らんかみち

童話から老話まで

男同士の別れ方、ちゃんと言ったよ、さよならは

2007年05月16日 | 男と女
 通い詰めていたお客さんの姿が忽然と消えてしまうことが、場末の飲み屋にはよくあります。多くの場合はその方が鬼籍に入られたからで、場末の喧騒の中に異次元の空間がぽっかり開いた様な気分になることもあります。
 しかし、殴られた、刺された、どこかに収容された、といった物騒な話を後になって聞くと気持ちが沈みます。
 昨夜もそんな姿を見せなくなったお客さんのことが話題になって、マスターに事情を訊きました。
 
「彼ね、年老いたお父さんを引き取って一緒に住み始めたんよ。そやからオレも声かけ難いヤンかぁ」
 マスターの言うには、本人も体調が思わしくないし、そうそう飲み歩いてばかりもおれなくなったと。しかしこれはおかしな話です。場末に集うようなアル中がそんなことで店に来なくなるはずがありません。
 
「じゃあ、ぼくが用事があるからって、電話してみてよ」
 渋るマスターに電話をかけさせ、駅前のうどん屋で飲もうと彼を誘いました。店じまいを急ぐマスターですが、タイミングの悪いことに時々お見かけする老紳士がのれんをくぐって入ってきました。
 店には客がもう一人いますが、彼とは一緒に出てマスターと4人で飲むことになってます。気の毒なのは入ってきたばかりの老紳士です。ビール1本飲み干す前に、腰が浮いている我々に気がつき、出て行かれました。まだ9時半でした。
 
 駅前のうどん屋に入るなり、誘った男とマスターが不穏なムードになりました。どうやら二人の間には、一月ほど前に溝ができていたらしいのです。店に来なくなったのはそのせいでした。
「なんやぁ、そんな事やったんかいな。仲直りできて良かったね、今夜は」
 酒の力を借り、やがてわだかまりの溶けた二人にぼくが言うと、彼らは上機嫌で祝杯を重ねたのですが、ぼくは続けてこう言いました。
「ぼく、もうすぐ消えるからね、今まで楽しかったよ、アリガト」

 店を出たのは11時でした。少し肌寒い夜でした。一人で帰り道を歩きながら、つっと一筋涙がこぼれました。
 ぼくの声、酔っていた3人にとどいたかな? でもちゃんと言えたよ、さよならは。