らんかみち

童話から老話まで

ただ酒のためなら命も惜しまない

2010年04月18日 | 酒、食
「コンドルは飛んでいく」の思い出を書こうと思っていたのに、昨日の日記はかなり脱線してしまいました。本日は初心に立ち返ってみますが、あの曲を最後に聞いたのは、大阪は梅田で友人のテルさんと飲んだ帰り道でした。地下鉄梅田駅まで出ると、ソンブレロをかぶりポンチョをまとった髭面の男たちが南米の民族楽器を演奏していたのです。
「ちょっと聞いてから帰ろうや、只みたいやから」
 テルさんが彼らの前で足を止め、遠巻きにする人垣をかきのけて前に出ました。
 彼は只に目の無い人で、只のものをゲットするためにはいくら金を出しても惜しくないという人だったのです。「健康のためなら命も惜しくない」というフレーズを聞きますが、あれと同じ理屈なんでしょうね。
 
 彼とは良く只酒を飲みに行きました。たとえば奈良の宝山寺さんには聖天市(しょうてんいち)その他の行事があり、その日は只酒を頂くことができるんです。電車の往復で3000円近くかかったと思いますが、たかだか2合程度の酒を飲むために出かけたものです。
 宝山寺さんの酒は樽に入ってはいるものの樽酒ではなく、いろんな種類の献酒を樽に放り込んだものなんですが、これが美味しいんですよ。もっとも、樽から3mも離れてしまうと御仏の加護が無くなるのか、急に味が落ちてしまいます。
「テルさん、ペットボトルに詰めて持って帰っても美味しくないですって、恥ずかしいから止めときましょうよ」
 樽の底に残された酒を柄杓で汲み上げながら、彼は答えました。
「もう参拝客は来んやろ、残ったら捨てるだけや、もったいないがな」
 そりゃぁ、その通りではあっても……。
 
 同じく大和十三仏霊場の一つに大安寺さんがありまして、こちらは癌封じささ酒祭りなど、やはり只酒を飲ませてくださるので、彼とお弁当を持って出かけたもんです。
 こちらのお酒は奈良の地酒ですが、お祭り用のややアルコール度数が低く設定されたものかと思います。でもぬる燗にしたお酒を青竹に詰め、地元のボランティア短大生がきらびやかな和服をまとって、同じく青竹のぐい飲みにお酌をしてくれるとあっては、不味かろうはずもありません。
「テルさん、ペットボトルご遠慮くださいの行事ですがな、恥ずかしいだけでなく、燗冷ましの酒なんて持って帰っても飲めませんって」
 世話人の方に見つかったら良い顔はされませんが、女の子たちはカメラに向ってポーズをとってくれるし、いくらでもお酒をついでくれるのです。
「こんなありがたい癌封じの酒なんやから、場末の飲み屋でおすそ分けしたろやないか」
 そう答えたテルさんは、数年後に肺癌で亡くなってしまうのですが、続きはまた明日ということで。