らんかみち

童話から老話まで

かわいい年寄りには旅をさせよ

2010年04月20日 | 暮らしの落とし穴
 とんぼっ子の童話合同合評会で広島に出かけないといけないってのに、朝から親戚の葬式に行く準備であわただしい。親戚とはいえぼくは知らない人なんですが、母と叔母さんはどうしても列席しないとまずい。送迎しようにも時間が合わなくて二人で行ってもらうしかないけど、仲の悪いボケ老人同士でだいじょうぶかなぁ。葬儀会館までは交通機関を三つ乗り継がないといけないので、二人にとってはちょっとした冒険ではなかろうか。
 
 しかし、「バリアフリーは年寄りを年寄らせる。安全なバリア有りーこそが年寄りを若返られるのだ」と、お師匠さまは説いておられる。なるほど、ポムッ(←ひざを打った効果音)これや! かわいい年寄りには旅をさせよって言葉もあることだし、この先二人に寝込まれるようなことがあっては、それこそぼくにとってのバリア有りーになってしまう。ここは二人にがんばってもらうしかなかろう。
 
 でもなんでだろう、葬式と聞いた二人はシャキシャキ動いて朝から美容院に行き、香典や喪服を用意してすでに臨戦の構え。
「まだ若いのに、気の毒なことよねぇ」などと悼む声にも張りがあって、これなら毎日でも葬式があればどうなんだろう、などと束の間のバリア有りー効果を実感するわけですが、ああ本当に大丈夫なんだろうか……。

コンドルは転生の象徴か

2010年04月19日 | 男と女
 昨日のつづき

梅田地下で出会ったの路上ライブは、民族衣装を着てケーナとかサンポーニャで民俗音楽を演奏するわけですから、音は小さいんです。でもわりと上手でだと思ったし、他にもそう思う人がいたのか、それとも異国の地に来て頑張っている姿にほだされたのか、あるいは呼び水ならぬ呼び金か、彼らの前に置かれた托鉢蜂には小銭が貯まっていました。
「リクエスト、OKデス、ドウゾ、リクエストクダサイ」
 一曲を演奏し終え片言の日本語でうながすなり、ぼくの隣で聞いていたテルさんが、
「よっしゃ、ほんなら、コンドルは飛んでいく、やって」
 言うんじゃないかと思ったら、案の定でした。
「テルさん、リクエストしたら金払わなあきまへんで」
「わかってるがな、良い演奏してくれたらそれに見合ったもん払うたるやん」
 そうです、彼は見境無く強欲で吝嗇という人ではなく、自分が納得できるモノに対してなら惜しみなく支払う潔さを持ち合わせていたのです。
 
 やがてコンドルの演奏が始まるや、フルートでこの曲を演奏したこともあるぼくとしても、ちょっと感動しましたね。ああ、これが民俗音楽ってものなのか、ぼくがやってたのはクラシックだったんだ! みたいに目からうろこのサウンドでした。(この曲はオペレッタとして作曲されたクラシックです)
 そこまでは良かったんですが、電車が到着するや、六甲颪を歌う謎の集団が気勢を上げ始めました。謎のってことないですよね、阪神ファンの祝勝の雄たけびに決まってますけど、それが余りにも大音声なのでコンドルはかき消されてしまいました。
 
 ぼくもテルさんも当時は阪神ファンだったんですが、これには忌々しく思いながらも最後まで聞きました。演奏が終わってふとテルさんを見ると、彼がいない! 一人残されたぼくが小銭を払わねばならない状況に置かれているのは明らかでした。
「テルさん、あんたが払わなあきまへんやんか、逃げてどないしますねん」
 つかまえてなじったところ、
「アホか、六甲颪で聞こえんかったんやから、払う必要ないがな」
「そやけど一応最後まで演奏してくれたんですから」
「ほたらなにか、あんたはゆで玉子を注文して生玉子が出てきても文句言わんの? 言うやろ、未完成なものに金を払えるかい」
 まあそういう理屈はあるけど、「ほたらなんで逃げるねん、あんたハゲワシ(コンドル)みたいな人やな」いう話ですわ。
 
