うちの祖父は秋田の人で、その本家の人の名前を見ると、「順悦氏」とかうちの叔父さんには「亡き順之助さん」とかいる。私のご先祖は東北の「小野家」。秋田県の南秋田郡の岩瀬という所の出だ。東北の「小野家」と言えば百人一首の中で「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟」という歌を詠んだ、参議、篁(さんぎ、たかむら)事、小野 篁だ。(お、断定しちゃって大丈夫か?。)
先には小野妹子、孫娘には小野小町がいますぞ。(当然私なんぞ,その一統の中の宇宙の果ての目糞、鼻糞だけどね)。
当時うちの爺さんは四男坊か五男坊。所謂、農家の食い詰めモンで、職探しで東京に出た来たパターンだと思っていましたぞな。
小野 篁というと、篁は、毎晩冥府に通い、閻魔王庁で裁判を手伝っていた人物としても知られる。
皆さんご存知、閻魔大王様で御座る。
篁はまだ学生であったときに罪を犯した。 そのとき、藤原良相(よしみ)が篁の弁護をした。何年か経ち、篁は参議となり良相も大臣となっていた。あるとき良相は重病となり、他界した。 直ちに閻魔王の使いの者に捕らえられて、王宮で罪を定められようとした。見ると、閻魔大王様のかたわらに篁殿がいた。
小野 篁 殿
篁は閻魔に「この人は、正直で良い人だ。篁に免じて許してあげてくれないか」と言う。閻魔は「篁がそうと言うのならば、許してやろう」と答える。 こうして良相は、生き返ったのだ。
良相が内裏に行き、篁に会った。あのときの閻魔王庁でのことを尋ねると篁は「昔、私の弁護をしてくださったお礼をしただけ。人には話さないでくださいね。」と言う。話を聞いて良相はますます篁を恐れ、 「篁は普通の人間ではない。閻魔王庁の臣であった」と知った。
このことは自然と世間に広まりって、人々は「篁は閻魔王宮の臣として冥途に通っている人だ」 と恐れたという。
それ以後小野家の人間は代々そういう能力を持った人間を出していると言われています。最近、うちのカミサンの親戚と本家の「小野家」下谷の「小野照崎神社」の娘さんと新たに親戚となってしまったのだ。要は「遠い親戚が近くの親戚になった訳だ。
「小野照崎神社」は小野 篁が御東下した際に立ち寄った上野の下谷に居を構えその後、逝去された後、建てられた神社なのだ。
・・・とだんだんと私の身辺にも少し変な事が起きている。
下谷の小野照崎神社
お祭りは浅草の三社祭りと重なってしまうので神輿の担ぎ手を大分とられてしまうが、年々盛んになって来ている。