らんかみち

童話から老話まで

今回の窯焚きは失敗だった、はずなのに

2009年10月29日 | 陶芸
 小春日和のなか、独りぼっちの窯出しの儀は寂しいな、と思っていたら要釉斎先生が来られました。
「どうかね、それみたことか! 言うには早すぎるかね」
 先生が愛してやまない旧窯で焚かなかったからといって、本気でおっしゃっているわけではないのです。むしろ「あぁだ、こうだ」と口を挟んだ責任を……というか、今日は陶芸の日なのですね。
 
 窯出しの儀というのは将棋でいうなら勝負がついた後の感想戦、童話講座でいえば合評の場と思っていいのでしょう。焚き上げたはいいが、さて焼き上がりはどうか、釉薬は何を乗せ、窯のどの辺に置いたか、全て出し終えたらテーブルに作品を並べ、一堂に会して批評を展開する。次の作品を焼く上で欠かせないプロセスといっていいでしょう。でもねぇ要釉斎先生だけでは、「君ぃ、焼き直しぢゃ! 及第点をやれるのはたった一つしかない」となって当たり前なんです。
 
 そんなことやっていたら離島館の館長さんが、「施設を有効利用なさってますか」と視察に来られ、ぼくの作品を見て「こ、これは気の毒に、窯変しているならまだしも、大皿がこんなに歪んでしまっては……」とかおっしゃるからには、館長なかなかの手練とみた。
 結果は大失敗といってかまわないでしょう。要釉斎先生に言われるまでもなく、生焼けなので同じ作品をもう一度窯に入れて焼き直さなくてはいけない、残念だけど。
 
 失敗だったからといって、陶芸クラブの日なので皆さんに開陳しないで済むわけがありません。つらい作業ですが、これもまた皆さんの礎になるのかと思うと、生贄あしらいもやむなし。
「あらぁそんなことないでしょ、きれいに焼けてるじゃない」なんて気休め言われても、ぼくが自らでハードルを下げるでなし、かえって気が滅入るってもんです。

 写真は今回の茶碗に出た「かいらぎ」ですけど、こんなものを目指しているわけじゃない。要釉斎先生に「これは茶碗じゃ」といわれても、こんなもん下品すぎる。それにゴブレットの作品群も一様に生焼けで失敗しました。
 
 だれにどう言われようと、自分で目指した焼き上がりでなかったら失敗じゃないですか。ところが陶芸作品に関してはそういった個人的な法則は当てはまらない。陶芸って自分の嫌いな物が他人に受け入れられる場合も少なくないし、好きなものが否定されることも多いのです。「売れるなら売ったらいい」と言われるけど、売れるからといって自らの理想を落とせるんだろうか、分からない!