 彼の仕出かした不始末を尻拭いするのはいつもぼくでしたから、損な星の巡り合せに生まれたもんやなぁ~とは思いつつ、ぼくとしてもそれなりにスリルを堪能していたのかもしれませんね。
 たとえば彼と隣町で飲んでいたら帰りの足が無くなってどうしようかと歩き回っていたとき、「自動車学校の送迎バスに乗せてもらおう」と、免許を返上してもおかしくない年齢の彼が酒臭い息で無料のバスに乗り込んだり、エトセトラ……。
 
「あんたなぁ、でたらめも大概にしとかんと、そのうち奥さんにしっぺ返し食らうで」と、ことあるごとに彼をいさめていたぼくでしたが、終にその日はやってきました。一昨年の初夏、肺癌が発覚して半年後に彼はあっけなく亡くなったのです。一分一秒でも長生きしないと損をする、という彼の人生哲学に似つかわしくない最後でした。
 しかもキリスト教が大嫌いな彼が最後に闘病したのは福音系の病院で、「神の国は近い」みたいな文言が至る所にあり、さすがのテルさんの目にも涙が……。その上に葬式は仏式だったものの、「クリスチャンの仲間に入れていただきました」と、奥さんの手によっていつの間にか改宗させられたのでした。
 
 思うに、彼は三途の川を渡る前にGODの前に引き出され、異教徒の烙印を押されて審判を受けたはず。ざまあ見ろとは言いませんが、言わんこっちゃない、それ見たことか。
 只酒ばっかり食らったりした生前の素行不良を今頃は悔い改め、天使にでもなっとればいいけど、まあなったとしてもせいぜい堕天子ってとこかな。
 このところ彼を思い出しながら酒を飲んでいて、翌朝目が覚めると酒ビンが空になっていることがあります。そんなときは、テルさんの背中にコンドルの羽が生え、只酒をむさぼりに空を飛んで帰ってきたんだね、などと考えたりするのです。

ただ酒のためなら命も惜しまない

2010年04月18日 | 酒、食
「コンドルは飛んでいく」の思い出を書こうと思っていたのに、昨日の日記はかなり脱線してしまいました。本日は初心に立ち返ってみますが、あの曲を最後に聞いたのは、大阪は梅田で友人のテルさんと飲んだ帰り道でした。地下鉄梅田駅まで出ると、ソンブレロをかぶりポンチョをまとった髭面の男たちが南米の民族楽器を演奏していたのです。
「ちょっと聞いてから帰ろうや、只みたいやから」
 テルさんが彼らの前で足を止め、遠巻きにする人垣をかきのけて前に出ました。
 彼は只に目の無い人で、只のものをゲットするためにはいくら金を出しても惜しくないという人だったのです。「健康のためなら命も惜しくない」というフレーズを聞きますが、あれと同じ理屈なんでしょうね。
 
 彼とは良く只酒を飲みに行きました。たとえば奈良の宝山寺さんには聖天市(しょうてんいち)その他の行事があり、その日は只酒を頂くことができるんです。電車の往復で3000円近くかかったと思いますが、たかだか2合程度の酒を飲むために出かけたものです。
 宝山寺さんの酒は樽に入ってはいるものの樽酒ではなく、いろんな種類の献酒を樽に放り込んだものなんですが、これが美味しいんですよ。もっとも、樽から3mも離れてしまうと御仏の加護が無くなるのか、急に味が落ちてしまいます。
「テルさん、ペットボトルに詰めて持って帰っても美味しくないですって、恥ずかしいから止めときましょうよ」
 樽の底に残された酒を柄杓で汲み上げながら、彼は答えました。
「もう参拝客は来んやろ、残ったら捨てるだけや、もったいないがな」
 そりゃぁ、その通りではあっても……。
 
