がらがら殿が裁判官と言うより司法制度の在り方について述べているが、針からも一言。私が得意とするのは、古代中国の頃でありますが、今は昔、秦の始皇帝の時代、弱小の国の皇太子であった、韓非が始皇帝に差し出した書。文字通り「韓非子」だ。
これはその中の一節。ある村にとんでも無く非道な放蕩息子がいたのだが、両親が説いても、学校の先生が言っても、村の村長が諭しても一向に言う事を聞かない。そこで郡の長が国にその息子の討伐を進言していざ軍隊を差し向けようとしたら、その息子はそこで、初めて恐れ慄き、悔い改めた。という事です。
戦前の日本にはそこまでの極道者は居なかったが、近所付き合いが緻密で、どこどこの餓鬼がどこで悪さをしているか、筒抜けだった。よく日本の法律は性善説に立って作られていて、犯罪者にも3分の利があると説くが、そもそも、犯罪にいい犯罪なんていうのは、ありえないと思いませんか?。(確かに已むに已まれぬ時がありますが、それはその時の事であって、全て頭の固い法律学者が変な理想を掲げて法律を作るから話がおかしくなってくる。
そんなのはもう法律とはいえませんね。だから、一人殺したら、無期で二人殺したら、死刑なんて馬鹿な結果がでてくるのだ。
それにオウム真理教の麻原なんて、犯行が分かっているのに、弁護士があーだこーだ言っているのは、自分の一生の飯の食い扶持が保障されるから、死刑を執行させようとしないで、税金を無駄に使っているのだ。これが、江戸時代、清の時代だと(今の中国もそうだね。)即、断罪。国の役人でも、悪さをすれば、そく死刑になった。今の時代は変な理想主義が蔓延ってしまい、法の怖さを感じない人が増えてしまった。(ただ取り締まりの警官も馬鹿が多いけどね)。