅する

天使が階段を降りるころ石狩の海に日が沈む

2014年08月28日 | 西勝洋一


石狩の海の夕景・・
その情景を動画で撮ってきて編集してみました。
わたしの好きな短歌を二首載せてます。

手持ちなので、編集ソフトのスタビライザー機能をオンにしてブレを軽減しました。
 カメラはα6000
 編集ソフトはPowerDirector12(とても使い易い)

雲の切れ間から降り注ぐ光りの帯・・
これは「天使の階段」というそうです。

層積雲の隙間から光が差し込み、まるで天と地を結ぶ階段のように見える現象で、
「天使の階段」や「天使のはしご」、「光芒」などと呼ばれる。



西勝くんの出版祝いの会

2013年12月07日 | 西勝洋一


「西勝くんの出版祝いの会」が砂川であって久しぶりに飲んできました。
やはり気の合った友人との語らいは楽しいものですね。

「西勝洋一歌集」の冒頭の歌を憶えています。
歌にたいする率直な気持と覚悟が感じられて、わたしの好きな歌のひとつなのです。


西勝洋一氏 「斎藤瀏・史の旭川時代」を語る

2013年11月11日 | 西勝洋一




霜月会の翌日、
中島公園の道立文学館を訪ねる。
昨日の風でかなり落葉していたが、木々の枝や地面に濡れた紅葉や黄葉が折り重なって、
園内はしっとりした静かな雰囲気に充ちていた。
西勝君の講演演目は、
「斎藤瀏・史の旭川時代」
スライドを駆使しての説明がわかりやすく、あっと言う間の時間であった。
鉄道馬車が通った時代の旭橋の写真を見た、要するに橋が並行して二つあったということなのか、
これはわたしにとって驚きである。

講演の資料から歌を二つ・・
 酒もちて来るべかりけり落葉しき膝かいだける牧水はさびし
                 斎藤瀏

 野をわたる陽光(ひかげ)と風にまぎれつつかの少年も光りて駆けし
                 斎藤史

若山牧水と一日酒一升をセットで世話した斎藤瀏の太っ腹な人柄に惹かれた。
それを知って瀏の歌に接すると、どの歌も人間としてのやさしさに満ちているが感じるのである。
そして、美しき斎藤史の歌、「かの少年」とは、史の幼馴染、栗原中尉(二二六事件で刑死)ではないかと思った。
 老いてなほ艶とよぶべきものありや 花は始めも終わりもよろし
                 斎藤史


幼馴染のy君(小学三年生で同じクラス)と会場で再会、
講演のあと、西勝君とy君とわたしたちは寿司・ラーメン談義ですっかり盛り上がってしまった。
y君は短歌雑誌「かぎろい」に歌を12首投稿している。

そうそう、講演前の昼食は「狼スープ」の味噌ラーメン、かなり美味しい!
店は中島公園ホテルライフォートの右小路にある。


いつしらに夫は父の如くなり

2013年10月20日 | 西勝洋一
来月10日、斎藤瀏・史の旭川時代について、
歌人であり友人である西勝洋一氏の講演があってそれに出席する予定だ。
彼の著書「道東を巡った歌人たち」からそれなりの知識は得ているが、
今一度、そこだけ読み返してみたいと思う。

さて、八年前、いささかセンチメンタルな短歌二首を「屯田物語」で取り上げたことがあった。
西勝氏の講演会に先立ち、短歌つながり?で再掲することにした。

(以下2005年10月24日の記事です)

   いつしらに
   夫は父の如くなり
   子の如くなり
   逝きてしまいぬ  

   食卓の
   亡き子の椅子はそのままに
   わずかな風の
   通り道なり


葬儀が二つ続いたせいもある。
日曜日のNHK短歌をみたとき、諸行無常!こういう歌に心ひかれたのである。
自分が亡くなったあとのことはわからないが、
もし、自分ひとりが残されたとしたら、
   ・・・の椅子はそのままに
こんな気持ちになってしまうかもしれない。

女は悲しいことがあると、思い切って泣く、必ず泣く。
ただ、何年かたって、泣いたことは憶えていても、
なぜ泣いたのかは案外憶えていない。だから強い!
男は、泣かない、多分泣かないが、
うじうじと、その悲しみの記憶を捨てることはできない。