 同じく大和十三仏霊場の一つに大安寺さんがありまして、こちらは癌封じささ酒祭りなど、やはり只酒を飲ませてくださるので、彼とお弁当を持って出かけたもんです。
 こちらのお酒は奈良の地酒ですが、お祭り用のややアルコール度数が低く設定されたものかと思います。でもぬる燗にしたお酒を青竹に詰め、地元のボランティア短大生がきらびやかな和服をまとって、同じく青竹のぐい飲みにお酌をしてくれるとあっては、不味かろうはずもありません。
「テルさん、ペットボトルご遠慮くださいの行事ですがな、恥ずかしいだけでなく、燗冷ましの酒なんて持って帰っても飲めませんって」
 世話人の方に見つかったら良い顔はされませんが、女の子たちはカメラに向ってポーズをとってくれるし、いくらでもお酒をついでくれるのです。
「こんなありがたい癌封じの酒なんやから、場末の飲み屋でおすそ分けしたろやないか」
 そう答えたテルさんは、数年後に肺癌で亡くなってしまうのですが、続きはまた明日ということで。

みどりの壁なら、ちょいと言いたいことがある

2010年04月17日 | クラシック音楽
 こら朝日新聞、みどりの壁 - goo 映画に言及したんなら、BGMも紹介せんかい! BGMが今回のテーマではなく、「コンドルは飛んでいく」に焦点を当てているんだから仕方ないか。
 今朝のbe面、うたの旅人は「サイモンとガーファンクルが歌って有名になったあの曲はペルーの民謡だと思っているかもしれないけど、ちゃんと作曲した人がいるんだよ」って話でした。
 
 なぜ「みどりの壁」かっていうと、ていうか、なぜ「緑の壁」と漢字で書かないのか、ちょっと不思議。それはともかく、舞台はペルーの首都リマ近くのジャングルを開拓する若夫婦と幼い息子の三人家族の物語です。
 荒筋はgoo映画を読んでいただくとして、クライマックスのところだけかいつまんで言います。

 男の子が一人ぼっちで遊んでいて毒蛇にかまれ、母親は大慌てで息子をリマの病院に連れて行くのですが、折悪しく大統領が来ていて乗せてもらったトラックは立ち往生。
 なんとか病院に到着したものの、血清を保管する金庫の鍵を院長が持ったまま大統領の歓迎会に出席している。院長を連れ帰ったときにはもう手遅れで、町で合流した夫と二人で息子の遺体をカヌーに乗せ、川を下ってジャングルに帰る。
 
 さてここからがタイトル「みどりの壁」の所以です。
 幼い子が亡くなったといううわさを聞いた町の子どもたちが、カヌーに乗って集まってくる。その数はどんどん増え、棺を載せた夫婦のカヌーを取り囲む。
 川の両岸には青々と葉を茂らせた並木が、まるで緑の壁のようどこまでも続いている。木漏れ日がカヌーに落ち、キラキラと輝く水面をカヌーの葬列はしめやかに進んでいく。
 
 この美しい風景を見ることのかなわぬまま命を落とした少年の儚さを、バッハの至福のコラール(賛美歌)が癒すどころか、むしろ際立たせるんですね。
 
目覚めよと呼ぶ声あり
Sleepers, Awake! (Cantata No. 140)


 賛美歌ですから4声体、つまり4つの旋律が重なってます。複雑なだけに何度聞いても新しい旋律が聞こえてきて、飽きることがありません。これがバッハの魅力なんですが、ぼくに聞こえるのは3声までで、4つ同時には聞こえないんです。ここらへんボクの壁ですかね。映画のサントラもギターのデュオだったと思います。

