らんかみち

童話から老話まで

驕れる陶芸初心者

2009年10月21日 | 陶芸
 ええ格好したいわけじゃないけど、いやちょっとはあるかな、やっぱり自分の腕をひけらかしたいのかな、まぁとにかく展示するための作品を削り終えました。現時点で41cm径の皿なんですが、挽き上げた直後は45cmあったんです。

 我が離島窯のメンバーでこんな実用性を欠いた大皿を作る人は誰もいないので、これくらいの物を作るには道具も自分で作らなくてはいけません。大きなターンテーブルは亀板といって、この上で挽いてこの上で削る台ですが、これを作るのだって一苦労です。
 
 電動ロクロ初体験の友だちが作ったのも削ってあげたんですが、小さすぎてこれまた苦労しました。取るに足ならい小物だけど、ぼくも1年前はこんな小さな作品一つこしらえるのに半日かけてたよなぁ、なんて慈しみながらの作業は、驕りかけたぼくに初心に帰ることを思い出させてくれるのでした。

童話を子らに問う、合評はシミュレーション

2009年10月20日 | 童話
 朝バイクにまたがろうとしたら、シートもタンクも砂まみれ。とりあえずふき取って走り始めたものの、くしゃみが止まらなくなった。鼻毛を抜き過ぎたせいか、それとも昨夜来の黄砂のせいか、あるいは風を切る寒さによるものか。いづれにしてもフルフェイスのヘルメットを鼻水だらけにしたからには、いっそのこと買い換えるべきか、それとも傷むのを覚悟で面倒だけど洗ってみるべきか、それが問題だ。
 
 春を告げる使者とも云われているけど、秋もたけなわというのに黄砂とはどうしたことか。それもだし、車をドライブして紅葉を愛でるにはまだ早すぎるロードスター日和だったけど、バイクを駆るぼくは極寒に震えておりました。だけど海の中は今が春真っ盛り。藻やアオサ、養殖海苔なども一斉に芽を出し始める季節なのです。
 
 秋なのか春なのか、もしかしたら冬なのか分からないまま走り続けて童話講座に到着したら、所要時間は1時間55分と、最短記録を更新しました。2時間を切ったことに満足していたら、「今日も作品を提出しないとは、いったいどういう了見ですか!」と、お師匠さまからお叱りが……。三人とも次回までにメールなどで提出することを約束して本日の合評です。
 
 一作目は書き直しですが、これはすごい! 何がって、確実にステップアップしている様が手に取るように分かるんです。ぼくのように一度書いたものを書き直さず、新しい作品を書きたがる者はとかく自己満足しがちで、客観的に上手になったかどうか判定しがたいんですね。お師匠さまに口酸っぱく言われていながら、人様が脱皮していくのを目の当たりにした今日の今日まで真に理解できていなかったのは迂闊でした。
 
 お次は突っ込み甲斐のある40枚作品ですが、書き手が練達であるがゆえに目をくらまされて読まされる。しかし冷静に読み返してみると 主人公は作者自身であり、物語が進行しているようであって、実は作者の心象風景が帰結しているだけなのではないか、とさえ思えてくる純文学志向の作品でした。
 
 私小説として書かれた物語なら、この作品は大いに評価したい。だけどぼくたちが目指しているのは私小説でしょうか、じゃなくて子ども向けのエンターテインメントを目指しているはずです。それはなぜか、自作を本にしたいからに他なりません。
 出版社の望まないものを本にしたければ自費出版という手もあるでしょうし、それで成功した例もないわけではないでしょう。だけど公募に問うてみるということは、当代の子どもたちに自作を問う作業と大きくかけ離れたことではないと思います。合評というのは、そのシミュレーションの場に違いないのです。
 
 行きも良い良いではなかったけど、帰りは寒いばかりか暗くなって怖かった。30分遅れるとずいぶん日が落ちてバイクのライトでは走り辛いのは承知していても、酒どころ広島県に行くからには清酒「賀茂泉」を手に入れずなんとする。でも売ってないんですよね、なかなか。そこで名物「保命酒」を買いました。みりんが基礎にあって、紹興酒の香りと似てかぐわしく、ぼくには甘すぎるけど疲れ身にはなかなかの味わいでした。

