らんかみち

童話から老話まで

名医の条件、諦めが良いのもその一つ?

2007年05月21日 | 暮らしの落とし穴
 実はもうとっくに歯の治療は終っているはずなのに「最終検査」ということで衛生士さんにチェックしてもらいました。別に彼女達が愛想良いからぼくが望んだわけではなく、先生がどうしても面談したいとおっしゃったんです。
 
 その検査の結果は大変良好なものと診断されましたが、先生は「手術すればもっと歯が長持ちしますよ」と、なにやら歯ぐきを切開(保険で3000円)したり、場合によっては骨の形成手術(非保険で10万円)を勧めてくれました。それにぼくの親知らずを抜く(お断りした)のにもまだ未練があるようです。
 
 この先生はとても高い技術をお持ちのようで、軽い虫歯もあったんですが(本当は治療の必要は無い)とても具合良く治してくれました。でもぼくの歯が硬い物を噛んでも痛まなくなったのは、歯石を取ってくれた(5年前にもやっている)衛生士さんのおかげだし、歯ぐきの腫れが治まったのはぼく自身のブラッシングの効用に拠るものです。それに何と言っても、全快したのは、別の病院で処方された薬を飲んだからなのです。
 
 歯の痛みはもう仕方ないのかなって諦めかけてたんですが、耳鼻科でもらったリンデロンという薬(たぶん)の副作用で急速に快癒してしまったんです。同じようにこの薬の副作用で(病気ではないのですが)長年にわたって違和感を感じていた部分が平癒したんです。耳の方はまだ治りませんが、これには驚きました。
 
 やたら治療を長引かせ、しなくても良さそうな治療を勧めてくれる歯医者さんってどうなんですかね? そこへいくと耳鼻科の先生は、諦めの速さといい、他にも効く薬の処方といい、「治せなくてすみません」といい、なかなかの名医なのかも知れません。先生の正体が見えてきたような、無理やりさせられた歯科医院の予約すっぽかしたろかな。

難聴になる?そのとき先生は「治せなくてすみません」と言った

2007年05月20日 | 暮らしの落とし穴
「先生、耳の検査は苦痛なんですが……」
 昨日いつもの耳鼻科でそう訴えたら、
「何を言うてるんですか、このままだと聴こえなくなりますよ!」
と、先生に脅され、渋々受けた検査の結果は「回復の兆候無し」でした。
 それで先生はぼくの目の前ですぐさま紹介状を書き始めたんですが、その間10分くらいの長いことったらありませんでした。
 
「MRIとかの検査して、場合によっては入院ということになるかも知れません」
 思ってもみなかった入院という言葉に、耳鳴りの上塗りをされた気分です。
「原因? ……そうですね、末梢神経、毛細血管……自律神経、脳幹損傷、回復不能、植物人間……」
と、先生の言葉がだんだんと幻聴味を帯びてきて、軽い眩暈まで併発すると、プチ走馬灯が見えてしまいました。

 この世の見納めと言うわけではないにしろ、この先どんな不幸が待ち受けているやも知れませんので、昨夜は場末の連中と最後になるかも知れない痛飲を共にしたわけですが、ぼくらの後を追って来た「薄ら馬鹿」がショットバーに入るなり暴れました。
 薄ら馬鹿もアホですが、余裕の無いバーのマスターにも苦言は申し立てたいです。腹立ち紛れに日付がかわっても我々は路上で飲み続けました。なので昨日の日記を今朝になって更新した次第です。
 
「治せなくてすみません」
 朝になっても、二日酔いの頭にまだ昨日の先生の言葉はアクやオリのように漂っていました。マスクをしてめがねをかけていたので先生の細かい表情までは分かりませんが、気の毒な人を見る目になったのくらいは分かりました。
 でも、いろいろと考えを巡らせていて、謝礼を弾んで「ごっつぁんです!」と言われたことはあっても、医者から「治せなくてすみません」なんていわれたのは初めてだと気がつきました。
 いい先生なのかな? でも先生、それって、二度と来るなよっていう意味じゃないですよね、ねぇねぇ!

