らんかみち

童話から老話まで

ぼくが出入り自粛した大衆酒場の怖さ

2007年05月19日 | 酒、食
「えっ! うそ、本当に出入り禁止にしたの? マスター」
 場末の飲み屋のマスターが、一人のバカ男を出入り禁止にしたと聞いて驚きました。あの店はあちらこちらの店で出入り禁止を食らった、酒癖の悪い連中の吹き溜まりみたいな店なんです。
 そんな連中に安らぎを与えてくれるマスターは温厚で信心深く、優柔不断で欲の無い人ですが、その彼をもってして「オレ、帰ってくれ! とは何回か言うたことあるけど、二度と来るな! なんて言うたん初めてや」と言わしめたなんて余ほどの沙汰です。
 
 そりゃぼくも決して良い客ではありません。グラスが臭うとか、その食材はもっと良く洗えとか、結構ズバズバ突っ込みます。ですがバカ男のように「マスターの作るもん食うて腹こわした」なんていうはずもありません。自分の腹は自分で管理すべきなのですから、怖けりゃ場末で物を食わなかったらいいのです。
 でも場末のマスターなんでまだ良心的な方です。厨房は汚くても、丸見えになっているだけまだましでしょう。見られてないと思ったら人は何をするか分かったもんじゃないんですから。
 
 いつだったか友だちのテル爺にとある大衆酒場に連れて行ってもらったんですが、ぼくがトイレに立った時、何気なく厨房をのぞいて愕然としました。調理中に床に落としたものを洗いもせずに平然と鍋に放り込んだんです。
 こういった光景を目撃したときどうしたらいいものでしょう? 「おいこら、何さらしとんじゃい!」と凄みたくはなりますが、「これがうちのやり方や! 文句あるんか」と応えられたらどうしようもありません。
 
 あの鍋を注文した人って気の毒やなぁ、と思いながらトイレから帰るなり、その鍋は我々のテーブルに届けられるではありませんか。
「この店に来たらたいていこの鍋注文するから、今ではオレの顔見たらこれが出てくるようになったね。美味しいから食べなよ」
 テル爺はそう言ってぼくに鍋を勧めてくれたのを、
「いや、美味しそうですが、ちょっと腹具合がその……」
と、遠慮させていただきましたが、彼は美味しそうに食べ切りました。ぼくはその店の出入りを自粛してますが、彼はますます健康で足繁く通っているようです。