
(承前)




なんだかちょっと古いところばかり狙ってしまったが、実際の遠軽は大型の医療機関と生協があり、普通に暮らしていくには申し分のない地方都市である。
北見まで車やJRで1時間くらいだし、そのぶん、札幌や旭川にも近いわけで、生活はしやすいのではないかと思う。
筆者は、生田原地区のちゃちゃワールド、温泉ノースキングなどには行ったが、遠軽のがんぼう岩やコスモス園には足を伸ばしたことがなく、丸瀬布の奥にある保存森林鉄道「雨宮21号」にもまだ乗っていない。
「小さな旅」はまだまだ続く。
(この項おわり。「小さな旅」21回目は、温根湯へ)




なんだかちょっと古いところばかり狙ってしまったが、実際の遠軽は大型の医療機関と生協があり、普通に暮らしていくには申し分のない地方都市である。
北見まで車やJRで1時間くらいだし、そのぶん、札幌や旭川にも近いわけで、生活はしやすいのではないかと思う。
筆者は、生田原地区のちゃちゃワールド、温泉ノースキングなどには行ったが、遠軽のがんぼう岩やコスモス園には足を伸ばしたことがなく、丸瀬布の奥にある保存森林鉄道「雨宮21号」にもまだ乗っていない。
「小さな旅」はまだまだ続く。
(この項おわり。「小さな旅」21回目は、温根湯へ)
私が住んでいた30年前から小さな町でしたが、それでもエレベータのあるビルが一つ、そしてエスカレータのある衣料店なんかもあったんです。子ども心にそれに乗るのが楽しみで...
そうそう、当時は駅前から自衛隊まで行く道(国道244号)はなくて、中心部から橋を渡って、遠軽高校の前を通るルート(道々1032号線)しかありませんでした。
私が住んでいる頃に新設された南中学校も、今にして思えば、その遠軽高校の側や南小校区内に自衛隊の官舎が多くあったからなのかなぁ、と想像してしまう今日この頃。
そう言えばクラスの4分の1くらいはお父さんが自衛隊員だったような。
今も昔も自衛隊とは切っても切れない町なんですかね。
どんどんお願いします~。
で、遠軽駅からまっすぐ伸びている道は「連隊通」というようで、やはり、このへんでは遠軽と美幌は自衛隊のマチだな~と感じます。
遠軽は小さな町ではないと思いますよ。
自分のイメージでは、小さな町とは瀬戸瀬や丸瀬布のことで、遠軽は都会です。
この地域の中心じゃないですか。
だから、わたしは、テレビで「人口2万の小さな町です」とか言うのを聞くと、気分を害します。
自分の子どもの頃とは、一桁違うような...。単なる私の思い違いかな?
自分の祖父が常呂町の共立の無人駅の前に住んでいて、その家で切符を売っていたんですが、確かにこちらの方がはるかに小さな町でした。
ただやっぱり子供心には、駅前に居並ぶ三軒ものデパートを眺めながら、「大きな街だな」と感動するほど、「北見」の印象は強烈でしたから。
でも当時南小に通っていた私は、まだ聞いたこともないような地名(中には九州や中国地方)の場所から、4月と10月に入れ替わるようにしてやって来るクラスメートのことを思い出すと、この人口のどれくらいの人が、今現在、そして未来において「遠軽が故郷」と言ってくれるのだろうかと、ちょっと不安な気持ちになるのです。
「デパート」といっても、スーパーに毛の生えたような大きさですが、それでもそのころは「デパート」を称していたんですよね。
まるいいとうは東急の進出でつぶれ、その東急も今はなく、時代の移り変わりを感じます。