らんかみち

童話から老話まで

コンドルは転生の象徴か

2010年04月19日 | 男と女
 昨日のつづき

梅田地下で出会ったの路上ライブは、民族衣装を着てケーナとかサンポーニャで民俗音楽を演奏するわけですから、音は小さいんです。でもわりと上手でだと思ったし、他にもそう思う人がいたのか、それとも異国の地に来て頑張っている姿にほだされたのか、あるいは呼び水ならぬ呼び金か、彼らの前に置かれた托鉢蜂には小銭が貯まっていました。
「リクエスト、OKデス、ドウゾ、リクエストクダサイ」
 一曲を演奏し終え片言の日本語でうながすなり、ぼくの隣で聞いていたテルさんが、
「よっしゃ、ほんなら、コンドルは飛んでいく、やって」
 言うんじゃないかと思ったら、案の定でした。
「テルさん、リクエストしたら金払わなあきまへんで」
「わかってるがな、良い演奏してくれたらそれに見合ったもん払うたるやん」
 そうです、彼は見境無く強欲で吝嗇という人ではなく、自分が納得できるモノに対してなら惜しみなく支払う潔さを持ち合わせていたのです。
 
 やがてコンドルの演奏が始まるや、フルートでこの曲を演奏したこともあるぼくとしても、ちょっと感動しましたね。ああ、これが民俗音楽ってものなのか、ぼくがやってたのはクラシックだったんだ! みたいに目からうろこのサウンドでした。(この曲はオペレッタとして作曲されたクラシックです)
 そこまでは良かったんですが、電車が到着するや、六甲颪を歌う謎の集団が気勢を上げ始めました。謎のってことないですよね、阪神ファンの祝勝の雄たけびに決まってますけど、それが余りにも大音声なのでコンドルはかき消されてしまいました。
 
 ぼくもテルさんも当時は阪神ファンだったんですが、これには忌々しく思いながらも最後まで聞きました。演奏が終わってふとテルさんを見ると、彼がいない! 一人残されたぼくが小銭を払わねばならない状況に置かれているのは明らかでした。
「テルさん、あんたが払わなあきまへんやんか、逃げてどないしますねん」
 つかまえてなじったところ、
「アホか、六甲颪で聞こえんかったんやから、払う必要ないがな」
「そやけど一応最後まで演奏してくれたんですから」
「ほたらなにか、あんたはゆで玉子を注文して生玉子が出てきても文句言わんの? 言うやろ、未完成なものに金を払えるかい」
 まあそういう理屈はあるけど、「ほたらなんで逃げるねん、あんたハゲワシ(コンドル)みたいな人やな」いう話ですわ。
 
 彼の仕出かした不始末を尻拭いするのはいつもぼくでしたから、損な星の巡り合せに生まれたもんやなぁ~とは思いつつ、ぼくとしてもそれなりにスリルを堪能していたのかもしれませんね。
 たとえば彼と隣町で飲んでいたら帰りの足が無くなってどうしようかと歩き回っていたとき、「自動車学校の送迎バスに乗せてもらおう」と、免許を返上してもおかしくない年齢の彼が酒臭い息で無料のバスに乗り込んだり、エトセトラ……。
 
「あんたなぁ、でたらめも大概にしとかんと、そのうち奥さんにしっぺ返し食らうで」と、ことあるごとに彼をいさめていたぼくでしたが、終にその日はやってきました。一昨年の初夏、肺癌が発覚して半年後に彼はあっけなく亡くなったのです。一分一秒でも長生きしないと損をする、という彼の人生哲学に似つかわしくない最後でした。
 しかもキリスト教が大嫌いな彼が最後に闘病したのは福音系の病院で、「神の国は近い」みたいな文言が至る所にあり、さすがのテルさんの目にも涙が……。その上に葬式は仏式だったものの、「クリスチャンの仲間に入れていただきました」と、奥さんの手によっていつの間にか改宗させられたのでした。
 
 思うに、彼は三途の川を渡る前にGODの前に引き出され、異教徒の烙印を押されて審判を受けたはず。ざまあ見ろとは言いませんが、言わんこっちゃない、それ見たことか。
 只酒ばっかり食らったりした生前の素行不良を今頃は悔い改め、天使にでもなっとればいいけど、まあなったとしてもせいぜい堕天子ってとこかな。
 このところ彼を思い出しながら酒を飲んでいて、翌朝目が覚めると酒ビンが空になっていることがあります。そんなときは、テルさんの背中にコンドルの羽が生え、只酒をむさぼりに空を飛んで帰ってきたんだね、などと考えたりするのです。

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