公募に出すような緊張感で書きました

2010年04月16日 | 童話
 祝賀合評会向けの作品を書き上げました。あと2時間、あと1時間、あぁ、もう30分しかない、あ~駄目だ早く印刷してくれ、がんばれ、がんばれ。と、10年選手のプリンターに鞭打ちレターパックを投函しに行ったんですが、本日の集荷に間に合いませんでした。
 
 受け取る側の文学姐さん、予定していたより1日遅れてしまいました。あらかじめ提出しておかなかったぼくに全ての非があります、ごめんなさい。42枚に上る作品ですが、どうか読んでください。
 
 まるで公募に出すときのような緊張感で、今日は本当に疲れてしまいました。40字×30行に圧縮しても17枚って、古いプリンターだから時間がかかるんですよね。でも問題はそういうことじゃなく、切羽詰らないと書けないってことです。
 
 と申しましても行き当たりばったりで書いているわけではなく、将棋で例えるなら詰め上がり図とか終局図という、物語の結末は見えているんです。なのにそこに向って書き進めない。特に今回の作品は途中図を合評にかけて散々こき下ろされたので、なおのこと筆の重量感が増しておりました。
 
 それはそうとして、広島の学級委員長さん、もしかして、どエライご迷惑をおかけしているのでは……申し訳もございません<m(__)m>

筆力? いやそれ以前

2010年04月15日 | 童話
「花冷え」にしては寒すぎないかぁ。こんな日がやってくるとは露ほどにも疑うことなくストーブを収納してしまった我が身を呪った本日、陶芸が終わったら左派系の集会があって、ちょいと煩わし。賀評会向け作品をまだ書き上げていないから。

 もしも今書いているのが陶芸クラブの話だったら、面白くなくてもとにかく筆だけは進むと思う。でも現代の小学校を舞台にしたのが失敗で、小学校生活が見えないぼくとしてはいかんともし難し。35枚まで書いて収束間近ではあるし、結末が見えているのに文字にできない。
 
「筆力とは、書き出しで読み手の心をつかみ、最後まで一気に読ませてしまう力のことである」と、作家の宮本輝さんが先輩の文章を例に挙げておっしゃってました。う~ん、それって大江建三郎さんには当てはまらないかも。
 ぼくの場合、筆が進まないのは凡庸な言葉で表現したくないからってのもあるけど、つまるところ筆力以前なんですよね。

放置プレイから、たちあがれオレ

2010年04月14日 | 童話
 半年ほど前に味噌をあげた人に、「あんたのくれた味噌ね、食えんから捨てようと思ったけど、まあ最後のチャンスをやってもええか、いうて味見したんよ。そしたら曲がりなりにも食べられるようになってるじゃない」と慰められました。
 実は自分で醸造しておきながら、この味噌はだめだ、下手なものをあげてしまったな、しかも相手は自家味噌を造れる人なのに、と悔やんでいたところだったんです。
 ありがたいお言葉をいただき、半信半疑で味噌汁を作ってみたら、ありゃ本当に食えるがな! 絶品とまではよう言いませんが、そこそこの味になっているじゃありませんか。
 
 サントリーの創業者である(故)鳥井信治郎さんの口癖の一つに、「寝かしてみなはれ」というのがあるそうです。不味いウィスキーを大量につかまされて困惑する社員に、「寝かしてみなはれ」と、時の力に委ねるように指示します。樽に詰めたまま一年後に味見してみたら、おぉいける! てなエピソードが残されているそうです。
 とりあえず放置プレイしてみて、どうにもならんようならそこで考えようって教えですかね。時の力って素晴らしいもんですね、ぼくの味噌も捨てられなくて良かった。
 
 余談ながら、鳥居信治郎さんの口癖は他にも、「やってみなはれ」とか、「飲んでみなはれ」いうのがあるそうです。あの方ほどの大物の口癖ともなると、もはや箴言として認知されているようで、「やってみなければ結果は分からないのだから、失敗を恐れずに新しいことに挑戦しなさい」と諭されたり、「飲んでいるうちに慣れて好きになる」と、味覚の本質を教わったりするんですね。
 
 ただいま祝賀合評会向けの作品(しばらく放置していた)を書いてますが、間際になって作品を送り付けたりして怒られやせんかなと心配しつつも、「書いてみなはれ」という天の声が聞こえてきました(ような気がする)。まあ文句が出たら出たで、「後回しにしなはれ」と言われたらすむことです、よね?

