
きょうから1週間の、遅い夏休み。
(この項続く)
2019年秋の旅(0) さくいん
道外の芸術祭をハシゴするため、かなり大がかりな旅程を組んだ。
ただし、仕事などで忙しく、実際に切符を買ったり宿を予約したりしたのは、きのうになってから。
それだけで疲れてしまい、日程後半の新幹線などはまだ券を購入していない。
それにしても、この気分の盛り上がりのなさは、いったいどうしたことだろう。
よっしゃ! 休みだ!
アートを浴びるほど見るぞ!‼️
という高揚感がほとんどないのだ。
美術が嫌いになったわけではない、と思う。
虫の知らせで、大きな災難が待ち受けている予感がする、というのとも違う(もしそういう予感がしていたら旅行は取りやめている)。
気乗りしないのなら行くなよ、という話だけど、かといって、やめたらやめたで「やっぱり行けば良かった」と後悔するのも確実と思われる。
ひとつ考えられるのは、自分はいい年なんだし、これまでのような旅行のスタイルを改めた方が良いのではないか、ということ。
いまはやりのゴロゴロと引っ張るカートではなく、高校の修学旅行の際に購入した肩掛けかばんに重い荷物を詰めこみ、食事も宿も安くあげ、時間の許す限りたくさん見て回る…。
筆者はグリーン席には一度しか乗ったことがない(特急オホーツクの普通車が満席でやむを得なかった)し、飛行機はエコノミークラスしか乗った記憶がない。
要するに、お金の面でも時間の面でも貧乏性なのである。
しかし、もうそろそろちょっとくらいぜいたくをしても、バチが当たることはないように思う。
時間の面でも、朝から夜までびっしり歩き回る体力がなくなっているのだから、見られないもの、行けなかった場所については
「まあ、仕方ないよね」
とあきらめるようにする年頃なのではないか。
いわば、発想の転換が必要なのだ。
(例えば、札幌で休日にギャラリー巡りをしているとき、昼飯を取るようになったのは近年である。少し前までは、ひとつでも多くの展示を見るのが責務と思い、時間がもったいなくて昼食は省略していた)

にもかかわらず、つい若い頃のつもりで日程を立ててしまい、でも若い頃のような気分の高まりを実感することなく列車に乗ってしまった自分は、馬鹿なんじゃないだろうか。
帰ったら、1週間くらい満足に仕事もできないほど疲労困憊しているんじゃないだろうか?
もし次に長い旅に出るときは、家人といっしょに、パッケージツアーを利用するか、あるいは夕方には宿にチェックインするようなのんびりしたものにしよう。
今回は「若者の貧乏旅行」スタイルを卒業する旅なのだ。
ぼやぼやしていると、そもそも旅する体力自体がなくなってしまう。
さて、どうなることやら。
(この項続く)
2019年秋の旅(0) さくいん
私も旅程問題に関しては、全く同じ心境です。
もう少しゆったりした日程で良いのではないか?
もう少し贅沢してもいい?
いや、しかし、あれもこれもそれも見なくては。
という感じですよね。自分でもコントロールできていないので、試し試しやっていくしか無いようです。
最近、大旅行の翌日、いきなり仕事をするのはやめるようにしています。
目的地が岡山のようですが、途中、あいトリとかですかね?
岡山は1度行ったことがありますが、おっとりして良い待ちだと思いました。ぜひ旅行を楽しんでください。
(と言いつつ、自分自身は楽しむより修行に近くなるのですが)
私も童心にかえりたいです。
悩みなききのうのほほえみがわけもなく憎らしいです。
ほんとにそうですよね~。
とはいえ、SHさんは旅先できっちり夜は「自分の時間」を確保しているようにみえます。
今回、リボーンアートフェスティバル、あいトリ、岡山芸術交流と、欲張りすぎた日程にしてしまい、自分でもヤバいと思っています
なかなか、人間、心の赴くままとはいかないようです。
義務感ですか。確かに知り合いの店が多いですもんね~。
私も義務感はあるかもしれないです。まあ、今はそもそも道内のギャラリー巡りができないので義務感もへったくれもないんですけど。