らんかみち

童話から老話まで

点滴の空気が血管に!

2007年05月28日 | 暮らしの落とし穴
「HALさん注射しますね~」
 詰め所での申し送りが済んだ雰囲気があってしばらくすると、初めて見る看護婦さんが来て言いました。
「え、注射? 血管の浮き出る注射ですか?」
 看護婦さんの顔に戸惑いの色が見えました。一瞬は患者を取り違えたかなって思ったでしょうか。
 
 ここの病院は最先端のシステムが導入されているわけではないので、安全確認のために、ぼくの手のベルトで氏名と生年月日を確認してから点滴を始めますが、これくらいの規模の病院ならもうすでにQRコードを用いた監査システムが導入されていても良いはずなんですが。
 
「そのシステムは、まだこの病院にはひとつのフロアだけで試験的に実施されているだけなんですよ」
 看護婦さんが緊張しているのではなく、血管が細くて浮き出難いぼくのほうがきんちょうするので、ぼくの言葉は針を刺し込まれる前のモラトリアムみたいなものです。少しでも針の痛みを遅らせたいのです。
 
 針は順調に入りましたし、追加の赤い注射液もニンニクの匂いと共に流れ込んで来ました。看護婦さんが行ってしまい、体を横たえようとして何気なく点滴のチューブを見ますと、なんと! 3cmほどの空気層が血管内に送り込まれようとしているところではありませんか。
「あ、アカンやんけ!」
 とっさにチューブをつまんだんですが、無情にも空気は止ってくれませんでした。
 
 ベッドに横たわり、もうそろそろ走馬灯が見えてくるのかな、と観念しておりましたが何事も起きる様子はありません。その間にも一定の間隔で点滴液がポタリポタリと落ちてくるのを見つめながら感じます。
「ああ、この一滴一滴が鼓膜に沁みる。ぼくの乾き切ってアルミ箔のようにガシャガシャ鳴っている鼓膜を、この一滴一滴が元のしっとりたおやかな鼓膜に戻してくれている……」

 そんな想いと言うよりも「治るんだ、治るんだ、絶対に治るんだ」と、自身に暗示をかけながら、この苦行のような点滴が少しでも早く終るのを願っているんです。
 でもぼくなんかまだましで、お隣さんはぼくより早く点滴を始めたのに針を入れることが出来たのは、ぼくの点滴が半ばまで落ちたころでした。
 
 治る当ての無い治療。無駄な努力と知りながら受け入れるぼくを励ます言葉を看護婦さんは持たないかのようです。
 それはしかしナースステーションから離れたこの部屋での、まだしもささやかな試みであって、詰め所の前の部屋ではモーツァルトのBGMの下、もっと空しい努力が続けられているのです。だれにも聴こえないけれど、だれの胸にも響く沈鬱な通奏低音がこのフロアには流れ続けているかのようです。
 
 それにしても点滴の空気って本当のところどれくらい入ったらまずいんでしょうかね?
「3cm入ったら危ないですね」
 昨日点滴してくれた看護婦さんはそうおっしゃいましたが、ある看護婦さんは1mと言ってました。それと、栄養士さんだかが来られて「お食事どうですか?」と聞かれましたが、それについてはまた明日。
 
◆メチコバール 500μg 静注追加
◆診察:聴力検査の結果を参考にしながら投薬を変えてみましょう
◆聴力検査:左は正常 右は高音域で70db 最初の検査と何ら変わりなし
 

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