ハリー・モミジィという名の按摩さん

2009年10月19日 | 暮らしの落とし穴
 いつも左向いて歩いている人間が、たまに右向いて歩いたりするもんだから今日のようにモミ爺の門を叩かないといけなくなるんですね。
「へっへっへ、噂をすれば影とやら。兄さんが来なさることは承知しておりましたよ」
 座頭の父つぁん、すなわちモミ爺に予知能力があるんじゃなく、「あいつは陶芸でバカやっとるから、そろそろダウンして揉んでもらいに来るよ」と、陶道仲間が情報を漏えいしていたものと思われます。
 
 モミ爺は針も打てるので、「肩が凝って歯茎が腫れたよ」と訴えたら、チクリチクリと首筋から腰にかけて針を打ってくれました。
「凝りというのは筋肉に乳酸が溜まっている状態で、針を打ってもそれが融けるんでございますよ」
 揉み解したら乳酸が抜けるのはなんとなく分かりますが、不思議にも針を打っても時間はかかるけど乳酸を排出できるのだとか。「あんま手離れ、針三日」といわれるように、按摩は終わった時点で効き始め、按摩は三日経ってから効いてくるのです。
 
「明日福山までバイクで2時間走りなさる? せいぜい肩を凝らしてまたお越しください、お待ち申しております、へっへっへ」
 モミ爺は激励してくれたんですが、家に帰ると揉んでもらう前にも増して気分は鬱です。いわゆるモミ返しというやつでしょうか、こんな夜はライトなアルコールが良かろうとチョイスしたのが「2009年おたる初絞り、デラウェア」です。8.5%のアルコール度数である上に、葡萄葡萄したジュースみたいな甘口の白ワインなので肴が無くてもがぶ飲みできます、という場合じゃなく明日は童話講座だっちゅうの。

NHKへ抗議デモに行ってきました

2009年10月18日 | 社会
 自分たちは憂国の士であり愛国者であって右翼ではない、と主張する方々とNHKの偏向報道に抗議するデモをしてきました。といったら、あんたはこの前、左派系の自然保護活動みたいなやってなかったか? と質されそうですが、はいどちらもお付き合いがあって……。
 田舎じゃ右だの左だのと色分けしてたら窮屈でいけません。たとえば宮司さん、これはどう考えても右派でしょうが、ぼくの役目柄お付き合いは欠かせません。お寺はどうか、一応は中立との立場ですが、強いていうなら左向いているようにも? こちらも公私ともにお付き合いさせていただいてます。
 
 NHKの偏向報道とは、この春に放送された「JAPANデビュー」というドキュメンタリー番組の第1回放送分についてのでたらめぶりのことですが、これについてぼくはどうこういえる歴史観は持っておりません。しかしこの前の「アインシュタインの目」で取り上げていた更科生粉打ち蕎麦については、「更科は蕎麦の吟醸、幻の蕎麦」と位置づけ、まずい蕎麦をさも美味しいかのような番組構成をしていて、開いた口からよだれが出ました、じゃなくて開いた口がふさがらなかったのです。
 
 まあそんなこともあって「撮影係をお願いできないか」と、右大臣から打診があって了承し、村祭りやら文化祭の準備が続く疲労の中でビデオカメラを抱えました。そう、右でもない左でもないぼくなもんで、デモの仲間に入れてやろうとは言ってくれなかったのです。
 
「NHKを解体するぞ! NHK会長は辞職せよ!」などと、老若男女によるシュプレヒコールも勇ましく松山市内を練り歩いてNHKに着いたからといって、べつにNHKに火を放とうみたいなことは考えておりません。♪キンコンカン~と、NHKのど自慢の鐘の音が街頭テレビから聞こえてきたら「おお、もうお昼か、食事にしよう」という反応が自然に出るし、大河ドラマ「坂の上の雲」を楽しみにしている方々なればこその老婆心からNHKへの忠言をするだけです。

