らんかみち

童話から老話まで

蕎麦も人も、遅咲きだからこそいいことがある

2009年10月08日 | 陶芸
 台風被害はまだまだ続いているようですが、メーローをやり過ごした当地は幸いにも大きな被害は無かったようです。ぼくの船も昨日の時点では荒波に揉まれ「沈みそうやぁ助けんかい!」と訴えているように見えましたが、今朝見るとさざ波と戯れておりました。
 
      
 
 蕎麦は哀しいかな、倒伏しているものも少なくなかった。だけどこのところの雨のおかげで遅れて芽を出したヤツも相当数あって、あいつらに夢を託したろやないか。
 夢といやぁ大井戸茶碗のことは諦めました。いくら頑張っても今のぼくの技量であの姿形を写して挽き上げるのは至難です。電動ろくろで挽き上げた直後は国宝の「喜左衛門」と似ているように思えるのに、高台を削り終えて見ると似ても似つかない物になっているんです。
 ここまで拒絶されたらもう止めや、あんたのことは諦めるわ、と大井戸茶碗に別れを告げて徳利やらゴブレットやらを挽きました。
 
      
 
〈芸事の世界では、「稽古を一日休んだら自分に分かり、二日休んだらお師匠さまに悟られ、三日休んだら客にばれる」と云われているそうだ〉
 いつぞやの天声人語から引用してみましたが、同じようなことをピアニストの中村弘子さんも書かれていて、「ピアニストは練習をサボると不安になる」のだとか。

 陶芸クラブは一回分飛んだんですが、今日やってみると変に上手く挽ける。一年前はろくろも回してなかった。ろくろを教えてもらうようになっても、ぐい飲み一個作るのに半日がかりだったことを思うと、ずいぶん進歩したなぁと感慨に浸るのです。

 天声人語は「休むことによってリフレッシュできて良い結果も出ることもある」と結ばれていたと思うけど、これか! いえいえ、そうじゃなく、ぼくが発展途上だからでしょう。芸事がどうのとかピアニストがなんだとかいうのはピークに立っているが故の危うさで、練習を休んだら落ちる一方の至芸の人にのみ許される格言なのです。

「君ぃ、君は以前に陶芸経験があるじゃろう、嘘をついちゃいかん」
 クラブの重鎮、要釉斎先生はぼくの作品を見るたびに糾そうとなさるんですが、断じてぼくは素人、ビギナーです。要釉斎先生から見たら遅れて芽を出した「びっくり子」でしょうが、先生のできなかった夢をかなえる可能性は宿しているかもしれません、その辺のことよろしくご指導願いたいものです。