らんかみち

童話から老話まで

プチプチ遍路をしてきました

2007年05月06日 | 社会
「なんでロシア人と知り合いなん?」
「いや、ロシア人やのうてロシアに住んでる日本人ですがな」
 菩提寺のお坊さんとこんなやり取りをしながら、いったいどんな人が来るのか知らん? とぼくも気が気じゃなかったんですが、普通のいでたちをしたおじさんだったんで一安心しました。この人から聞いた昨今のロシア事情はいずれ書くとして、彼とプチ遍路をしてきました。
 
 プチ遍路というか、ミニお四国というか、うちの田舎では「准四国八十八箇所」と呼ばせていただいている「島四国」。歩いて三日間で結願できる程度の、本四国から見れば箱庭みたいなお手軽遍路で、その簡便さゆえか愛好者も多いようです。
 しかしだからといって決して安楽でもない結願までの道のりが、道行く人に程好い疲労感と達成感を味わわせてくれます。それが開創200年を迎える今年まで島四国を永らえているゆえんの一つでしょうか。
 
 またお四国につきものの「お接待」がこの島四国にも連綿と受け継がれていて、ひとたび歩けば島全体が巡礼のムードを遺憾なく盛り上げてくれることでしょう。現にぼくが「ロシアっち」と歩いた時だって、縁日の三日間という特殊な時期ではあるにせよ、全ての札所でお接待をいただきました(ぼくは地元民のくせに!)
 
 そのお接待にあずかって思うのは、お接待する側は現世利益など求めていないということ。お遍路さんにお大師さんの姿を彷彿しているのではないということ。まして弘法大師が今でも生きているなんて誰も信じてはおらず、ただ巡拝する者の動機、姿に心うたれての無償の奉仕がお接待なのだろうということです。
 
 それは本四国を巡っても同じ印象を受けるでしょう。お接待とは他でもなく、目の前を歩く(あなたという)お遍路さんに向けられた憐憫、崇尊といった心情の具体なのです。
 宗祖とはいえお大師さんという他人ではなく、私という個人に向けられたものであるなら、我々自信が全身全霊でもってお接待の志に応えるべきなのでしょうね。