 始めから終わりまで私服の刑事さんに見守られながら右手でビデオカメラを回したらすっかり肩が凝って、明日はモミ爺のお世話になるやも。デモ参加者もさぞ疲れたに違いないと見たら、充実感あふれ達成感のみなぎる顔も晴れ晴れとして、ストレス発散になって楽しかったのか!
 幟やらチラシやらの全ての費用を自分たちで出して手弁当で参加している憂国の士たち、デモをやり遂げた充足に満たされないとやってられんでしょうね。NHKにしても、納得できるかたちで対応すれば良かろうと思うけど、依然として風通しが悪いと見えます。アインシュタインの目の蕎麦偏は、蕎麦職人の「蕎麦を打つ心構えを忘れないための更科生粉打ちなのです」という言葉で締めくくっていたと思いますが、ああいう一言がいえんか……。

祭りに支配され続けて、この先どうなるの

2009年10月17日 | 陶芸
 文化祭に向けて大皿を挽くため、特別にミーティングルームをお借りすることに。この際だからと、ぼくに半年ほど遅れて陶芸を始めたらしい友だち呼んであげました。しかし良く聞いたら彼は電動ロクロが初めてなんだとか、そうと知ってりゃこの忙しい時期に声をかけたりしなかった。案の定、手取り足取りで教えにゃならず、自分の作品ができない!
 
 しかしぼくも最初は親切に教えてもらった(好む好まざるにかかわらず)ので、後進を指導するのにやぶさかであっては罰当たりというもの。一つ二つ作品らしき物をいっしょにこしらえてあげました。がしかし、彼の作ったものを整形して焼いてあげないといけません。余計なことかかえてもた!
 
 陶土で45cm径の皿を一つと、磁器土を初めて挽いてみました。これが難しいのなんの、手触りはつるつるして良いのですが、陶土に比べて腰が無いので手際が悪いと徳利を挽き上げるのは至難です。そこで陶土と半々で混ぜてみたところ、なんと鶴首徳利も柄こても使わず楽々挽き上げることができました(ちょっと重いけど)。
 
 これで展示用の作品ができて一安心、じゃないんです、まだ素焼き、釉かけのち本焼きという工程での失敗が待ち構えているかと思うと気が気じゃないのに、明日は別件で人身御供となってしまいますが、これもまた祭り。全てが祭りに支配されて童話を書くどころじゃないけど、この先どうなるんだろう。

昔の美女に囲まれ、肩身も狭くろくろ回し

2009年10月16日 | 陶芸
 昨日作ったゴブレットシリーズの仕上げをやるために、レザークラフト教室の片隅にお邪魔しました。
「兄ちゃん、黒一点でモテモテやなぁ、手が震えるか?」
 ろくろを回していると、おばちゃんたちが寄って来てなんだかんだと話しかけてくれるが、自分たちがおばちゃんだとは露ほども思っていない昔の美女たちにおちょくられつつ、どんなリアクションをせぇっつーねん!
 
 ゴブレットの高台は湯のみなんかと違って複雑だし、背が高いので削るのに神経を集中しないといけない。そこへもってきてかなり生乾きだったものだから尚のこと難しく、10時から初めて18個全部を削り終えたら4時になってしまいました。
 肩は凝るわ腰は痛いわの憑き物が祭り疲れの上に乗っかってきて、もうタッチダウン寸前。なのに明日も大皿一枚と、磁器土で徳利シリーズを挽かないといけません。それも洋裁教室の片隅で、と思っていたら洋裁の予定が変更になったらしく、誰にも邪魔されずに集中してやれそうです。

一祭さって、また一祭、災難と似ている

2009年10月15日 | 陶芸
 近所に住んでいる叔母さんが「手を切ったから病院へ連れて行け」とか「叔父さんが入院したから云々」とまあ、夜中だろうが早朝だろうが、酒を飲んでいなけりゃ対応するけど、怒涛のようにせがまれることもしょっちゅうで、オレ介護タクシーやろうかなぁ……。
 