ぼくが出入り自粛した大衆酒場の怖さ

2007年05月19日 | 酒、食
「えっ! うそ、本当に出入り禁止にしたの? マスター」
 場末の飲み屋のマスターが、一人のバカ男を出入り禁止にしたと聞いて驚きました。あの店はあちらこちらの店で出入り禁止を食らった、酒癖の悪い連中の吹き溜まりみたいな店なんです。
 そんな連中に安らぎを与えてくれるマスターは温厚で信心深く、優柔不断で欲の無い人ですが、その彼をもってして「オレ、帰ってくれ! とは何回か言うたことあるけど、二度と来るな! なんて言うたん初めてや」と言わしめたなんて余ほどの沙汰です。
 
 そりゃぼくも決して良い客ではありません。グラスが臭うとか、その食材はもっと良く洗えとか、結構ズバズバ突っ込みます。ですがバカ男のように「マスターの作るもん食うて腹こわした」なんていうはずもありません。自分の腹は自分で管理すべきなのですから、怖けりゃ場末で物を食わなかったらいいのです。
 でも場末のマスターなんでまだ良心的な方です。厨房は汚くても、丸見えになっているだけまだましでしょう。見られてないと思ったら人は何をするか分かったもんじゃないんですから。
 
 いつだったか友だちのテル爺にとある大衆酒場に連れて行ってもらったんですが、ぼくがトイレに立った時、何気なく厨房をのぞいて愕然としました。調理中に床に落としたものを洗いもせずに平然と鍋に放り込んだんです。
 こういった光景を目撃したときどうしたらいいものでしょう? 「おいこら、何さらしとんじゃい!」と凄みたくはなりますが、「これがうちのやり方や! 文句あるんか」と応えられたらどうしようもありません。
 
 あの鍋を注文した人って気の毒やなぁ、と思いながらトイレから帰るなり、その鍋は我々のテーブルに届けられるではありませんか。
「この店に来たらたいていこの鍋注文するから、今ではオレの顔見たらこれが出てくるようになったね。美味しいから食べなよ」
 テル爺はそう言ってぼくに鍋を勧めてくれたのを、
「いや、美味しそうですが、ちょっと腹具合がその……」
と、遠慮させていただきましたが、彼は美味しそうに食べ切りました。ぼくはその店の出入りを自粛してますが、彼はますます健康で足繁く通っているようです。

師匠の目を盗むようにしてフルートレッスン

2007年05月18日 | 暮らしの落とし穴
 (旧)お師匠ちゃま、こと、バイオリンの松本有可里先生(通名:ゆかりん)が東京に活動の本拠を移されたと聞いて、まさか音楽事務所から強引な引抜があったとは思えないので、こりゃきっとご結婚なさったに違いないと、かつて通っていたカルチャースクールに顔を出してみました。
 
 カルスクの店長曰く「ご結婚なさいました」と。思った通りでした。ぼくは彼女のバイオリンのレッスンを昨年の9月にやめたわけですが、最後の方の彼女はちょっとした浮かれ気分でレッスンして下さったもんです。
 
 ゆかりんのおめでたはさておき、ぼくが今日カルスクを訪ねたのはフルートの先生と面談するためでした。
 いくらなんでもゆかりんの部屋の前を素通りしてフルートの先生に教えを請うわかにもいきません。人道にもとる行為というほどではないにしろ、なんだか気がとがめておりましたが、ゆかりんがいなくなったと聞いては大手を振って顔を出せるというものです。
 
 ゆかりんよりはいくぶんお年を召してはいるものの、フルートの先生は20台後半の女性でした。ゆかりんが感覚的、肉体的であったのと対照的に、こちらは論理的で明晰な雰囲気の方です。うっかりしたことを口にしたら、ネジが外れそうになるお嬢様育ちのゆかりんに対して、こちらはお姉さんの余裕を感じます。
 
 そういうわけで来月の一月だけレッスンを受けてみることにしました。本当はもっとやりたいんですが、カルスクのシステムがちょっと変わっていてうまくいかないんです。
 それにしてもゆかりん、東京に行ったら奥様に納まってしまうんじゃないかと心配です。おめでとうメールのついでに激励しようかとは思ったんですが、今更ねぇ。でも陰ながら応援してるよ、ゆかりん。

童話を書く前にペン字教室に通うべきか

2007年05月17日 | 童話
 月末が公募締め切りの10枚童話を書き上げました。いつも書いている生活童話とちがって、今回はメルヘン調の物語に仕上げてみました。
 ぼくの頭で考えたような話なんて、もう既にどこかの誰かが作品化しているに違いないのですが、何かしら一点でも光る部分があるなら何とかなるかもしれません。だって他人の入選作品を読んだって驚くようなもは少ないのだから。
 
 応募する前に一度童話講座のフィルターを通してアクを取っておきたいのはやまやまなんですが、もうその時間はなさそうです。自力でなんとかするしかないのは、もう一つ大きな応募先が控えているからです。
 なので腹をくくって公募に出そうと応募要領を見たんですが、後頭部をガツンと殴られたような気がしました。出せないのです。
 
