らんかみち

童話から老話まで

子ども目線で書く前に、お年寄り目線で書くべきか

2009年10月06日 | 童話
 台風が近づいているので、桟橋に繋いでいた船を沖に繋ぎかえる作業で早朝から大童でした。徹底した漁師村ではないので漁港といっても慎ましく、防波堤の工事は小泉構造改革のあおりを受けて中途半端な状態で放置されたまま。そんなだから桟橋に繋いでいて、台風の横波を受けて釣り船が沈没した例もあるのです。
 何を言っているのか分からないかもしれません、ぼくも親方に言われても意味が分からず、実際に船を海に下ろして初めて分かったんですから。
 
 そんなことやってたら童話講座には到底間に合わんだろうなと、昨夜お師匠さまに連絡をしておいたんですが、パン屋のQちゃんが手伝ってくれて思いのほか早く作業を終えることができました。
 これなら童話講座に間に合うかも、とバイクを飛ばすんですが、あいにくの雨ではカッパに頼りつつ安全ライディング。ちょっと遅れたものの、ヒーローは遅れて現れた方が印象的なんだよね、なんて悠々と顔を出して「あら来たの」といった顔をされた日にゃ立つ瀬が無いっての。
 
 今日の合評はまず26枚作品から。丁寧な描写に定評のある方の書かれたものですが、細かい描写を心がければそれなりに問題も発生する。書かなくてもいいことを書いたがゆえに、あるいは書き切れなかったために、つまり良かれと思ったものが足を引っ張ることは、ままあります。だったら描写を捨てればいいじゃないかと思う、でもそれでは作品から潤いが失せるだろう。

 ぼくは描写が下手なのでストーリーで読ませようとするんですが、それでは長い作品を書くことは難しい。(故)向田邦子さんは「神は細部に宿る」と、おっしゃったとか。つまり文学作品においてはディテールこそが命であろうと。もちろんそれはストーリー性があった上での説得力という意味合いかと思います。

 ぼくの5枚作品、これは評価が分かれました。もしNHKの「俳句王国」だったら「1点句ですが」と、そりゃあ辛らつな評だったんですが、作者を明かさねばもっと無遠慮な評価が下ったに違いありません。これこそ合評の有り難さです。

 公募の審査員って、子どもですか、違いますよね。たいていはお年を召された重鎮と目されるかたの子ども目線での審査じゃないかと思います。
 童話というのは、子どもに届ける前にお爺ちゃん、お婆ちゃんを納得させられる、うならせられる作品でなければいけないんです。新しいものを肯定するのは良いとして、古いものを否定してはいけません。つまり戦時中に検閲を通過して恋文を届けた要領でしょうか、だったらこいつは難しい。