「納骨せんとは、どういうことじゃ!」と参列者に罵声を浴びせられながら、兎にも角にも叔母の四十九日法要を終えた。納骨ができるくらいなら、おれだってやりたいわい!
お勤めしてくれたのは若い副住職だったんだけど、このやりとりに驚いて、今しばらく待てば住職が戻る、と参列者をなだめてくれたけど、法要が終わると皆さん呆れて帰ってしまった。
なんかもう、どうしたら良いのって、藁にもすがりたい気持ちだけど、戦前の問題なので、戦後生まれのぼくらには解決できんのだ。戦争と同列に置いて考えるわけじゃないけど、個人的な時間軸で考えたとき、かなり根深いところにある問題のようだ。
で、問題の解決になる糸口だけど、全く思いつかない。ずっと悩んでいるけど、酒量が増えるだけでアイデアは湧いてこない。いや、酒量が増えるから考えが浮かばないのかも。
野辺支度のセットや卒塔婆、遺骨や位牌を持ち帰ってみたけど、お寺に本堂にあった頃と比べたら寂しいもんだ。早いとこ何とかせねば、とは思うけど、できないことについて悩んでも仕方ないか。なるようにしかならないってことも世間には少なくないんだから。