 近所に年寄った親戚がいる煩わしさいうのは、経験してみて初めて分かりました。それだけでなく、この村は異常と思えるほど行事が次から次へと押し寄せてきて、そのたびに村人同士が顔を会わせるから、仲が良いといやそうですが、確執もその分だけ増える、いうわけです。次は段原神社のお通夜だったかな、問題が起きないことを祈ってます。
 
 そんなことより、文化祭があるって忘れていた! 祭り祭りと、このところの心労からようやく開放されたと思っていたら、陶芸クラブに義務付けされている文化祭へ出す作品ができていないのです。
 陶芸クラブでは自分が作りたいものだけ作ってきたので、見せる作品のことが頭に無かった。ここんとこ大井戸茶碗に夢中になっていたけど、そんな見てくれの悪い、しかも出来損ないなんて展示できようはずもない。大皿を壊さんかったら良かったんけど、後の祭り。
 
 一連の流れで今日はゴブレットシリーズを挽きました。大きさや形が不揃いなのは、まだぼくらしいゴブレットの形が決まらないからです。自分らしいというのは美しいという意味ではなく、ワインなり焼酎なり、ビールや日本酒を飲んでみて、これが素敵! と思えるものが目標です。
 日本酒以外の酒はガラスの器で飲むに限る、と思っているぼくなので不可能に近い目論見ですが、それはそれで挑戦し甲斐があるというものです。

やがて手造り味噌ブームがやってくる

2009年10月14日 | 酒、食
 燕返しとか畳返しなら知っているが、味噌の天地返しとは何ぞやと聞かれたことがありますが、糠床を混ぜるのと同じような作業です。味噌を仕込むと樽の中心は良質な醗酵をするにもかかわらず、その周りはカビが生えたり醗酵が遅れたりするので、それをかき混ぜて醗酵を促すのです。
 
 ぼくの仕込んだ味噌は乾燥米麹と裸麦麹、それに煮大豆を握りつぶしたものと塩を混ぜているわけですが、仕込んで一月も経つと乾燥米麹も大豆の煮汁を含んで柔らかくなります。そこで天地返しを兼ねてミンチ器にかけておくと、味噌を使う時すりおろしが楽になるというわけです。
 
 こうして熟成を待ってから(麦味噌は二月くらいしたら食べられる)冷蔵庫で保管する(時々出して醗酵を促進させる)と、一年を通して微妙な味の変化を楽しみながら食べられます。市販のものは味が変化しないように醗酵を止め、防腐剤を使っているので楽しみがないといえばそうでしょうが、常にできたての安定感を求めたい方には向いているといえるでしょう。
 
 三種類の麦味噌を仕込んでみて驚いたのは、期待していなかった合わせ味噌が現時点では最も美味しいということ。嘗めてみると麦らしい芳しさは母の味噌に一歩ゆずるとして、米の甘みと大豆の旨味は他の二つより一歩リードしている感じ(値の張る大豆を使ったからなぁ)。期待外れだったのは最後に仕込んだやつのパワーのないこと。大豆が小さかったのでやや煮不足(大豆は小さいほど煮るのに時間がかかる)だからかもしれません。
 いずれにしても三種の味噌はまだ熟成段階なので、これからどんな風に味が変化していくのか楽しみです。熟成を終えて冷蔵庫に入れたら、後はこの三つをどんな按配でブレンドして使うか、それも楽しみ。

 味噌造りってスローフードの中でも相当おもしろいものじゃないかな。自分で蕎麦を植えて収穫したのを打つって、田舎に住んでりゃそれもありでしょうが土地と時間、体力と技術が必要です。その点で味噌つくりなんて道具も要らず結果も早く出るし、一年中できるからサークルかなんか作って手前味噌交換なんてのも楽しそう。今は廃れてしまった自家味噌造りだけど、趣味の一ジャンルとして復活する日もそう遠くないと思います。

選外となった恋物語のゆくえは

2009年10月13日 | 童話
 ある短編恋物語に応募したのがおよそ1年前。結果は選外で、もう二度と出してやるもんか! と拗ねたわけじゃないけど今年は当の公募に出しませんでした。そしたら今日になって手紙で「応募作品が多数あった中で、入選とはならなかったものの優れた作品として選考過程に残っていたものを公式ブログに掲載します」いうてきました。
 