イタドリ料理、イタリアン風

2010年04月13日 | 酒、食
 ユダヤ人とパレスチナ人ほどではないにしろ、愛媛県人と高知県人もなぜだか仲がよろしくない。お遍路さんに姿を変えて歩いても、それは腑に落ちます。たとえば、県境で隔てられた隣町同士でありながら、愛媛側の町は松山市を向いて暮らしているし、高知側の町は高知市を向いて暮らしている印象を受けるのです。
 
 高知と愛媛の食生活もメリハリがつきます。質素な民宿の料理が続く高知から愛媛に入った途端、うって変わり豪華な食事にありつくことができます。といって、高知の食事に対してケチをつけようってんじゃなく、単に食文化が異なっていると言いたいだけです。毎晩のようにカツオのたたきを出された高知から愛媛に入ると、カツオのカの字も見かけなくなるのも不思議。
 
 ぼくが愛媛県人だからといって、本日の日記は高知県人に喧嘩を売りたいのではありません。高知県人にあやかってイタドリを料理してみたんです。
 愛媛ではほとんど食べないのですが、高知県人はこれが大好き。南国高知でイタドリを採り尽くすや愛媛に越境して採り始めるのですが、その姿を愛媛県人は快く見ないのです。。
 
 野に生えている草なんだから、わざわざ高知県から来て草引きしてくれているのだ、と思えばありがたいはずですが、草引きも嬉々としてされた日にゃ、どことなく損した気分になるんでしょうか。
 面倒な仕事を嫌いな部下に押し付け、ざまあ見ろと思っていたところ、可愛い女子社員と部下が一緒にデレデレと残業をしている。そんなの目撃したら穏やかでおれないのと同じ心理かもしれません。
 
 では妬ける上司はどうすりゃいいのか。部下を仕事から開放してやれば済むことですが、せっかく押し付けたのだから台無しにできますかいな。こうなったら自分も残業の輪に加わり、「さっさと仕事を片付けて飲みに行こうじゃないか」などと、親切めかして二人の仲に割って入りたくなっても同情を禁じえません。
 こういった、よんどころない事情によりぼくもイタドリ(当地ではハイタネ)料理に精を出してみるわけですが、本日はイタメシ風にしてみました。
 レシピを見て、どの辺がイタリアンやねん! と噛み付かれても怖いので、オリーブオイルを使った辺りぃ、などとワクチンの接種を試みておきます。
 まずはイタドリの皮をむきますが、チュルチュル~と上手くむけたら爽快ですよ。ただ上手くいかないと精神衛生によろしくないので、そんな場合はピーラーでも使ってください。
 
 皮がむけたら5、6cmの長さにカットしますが、今回は早くアクを抜きたかったので茹でる前に割ってしまいました。たっぷりのお湯を沸騰させ、割ったイタドリを投入したら10秒程度で上げてください。長く茹でて良いことは一つもないです。
 茹で上がったものを冷水に漬けてアクを抜きますが、赤く色付いたものであればアクの抜けていく過程を目の当たりにできるでしょう。水道の蛇口から細く水をたらせ、全体が萌黄色に変わってすっぱ味が抜けたらOKとしますが、水を換えながらの漬け置きしたら2時間くらい要してしまいました。
 