 驚いたことに、今どきワープロ原稿が不可のようなんです。手書きを要求された日にゃ、字の下手なぼくなんか小学生部門にしか応募できなくなるではありませんか。どうしてこんな応募規定を設けているのか判りません。読む側にしたってワープロ原稿のほうが読みやすいはずなのに、400字詰め原稿用紙とは!? 
 まあとにかく書き上げたものはしかたないし、ペン字教室を探すには遅すぎるし、あぁ、もう代筆を雇いたい。

男同士の別れ方、ちゃんと言ったよ、さよならは

2007年05月16日 | 男と女
 通い詰めていたお客さんの姿が忽然と消えてしまうことが、場末の飲み屋にはよくあります。多くの場合はその方が鬼籍に入られたからで、場末の喧騒の中に異次元の空間がぽっかり開いた様な気分になることもあります。
 しかし、殴られた、刺された、どこかに収容された、といった物騒な話を後になって聞くと気持ちが沈みます。
 昨夜もそんな姿を見せなくなったお客さんのことが話題になって、マスターに事情を訊きました。
 
「彼ね、年老いたお父さんを引き取って一緒に住み始めたんよ。そやからオレも声かけ難いヤンかぁ」
 マスターの言うには、本人も体調が思わしくないし、そうそう飲み歩いてばかりもおれなくなったと。しかしこれはおかしな話です。場末に集うようなアル中がそんなことで店に来なくなるはずがありません。
 
「じゃあ、ぼくが用事があるからって、電話してみてよ」
 渋るマスターに電話をかけさせ、駅前のうどん屋で飲もうと彼を誘いました。店じまいを急ぐマスターですが、タイミングの悪いことに時々お見かけする老紳士がのれんをくぐって入ってきました。
 店には客がもう一人いますが、彼とは一緒に出てマスターと4人で飲むことになってます。気の毒なのは入ってきたばかりの老紳士です。ビール1本飲み干す前に、腰が浮いている我々に気がつき、出て行かれました。まだ9時半でした。
 
 駅前のうどん屋に入るなり、誘った男とマスターが不穏なムードになりました。どうやら二人の間には、一月ほど前に溝ができていたらしいのです。店に来なくなったのはそのせいでした。
「なんやぁ、そんな事やったんかいな。仲直りできて良かったね、今夜は」
 酒の力を借り、やがてわだかまりの溶けた二人にぼくが言うと、彼らは上機嫌で祝杯を重ねたのですが、ぼくは続けてこう言いました。
「ぼく、もうすぐ消えるからね、今まで楽しかったよ、アリガト」

 店を出たのは11時でした。少し肌寒い夜でした。一人で帰り道を歩きながら、つっと一筋涙がこぼれました。
 ぼくの声、酔っていた3人にとどいたかな? でもちゃんと言えたよ、さよならは。

100万円メロンの裏側にある話

2007年05月15日 | 社会
 夕張メロンが1個100万円で落札されたと聞いて、1kgの小麦粉を250円で買い、10食分のうどんを打って主食にしているぼくとしては、これは聞かなかったことにできるニュースじゃないなと思います。
 
 100万円の車とメロンとどっちが役に立つのかなって考えるまでもないんですが、一体どこのどなたがあのメロンを買ったんでしょう。もしかして2000万円男なら買うかな、という気もしますが、いくらなんでもそこまで浪費家の彼でもなさそうです。
 
 世界の富の半分を持つといわれたアメリカの大富豪、ハワード・ヒューズさんの残した財産は天文学的で、遺書を残さなかったため、その処理には20年にわたる歳月と莫大な労力が費やされたといいます。つまり財産を管理するには財産が必要なんですね。

 金を数えるのに金がかかるんなら、いっそのこと使ってしまうのが安上がりだといえるでしょう。夕張メロンを買った方はたぶんそれを実践しているのだろうと思います。
 いやそうではなく、「死ぬみゃーに、いっぺんでええで、夕張メロンを食いてぇぎゃぁ」とかって、病に伏せっているお母さんがこぼしたのを聞き、息子さんは全てをなげうって初物を買ったんでしょう。それを食べたお母さんは「でりゃうみゃー!」と泪をこぼしたにちがいありません。