 入選も果たせなかった作品を晒し者にできるか! というわけで即座に断ろうと連絡先など読んでいたら「権利は主催者に帰属する」と書かれていて、公式ページを確認したら「メールで応募した作品に関しては掲載する」とあって断れないのです。
 迂闊でした、というのも同時期の別の公募で「落選しても希望する方には公式ページに掲載させてあげます」というのがあって、それとごっちゃになっていたんです。もちろんどちらの公募にも落選したら断るつもりだったけど、そちらは入選したので問題は発生しませんでした。
 
 何が問題なのか、それはプロットを使い回しできなくなるから、というのもあります。落ちたからといってその作品を別の公募に出そうと思えば大幅な変更を余儀なくされるからです。応募要綱を熟読しなかったぼくに非があるのは明らかで、作品を郵送すれば晒されることは無かった、とはいえ同じ作品を別の公募に出せないのは同じことだけど。
 あるんだよなぁこういう公募が。しかし「作品の転載に関しては本人のみ可能」ともうたわれているので、もしかしたらよその公募に出せるんだろうか、微妙……。
 
 アホやなぁとは思うけど、やっちまったものは仕方ない。勝間和代さんも「さまざまな物事には明確な成功や失敗の定義などないのだから、ゼロイチ思考で考えるな」とおっしゃってます。
 だったら気持ちを切り替えるが、「選考過程に残っていた」とはどう意味かいな。ぼくの作品が箸にも棒にも掛からんものでないことは確かだけど、300程度の応募作品を敵に回してどこいら辺まで行ったのか知りたい。年間に40数作品が公式ページに掲載されているから、郵送された作品は除外されているとして、およそ300作品の内の50番以内には入っているということでしょうか、アバウト過ぎる。
 
 いつかお師匠さまに「ぼくはラブストーリーが苦手なんです」と申し上げたら「それならばこそ今のうちに挑戦してつまづいておきなさい。後回しにすればするほど失敗が怖くてチャレンジできなくなりますよ」と諭されました。
 思えば今のペンネームで表に出るのはこれで3回目。まだ名前が世間に知られていないので、下手な作品を晒されたところでどうってこともあるまい。これがもし一定の評価をいただいて後のことならどうだろう、やっぱり怖いにちがいない。
 掲載するにあたってペンネームを変えてもかまわないようですが、逃げ隠れするのも潔しとしないので直球勝負、ルーキーなんですから。

祭りの後の空しさ

2009年10月12日 | 社会
 つつがなく秋の例大祭を終えることができたのは、村の皆さんの団結力の賜物、海神様のご加護かと思います。お祭りというのは、日ごろ神社にお参りする我々に「年に一度くらいはこっちから出向いたろやないか」とお御霊さまがおっしゃるので、お神輿にお乗りいただいて村々を練り歩くわけです。
 
 お御霊さまっていったい何? とおっしゃるかも知れませんが、ぼくには答えられません。桐製の筆箱くらいの箱に錦が巻かれていて、その中におわすらしいのですが、村人の中にもそのお姿を拝謁したものは誰一人としておりません。宮司さんならご覧になっているはずですが「何が入っとるの?」と尋ねた人もまたいないのです。
 
 しかしながら「あの中には馬の骨が入っておるんじゃ」とも「紙切れが入っているらしい」とも、畏まる(かしこまる)いうことを知らない御仁の唱える説を聞いたことはあります。恐らく、お御霊さまは道祖神のようにお姿をあきらけくなさらず、厳かに佇まって尊いものなのでしょう。
 
 写真の櫂伝馬というのは、本来は出陣を前にした海賊たちを鼓舞するための儀式。この勇壮な舞と対を成すかのように、隣村には海賊が凱旋したときの祝典の舞を披露する優雅な櫂伝馬もあります。

 早朝からの片付けも終わり、昼からは算用酒という一年の会計報告が形骸化した酒宴が催され、どっぷりと酒に浸かったから日記がおざなりなのではなく、祭りの後の空しさに浸かっているからです。燃え尽きてしまったのですぅ。