 シャキシャキ感が身上の食材ですので、オリーブオイルを引いたフライパンでさっと炒めます。味付けは低塩明太子のみで、塩や胡椒も使いません。トッピングにはエシャロット(島らっきょう)の細切りを奢ってバジルをちりばめました。
 イタリアンと謳ったからには白ワインだろうと……がしかし、日本酒の方が合うかも。そりゃそうだ、どこから見たって和の食材ですもんね。

演奏家はエンターテイナーであれかし

2010年04月12日 | クラシック音楽
 バン・クラーバーンコンクールで優勝した辻井伸行さんの演奏をYoutubeで聴いて驚きました。ハンサムスーツを着てド派手な演奏をする人気ピアニストや、美貌と抱き合わせで売り出し中のピアニストもいいけど、辻井さんはその圧倒的なテクニックを、美しい音を出すことに主眼を置いて発揮しているように思えます。
 今日はじめてちゃんと聴いてみましたら、この人のピアノだけ特別製かい! と叫びたくなるほど良い音です。もちろん特別なチューニングを施したピアノで世界中を演奏して回る方もおられますけど、コンクール用のピアノで演奏してますからね、いやすごい。
 
 特別といえば、N響のコンサートマスター「Maro」こと、篠崎史紀さんも特別なバイオリンを弾いてます。
 
 ミニチュアヴァイオリンでチャールダッシュby Maro


 3、4歳児くらいの使うバイオリンで、マイクを使い音を拾っているようです。バイオリンの先生なら子供用のバイオリンを弾くのは造作もないことですが、それでもこの方の演奏は上手だし、Maroがやるから受けるんですね。ついでに服の裏地も見せたらもっと笑いが取れるはず。演奏家って、芸術家である前に、やっぱエンターテイナーであって欲しいな。

ショパン、別れのポロネーズで悼む

2010年04月11日 | クラシック音楽
「クラシック音楽がブームです」として、朝日新聞be面で「お気に入りのクラシック作曲家」の人気投票をしたそうです。その結果、モーツァルトが1位で、ショパンが2位。まあそうかなって思いますが、回答者の半数が「ほとんど音楽会に行かない」という方々なんだそうです。

 音楽をやる人にアンケートを取ったら違う結果になるか知れませんが、モーツァルト、ショパンが上位に登場するのは同じでしょうね。ぼくの場合は、ピアノを弾くならショパン、バイオリンを弾くならバッハ、フルートを吹くならヴィヴァルディ、そして、観るならモーツァルト、といった順位かもしれません。

 NHK教育テレビ「スコラ 坂本龍一 音楽の学校」の今回はバッハ編でした。バッハのチェンバロの名曲になるとぼくには難し過ぎて弾けませんが、バイオリンの名曲ならなんとかなります。そりゃバイオリンでパガニーニのカプリッチョなんかを弾ければ良いけど、1小節たりとも弾けませんがな。
 
 ありがたいことにショパンは、身悶しそうな旋律と和声進行の美しい曲でありながら、技術的には初心者でも弾けるような名曲を多く残してくれてます。胃薬のCMに使ってそうな穏やかな曲ばかりじゃなく、荒々しい曲想のものまであって、長い間ショパンを嫌いで損したなって今は思いますね。
 
 というようなわけで、ショパンが16歳のときに作曲したポロネーズ「別れ」を聴いてみましょう。
 
Fr?d?ric Chopin: Polonaise in B flat minor, op. posth.


 最後のピアノレッスンでチョイスした曲です。後の曲に比べたらシンプルな旋律かもしれないけど、この若々しさも好きです。ショパン一家が温泉旅行に旅立つというので、友人に贈った曲だとか。温泉旅行といっても当時のことですから、帰れなくなるほど困難なことかもしれなかったんですね。実際、ショパンは20歳でワルシャワを出てからポーランドに戻ることがかなわず、彼の遺志で心臓だけ故国に戻ったそうです。
 それにしても、今年はショパンの生誕200年でポーランドは大盛り上がりだっていうのに、大統領一行の搭乗した飛行機が墜落とは、なんて気の毒なんだ!