 良く分からないことは、素敵な話にすげ替えて逃避するようになったこのごろのぼくです。

2000万円男と環境問題のウソを追求しない

2007年05月14日 | 社会
 ついこの前までぼくが使っていた醤油は「玉子かけ専用醤油」でしたが、今は「生醤油うどんつゆ」というのを使っています。あんまり塩辛くなかったら何でもかまわないんですが、この醤油がなかなか手に入らなくてあちらこちらのスーパーを回っておりました。
「毎度おおきにぃ!」
 あるスーパーの調味料売り場で男から大きな声をかけられて振り向いたんですが、誰か判りませんでした。というか、あんまり変な人とかかわるとろくなこと無いですから、無視してやり過ごそうとしました。
 
「なんでこんなところに居るの?」
 もう一度声をかけられてようやく誰かわかりました。先日の日記に書いた2000万円男です。お互いに独り身なので自分の飯は自分で工面しないといけませんが、かれは資産家なので毎晩でもフグを食ってりゃいいはずです。
「何でここにって、それこっちのセリフやん。こんなところで会う人と違うでしょ」
 飲み屋で会わないと誰だか判らないぼくは言いました。
「いやいや、オレもしょっちゅうここに来てるんやで」
 どうやら彼、わざわざメルセデスベンツを転がしてスーパーに買い物に出るらしいのですが、それにしてもヨレヨレのTシャツに半ケツ出たようなダブダブズボンにツッカケと、大金持ちのくせにどこから見てもぼくと同じ種類の貧乏人に見えます。
 
「え、歩いてここまで来たの?」
 ぼくがリュックを担いでいるのを見て彼は非常に驚いた様子でした。そりゃ確かにぼくが歩いたらスーパーまで30分かかりますが、彼がベンツを動かして同じスーパーに到着するのにだって15分かかります。ぼく自身不思議に思いますが、駐車場に停めたりする時間を計算するとそれくらいの差しかないんです。
 
 環ウソを読んだ腹立ち紛れに書くんですが、環境問題って結局は人間の所業によって積み重なっている問題なのですから、ベンツに乗ってスーパーに買い物に行き「レジ袋不要」のカードを買い物籠に入れても意味ありません。そんなの分かりきったことですが、環境問題というのは、意識するということが大切なんです。
 今は模型飛行機ですらバイオエタノール(つまり焼酎やウォッカ)で飛ぶような時代なんです。
「極北の氷河が解けて海面が上昇する」を「北極の氷が解けて」とわざと間違えてまでまで環境意識を後退させる環ウソの意図が判りません。
 ですが武田先生、分別してゴミを出さなかったときの後ろめたさを拭うには環ウソは役に立ちます。毎度おおきにぃ!

「環ウソ」にもだまされました!

2007年05月13日 | 社会
 ウォークマンやら携帯電話やらに付属してきて、いつの間にか大量に溜まって困っていた「アダプター」を「粗大小物」に分類して捨てました。小さめのダンボール一箱分ほどもありました。でもこれは捨てるのにお金は必要ありません。大阪市内の受付センターに電話すると、堺市内の業者が引き取りに来てくれます。
 環ウソを読んでもこのアダプターがその後どういった道を辿るのかは分からないでしょうが、これらは実はリサイクルされるんです。
 
 環ウソによると、リサイクルとは先ず材質ごとに分類して原料に戻し、そこから別の製品を作るという意味らしいので、それに従って正確にいうなら、ぼくの捨てたアダプターは「リユース」されるんです。
 日本で古くなったから北朝鮮にでも行くのかなって勘違いしそうですが、日本国内で別の人の手に渡る可能性が高いんです。
 
 機械物って何でもだいたい新しい方が性能が良くて安くなってますよね。ビデオデッキだって壊れたら昔の製品を探したりせずに新製品を買いに行きます。でも今までベータを使っていたらいきなりVHSには換え難いですよね。
 それと同じで、ある組織のシステムの一部に組み込まれているパソコンのMS-DOSで動いていたら、そのシステム全体が変わらない限り、パソコンが壊れたからといってOSをWindowsXPのものなんかに換えられるはずもないですよね。
 
 ぼくが営業マンだった当時はそれでずいぶん苦労したもんです。壊れたパソコンをメーカーに出せば法外な修理費用を請求されるし、代わりを探そうにも一般の市場には無い。ですから中古屋さんを回るんですが、わりと足元見られた値が付けられていたりします。
 ですが今回ぼくが捨てたのはアダプターです。そんな物がリユースされるはずないって、この日記を読んだ多くの人は思うでしょう。ですがそれはその方がある一定以上の生活レベルにあるからなのです。
 
 ぼくのように、ある目的意識があってテレビを持っていないのではなく、欲しいけどテレビを持てない人って意外と存在するんです。
 お遍路さんをやってみて、宿にカチカチ回すチャンネル式のテレビが置いてあって驚いたりしたもんですが、そんなのまだマシな方です。テレビが無い宿だってありました。そういう生活があるってことを環ウソの著者はご存知なんでしょうか?
 
