らんかみち

童話から老話まで

海鳴りも、耳鳴りも聴こえなくなってこそ

2007年05月29日 | 暮らしの落とし穴
 病院の食事って、たいていの人は「味気ない、早過ぎる」を主張されますが、ぼくの今までの少ない入院経験ではそんなに不味いと思ったことありません。ですがこの病院の食事にだけは苦言を呈したいです。
 
 昨日の栄養士さんにも言いました。いくら外注しているからといって、食材に対する尊厳の気持ちに欠けた調理をするたーどういう了見でぇ! 味付けのセンスもさることながら、人間が食べるものと思って作ってくれてるんすか? と。
 
 こんな話を童話仲間の令夫人がたに読まれでもしたら「まあHALさん、なんて気の毒な、うちの犬が食べ残した和牛霜降りのステーキでも差し入れしようかしら?」なんて哀れまれても困りますが、断食道場の食事が今は料亭の味に思えてきます。
 
 耳鳴りは相変わらずですが、月末の童話公募に向けた作品を書かねばなりません。これを書き上げなかったらお師匠さまの檄に耳鳴りが加速するのは必定。などと考えながら病棟の談話室でカチャカチャとキーを打っていたら、そこにお師匠さまの姿が!
 
 いや、驚いたの何の! まさか本当に来られるとは思ってもみませんでした。しかも手土産などまで頂き、恐れ入りながら、とりあえずの完成を見た作品を評していただきますと、たった一言。
「頭から書き直しですね、これでは5枚童話の書き方を一から叩き込まねば……」
 このお言葉に、ぼくのニィニィゼミだった耳鳴りは、アブラゼミ、クマゼミへとグレードアップを重ね、ついにはジェット機になりました。
 
 しかしですよ、どこの世に弟子の入院先まで出かけて教鞭を取って下さるお師匠さまがおられるでしょうか? 金のわらじを履いて探したってそうそう見つかるものではありません。なのでこのご恩にむくいねば、と思えば思うほどジェット機が……。
 とはいえ、ものを書いて集中していると耳鳴りが消えることもあるんです。耳鳴りに慣れたといえばそうかも知れませんが、それも一つの手かもしれません。
 
 高知を遍路していて、真っ暗な雨の中を40kmほど歩いて遅く着いた民宿(後に民主党の菅さんが泊まられた)でのこと。朝ご飯をいただきながら、奥さんに気遣われました。
「夕べの海鳴りはひどかったでしょう、眠れなかったのでは?」
「いえ、疲れてビール飲んだらぐっすり眠れましたが、奥さんは眠れなかったんですか?」
「いいえ、我々には海鳴りは聴こえんがです」
 そう答えられ、そんなもんなんだ、人間の適応力ってすごい! と感心したことがあります。
 ぼくの耳鳴りも、海鳴りのようなものと受け入れることが出来るようになって、初めて完治したといえるのでしょうか。もっともそのころには、耳鳴りも海鳴りも聴こえんがでしょうけど。
 
◆昨日と全く同じ投薬治療。今日は手術日なのでお昼に診察があり、30秒で終りました。