夕暮れ近い桂沢湖である。



桂沢湖は桂沢ダムの人造湖である。
あのエゾミカサリュウの馬鹿げた工作物をのぞけば、
いたって穏やかな風景であった。





若山牧水

2013年06月15日 | 西勝洋一


「道北を巡った歌人たち」(西勝洋一著) によると、
若山牧水、喜志子夫妻が斎藤瀏を訪ねて来旭し、十月二日から六日まで官舎に滞在する。
牧水が旭川にやってきた経緯と率直な行動がうかがい知れて面白かっ た。
あらためて「若山牧水歌集」を開いてみた。
牧水は旅先で旅中即興としていくつかの歌を詠んでおり、
斎藤家にお礼の意味を込めて五首の歌を半折に書いて残した。
牧水が揮毫した半折は掛け軸になって、
旭川井上靖記念館で開催された「斎藤瀏・斎藤史展」で公開されたことがあった。
末広の義妹宅の帰り、井上靖記念館に寄ったとき、たまたまその掛け軸が展示されていて、
旭川が牧水にとって縁浅からぬ地であったことを始めて知ったのである。
下記の五首のうちの一首目、「野葡萄のもみぢの色…」は春光台の歌碑に刻まれている。
三首目と四首目は斎藤家に揮毫された歌ではないが、
選者・若山喜志子さんのあとがきによれば、
この歌集は牧水の歌、約七千首から二千首あまりを選出したそうで、
牧水は昭和三年(四十四歳)で亡くなったが、あと十年長生きしていたら、
作歌は一万首を超えていたに違いない。

「若山牧水歌集」から
北海道旭川斎藤瀏君方にて

 野葡萄のもみぢの色の深けれや落葉松はまだ染むとせなくに
 柏の木ゆゆしく立てど見てをれば心やはらぐその柏の木
 兵営の喇叭は聞ゆ暁のこの静かなる旅のねざめに
 旭川の野に霧こめて朝早し遠山嶺呂に雪は輝き
 時雨るるや君が門なる辛夷の木うす紅葉して散り急ぐなる


道北を巡った歌人たち

2013年04月18日 | 西勝洋一
旭川に建つ歌碑といえば、まず、神居古潭の九条武子、春光台の若山牧水の二つが頭に想い浮かぶ。

 たぎつ波ましろう白う岩にちる神居古潭のくもれる真昼  九条武子

九条武子は大正期を代表する女流歌人、旭川には大正11年と昭和2年に訪れ、
神居古潭でこの歌を詠んだという。
先年亡くなった村岡の母が、「九条武子さんはきれいな人だった」
と繰り返し言っていたことをよく覚えている。

  野ぶどうのもみぢの色の深けれやからまつはまだ染むとせなくに  若山牧水

牧水の歌碑を春光台へ訪ねたときのことは↓をクリックしてください。

牧水の歌碑

平成24年4月13日、石川啄木没後百年の命日を記念して旭川駅舎内に啄木の歌碑像が建てられた。
啄木が旭川の駅前旅館に宿泊したときの歌四首が刻まれているそうだ。

四年ほど前、井上靖記念館に斎藤史の歌の短冊が展示されていた。

  つゆしぐれ信濃は秋の姥捨てのわれを置きさり過ぎしものたち  史

この短冊の横に「西勝洋一氏所蔵」とのことわり書きがあって、
思わぬところで友人の名前をみつけたから驚いた。



「道北を巡った歌人たち」

装丁の写真はカムイコタンのトンネルであろうか。
執筆者のひとり西勝洋一君は旭川東高の友人である。
同期の方たちに是非この本を読んでいただければ嬉しい。
~斎藤瀏、史のいた時代~を読むにつれ、
斎藤瀏の歌が年々洗練されてゆくのを感じるが、
そのなかで、次の歌は文語体の読解力がなくてもせつなく胸に響いてきたのであった。

  薪をきる同じ調子の音さびし薪きり男歌を謡へよ(家々の薪を切りて口を糊する男あり)  斎藤瀏

大正時代、旭川では他所様の薪を切って生計を立てた人がいたのである。

石狩美術館は冬期閉館中

2011年03月10日 | 西勝洋一


石狩美術館 を訪ねた。
最初からホームページで確認すればよかったのだが、
なんと冬期閉館中であった。
しかも、この道は行き止まり・・
向こうに見えるのは手稲山だよ。

まあ、あきらめて石狩市立図書館にでも寄ってみようかと・・

今日の道新を開くと・・
「第26回北海道新聞短歌賞、俳句賞作品募集」 と三段抜きで掲載されていた。
選考委員のなかに 西勝洋一氏 の名前がみえる。
古希を迎え、なお文化活動に貢献する友人の近況を新聞で知って嬉しかった。