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北海道美術ネット別館

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「構造社展」その2。「在野の団体」ってナニ?

2005年12月29日 10時08分33秒 | 展覧会の紹介-彫刻、立体
 札幌芸術の森美術館で1月15日まで開かれている「構造社 昭和初期彫刻の鬼才たち」展の続きです。

 「構造社」が何なのかについては、チラシやポスターですでにご存知の方もあるでしょうが、モノクロの地味な印刷のため、見逃している方もいらっしゃることと思いますから、かんたんにおさらいします。

 構造社は、1926年(大正15年)、斎藤素巌、日名子実三により設立された彫刻の団体です。
 第1回展覧会は、翌年の27年(昭和2年)、東京府美術館(上野公園)でひらかれました。第2回からは、公募展となるとともに、絵画部が設立されました。
 特徴として、今回の美術展でも大伸ばしの写真で再現されていますが、広い会場をフルに使って、建築との融和を掲げて会員の共同による「綜合試作」を行ったことや、会員が、メダルやレリーフといった実用分野にも積極的に手を伸ばしていたことなどが、挙げられています。
 しかし、経済的な理由で内紛が起き、彫刻部と絵画部が分裂、彫刻部の構造社は44年(昭和19年)に解散し、その後復活していません(絵画部のほうは、「十七会(となかい)」と合流して「新構造社」となり、戦後は「朱葉会」などと合同で展覧会をひらいた時代をへて現在もつづいています)

 ここで、よくちらしにも登場する
「在野の団体」
ということばについて、案外北海道の人は知らないのではと思うので、ひとこと。
 在野の反対は、「官」で、美術界では「文展」→「帝展」→「日展」のことを指します。
 もともと「文展」(文部省展覧会の略)は、フランスのサロンをまねて国がつくったもので、位置付けとしては、国内のいろんな団体や展覧会を網羅した大展覧会っていう狙いがあったんですね。昭和初期の文部大臣による改組にもかかわらず、二科展などは「官展ノー」をつらぬいたので、現在でも、美術の公募展には、日展との重複出品を認める一水会や光風会などと、日展に出してる人はダメよという二科、行動、二紀、自由美術、主体、モダンアート、独立、院展、創画、美術文化協会(以上順不同、思いついたまま)などの2つのタイプがあるワケです。

 とりわけ北海道は日展に出している人が少ないので、「日展の権威」とかいわれてもピンときませんが、よその県では、「展覧会の親玉」なので、けっこう強いらしいです。
 まして、彫刻の発表場所が、帝展と二科以外は小さなグループ展ぐらいしかなかった大正末期から戦前にかけて、「反帝展」を掲げてあたらしい団体を発足させるというのは、かなり無謀というか思い切った行動だったにちがいありません。

 ただし…
 展覧会の年譜を見ていると、斎藤をはじめとする中心メンバーはほとんど全員、帝展や日展に戻っちゃうんですよね。
 構造社が解散する前からもう帝展に出品している人もいます。
 作風も、とくに斎藤なんかは非常に古典的な作風なので、帝展に復帰してもたぶん違和感はなかったと思います。

 (この項つづく)


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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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地味だけど・・・・・ (S-Toshi)
2005-12-29 11:34:13
こういう展覧会好きです。

梁井さんも好きでしょ?



来年はサイトの更新減るんですかぁ?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・困ります。
返信する
良いお年を (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2005-12-29 12:24:20
 こんにちは。

 展覧会なら何でもすきです(だって、ふだん見られないんだもん)♪



 それよりよく読んでくださいよー。

 更新が減るのは1月前半の話です。

 1月後半以降は、心配無用ニ付キ御座候。

 
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