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針外し/爺さんの独り言。役にたたない情報ばかり。

自作のスピナーベイトで今日もバスを釣るぞ!。人はそれを「G」と呼ぶ。爺さんの「G(ジー)」の意味だった。ガクン!。

孔明の子孫の話です。(2)

2020-09-24 19:18:49 | 漢詩・古典・エトセトラ

という事で。孔明殿の生い立ちを地図から掘り下げてみたいと思ったのですが、諸葛氏の本貫地が徐州という事くらいしか分かっていませんが。徐州というと東海林太郎の「麦と兵隊」の歌詞が思い出されるね。火野葦平戦火をくぐる苦しい状況と中国民衆や日本兵への敬意と愛情を描いた「麦と兵隊」は戦時下の全国民に深い感動を与え120万部の大ベストセラーとなりました。ただ、針外しは父から火野葦平(ひの・あしへい)の名を良く知らないで、「ひのあ・しへい」と記憶していました。口伝というのは如何にいい加減だという事ですね。(笑)。

因みに本貫地とはその氏族が発生した場所という意味です。例えば望月と言う姓がありますが、北佐久郡望月町が発祥の地だそうです。

徐州、徐州と人馬は進む。徐州居よいか 住みよいか 洒落た文句に 振り返りゃ お国訛(なま)りの おけさ節 ひげがほほえむ 麦畠 (以下4番まであります)という歌詞なのですが、日本が中国に進駐した背景には中国に対する敬慕の念があったのは否定できないが、半分は「助兵衛根性」っだった事も事実だ。

古くから王仁による「千字文」が入り、論語が入り遣隋使、遣唐使によっていろいろな書が山のように入ってきた。古から憧れに近い物があったとしても、外れではないね。とまあ、あれこれ書きましたけど、徐州と言うと山東省。かの満州帝国も此処から上だね。韓国にも近い。

で徐州市(じょしゅうし)は、中華人民共和国、江蘇省の北西端に位置します。徐州市は、元来は山東省南東部と江蘇省の長江以北の地域を指した漢の時代の地方区分の名称であった。古称は彭城(ほうじょう)とも言います。市域内の沛県劉邦(漢の高祖)の故郷であるほか、彭城項羽の都となっていた。水滸伝の及時雨の宋公明も山東省だし、山東省は歴史上の要害地なのかね?。


                

蘭渓市は上海の内陸地で江南の地だ。江南は風光明媚な景勝地が多い。また気候も温暖で、この地を目指して移住してくる人も多い。かの曹操も南下して赤壁の戦いで惨敗しました。孔明先生は父亡き後、弟の均と共に蘭渓市の襄陽、隆中に庵を結んでいました。この奥地に臥竜鎮があります。住んでいたのは此処ですかね?。この後新野の劉備玄徳から訪問を受けます。所謂、「三顧の礼ですね」これから三国志の世界のになり諸葛亮が街亭の五丈原で陣没します。

          
この諸葛八卦村は、多分孔明の意思が働いていたのだろうと思いますね。戦乱の影響を受けない地を候補に挙げて決めていたんだろうね。

     

いずれにしても、孔明の陣没したのが234年、今が2020年。、1800年もの時を経て無事に維持できたのは驚きの事であります。