 リサイクルの利権に群がる悪人がいるのは分かります。ですがその利権に派生した部分の、ごくわずかな恩恵に浴して生きている人もまたいるのです。
 ぼくが分類して出したアダプターは回収され、名も無き人々の手によって浪速の道端に並ぶことでしょう。そのうちの一つを誰かが買い「これでやっと死んだ母の声が聞ける!」と喜ぶかもしれません。そういう市場が現実に存在するんです。
 
 リサイクルに金がかかるのは分かります。石油も使いますし電力も使います。ですがリサイクルは、切羽詰ったところまで来ている人類に残された最後の手段かも知れないんです。
 環ウソでは「リサイクルするより燃やす方が環境に優しい」と説きますが、これはリサイクルが一般に浸透する前の概念です。昔の過ちを繰り返さないで下さい。
 学生に資料を集めさせ、それをまとめて環ウソを書いた先生は、リサイクルにかかわる底辺の生活がどんなものかご存知なのでしょうか。

 いやそういうことではなく、人類の存亡はもはやエネルギーを費やしてまでリサイクルしなければならないところまでに来ているということです。
 突き詰めれば人類の「間引き」につながりかねないような机上の空論に終始するのではなく、自分の足でリサイクルの現場を歩いて本を書いてほしいものです。

環ウソを読んでも騙され続け

2007年05月12日 | 社会
 だまされてた! って分かった最初のは何やったかな~って考えていたら、それは「身長を伸ばす体操」だったかもしれません。その次にだまされたのが「美味しく炊ける米のどぎ方」で、そこからさらに「体にも良く美味しい天然塩」、「にがり」、「シークァーサー」、「何とかの美味しい水」等等、いろんなものにだまされてきました。(チタンテープとか、デューク更家ウォークとかはやってません)
 
 何が身長が伸びるぅ? ぎっくり腰患ろて返って縮んだ気がするぞ! ザッシュザッシュといくら頑張ってといだ米でも、手抜きして洗っただけの米でも大して味変わらん! 塩? ぼくにはJTの精製塩とその他の塩が区別できるだけ。堺の水と天然水のどちらでコーヒーをいれたんやったかな? あれれ、飲んでもぼくには分からん。
 
 こんなぼくですから胸を張っていいますが、もちろん環境問題にもだまされ続けています。そんなこと「環境問題はなぜウソがまかり通るのか(以後、環ウソ」を読む前から、おかしな話やなぁ? 思いながら牛乳パック洗ったりペットボトル裸にしたりしてきましたし、読んだ今もやってます。
 
 でもそれはいいんです。いまさら牛乳瓶やサイダー瓶に戻せって言われても大変でしょ。なのでリサイクルは後ろめたいからやってるだけです。ところがですよ、そんな良心の呵責に付け込んで甘い汁吸ってる人が大勢いる、と武田邦彦先生に聞いては我慢なりません。憤死寸前です。
 
 先日田舎に帰ったとき母が「それをやってはイカン!」とぼくを叱責するんですが、何のことかなと思ったら、ヤクルトの銀紙をはがしてアルミくずへ、容器は他へ、というんです。それは理解できましたが、コーヒーにスジャータをいれた後、それを洗って銀紙はいで……。え~? ウソぅ! といってしまいました。
 
 予算の少ない自治体ではそういうことも徹底しないとやっていけないのかなって思いますが、お年寄りの不自由な目で分別した、ヤクルトやスジャータのプラ容器の行く末を教えてほしいもんです。そのへんのことは環ウソを読んでも今ひとつ分からないんです。まさか分別したゴミが着いた先で一緒くたにされて焼かれてたら本当に頭にくるでしょうね。
 
 環ウソには「リサイクルは環境のための行為ではなく、むしろ利権団体にお金を上げる行為だ」って書かれてますが、利権構造ってどういう構造なんですかね。利権団体ってどの団体のことですかね。
 どこかのボクサーと握手していた大臣が悪いの? それとも官僚が天下っている民間団体? あるいはもっと国際的なシンジケート? 武田先生本当は利権の本丸がどこにあるかご存知なんでしょう。
 外様の私憤とかがあるんだったらそれも絡めてポロッと口を滑らせてくださいな。手を取り合って巨悪に立ち向かいましょうよ。それとも環ウソが売れたらそれでいい? あ、そぅ……。